いま長文を組み立てられないのでざっくりと。

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書 2177)
- 作者: 平田オリザ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/10/18
- メディア: 新書
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言語の社会心理学 - 伝えたいことは伝わるのか (中公新書)
- 作者: 岡本真一郎
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2013/01/24
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↑この2冊、どちらもおもしろかったです。
「自分は空気が読めない」とか「コミュ障かも」とか悩んでる人は読むといいかも
「対話」について
誰かと面と向かっておしゃべりをするのは「会話」。
相手と自分は違うというスタート点から歩み寄れるポイントを話し合いながら探すのが「対話」。もしくは「あなたとわたしはこんなに違いますね」を相手との会話を通して確認すること。
「対話をしましょう」と理解を示すふりをして会話の席につかせ、相手をコントロールしようとするのは「対話」ではない。
「話せば分かり合える」という幻想
そして「分かり合うために対話をしましょう」ということ自体が誤りで、対話をしても他人同士が分かり合うことってかなり難しい。
ああ、我々はこんなに違うんだなというのを確認できれば充分で、分かり合う必要はない。
もちろん話してみたら分かりあえた、というのはステキなことだけど、「分かり合うこと」を目的とした会話は「分かりあえなかった」ことが判明したときに着地点を見失い収拾が面倒くさいので、最初からそこをゴールにしないほうがよい。
雪が溶けて僕たちは春を知る
同じことただ繰り返す
喋る笑う恋をする僕たちはさよならするカメラの中でほら夢のような物語がはじまる
分かりあえやしないってことだけを分かりあうのさ
すべての言葉はさよなら−Flipper's Guitar
「対話」と「会話」と「討論」の違いについて|www.さとなお.com(さなメモ)http://www.satonao.com/archives/2012/07/post_3434.html
イケダハヤトさんの『他人を批判するときにユーモアを使うのは「卑怯」です』の感想|徳丸浩の雑記帳http://z.tokumaru.org/2013/06/blog-post_6063.html