インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

40代はどこかしら調子が悪いのでそれをチームにどう共有するかは悩むよねという話

これめちゃくちゃわかるなあ〜〜〜!40代は常にどこかしら調子が悪い。

今日も午前中調子が悪くてちょうど午前半休を取ったばかりで、今は元気になっているんだけど、「今は元気です!」っていうエクスキューズを付けないと調子が悪いと言いづらいし、調子が悪いだけなら40代の今はどこかしら調子が悪い状態で、なんとか日々をつつがなく過ごすためにあれこれ策を講じているからなんとかなっている状況

体調不良の時に体調不良の具体的な話を言いづらいという話 - Really Saying Something

仕事を休むときに使う理由「体調不良です」の中にも、いくつか種類がある。

風邪ひいたとかお腹こわしたとか、具体的な”病名”がある体調不良もあれば、天気痛みたいな、気圧とか気候で調子がよくない、頭が働かない、みたいなときもある。

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前者のほうでも「持病」とそれ以外では、対応が全然ちがう。

わたしは婦人科系の疾患があって、端的にいうと子宮筋腫子宮内膜症なんだけど、常に薬を服用して悪化しないようにしている状態で、婦人科系疾患なので月経と連動して体調のアップダウンがある。

なので月経があるタイミングと連動して毎月おなじくらいの時期にダウンしている感じなんだけど、それを毎回「あのう〜、申し訳ないんだけどいつものやつで……」というのもつらいし、というか休む理由としていちいち持病の説明をするのは、かなり心理的抵抗がある。そもそも病歴って機微な個人情報だし、わたしがオープンにするのは良くても、オープンにされた側が対応に困ってしまうということもあると思う。

 

そうすると「ああもう説明するの面倒だし、我慢して仕事するか」となりがちなんだけれど、パフォーマンスは出ないし、無理すると逆に長引いたりして良くないので、結局「あっこれは」と思ったタイミングでサッと半休したり早退したりする。

しかし、それで「お休みされてましたが大丈夫ですか」と心配されたり「体調が常に悪い人」みたいに扱われて業務考慮されたりするのも、非常につらい。

どうしたらいいんだあ〜〜〜と日々悩んでいます。

 

まあ、だからどうというわけでもないし、どうしてほしいとかもそんなにないのだけど、基本的には元気だし、基本的にはどこかしら調子が悪いというのが40代で、自分の身体の調子はうまくコントロールできるよう努力してますという意味であんまり心配しなくても大丈夫だよというのを書いておこうと思いました。おしまい。

ブログを始めて15年も経ってた

これらの記事を読んで、「自分はどれくらいだろう」と思って最古の記事を遡ったら2008年2月で、もう15年も経っていた。

その間にあったことと言えば、結婚して離婚して、再婚して、海のそばに引っ越して、子どもを産んで、また東京に戻ってきて、仕事を変えて……と、いろいろあったね!という感じ。

 

そのへんはなんとなくだけれど過去の記事として残っていて、振り返ることができるのがすごくいいなあ〜と思っている。最近は頻繁に書く機会は減ったけれど、ブログのことを思い出しては書き、またしばらく忘れ、また思い出しては書き……を繰り返している。なので、まあ「やめてはいない」という感じが近いかもしれない。

 

ここしばらくの気分としてはこんな感じで、

なんか昔は「ブログ書いてTwitterでバズってゲットマニーだぜ!」みたいな功名心?野心?のようなものがどこかにあった気もするけれど、それはなんとなく解除された実績のような感じで「まあ、まあ……」というテンションに落ち着いた。今はほそぼそと自分のログを残していって、なんかの役に立てばいいよねくらいの温度感。

 

とはいえ、

この「2016年ごろ、めちゃくちゃに(酒を)飲んでブログ書いてお互い読み合って感想言い合って遊んでいた友達」の中に夫がいたわけで、ブログを書いていなければ、再婚もなかったかもしれない。

 

そう思うと、この15年のあいだに、ブログのおかげで、わたしは人生の転機を掴めていたんだなと感じることもある。

 

最近、「虹が晴れる」さんのブログが好きなので、引用させていただくと

自分のプラットフォームのなかにある、人が作ったコンテンツを、あたかも自分のもののように使ってプラットフォームを大きくすることには、複雑な思いもある。が、はてなはそのあたり著者にリスペクトを示すことに気を割いている気がして、許せている。

こう許せているのは、選ばれたブログを読んでみると、一概にこうだと言えないまでも、選ばれるだけあると思える中身だからだと思う。情報の羅列ではなくて、ナラティブがあり、そこに人がいて、その人の体温とか目線を感じられる。こう書くと2000年代味がしてくるのだけど、でも、そういうものを編集部が選んでいるのではないかと思えるだけで、いちブログ市民としてははてなが文化を守ってくれている気がするのだ。

 

夕焼けビーム - 虹が晴れる

この「いちブログ市民」という感覚が、すごくわかるなあ〜と思った。

わたしも市民として日々の営みがあり、それを書き綴ることでなにか微弱な電波を発信しており、受け取ってくれた人とのゆるやかな交流に一喜一憂していたのであった。

その中のひとりに今の夫がいて、友人たちがいて、今のコミュニティがあるのだなあと思うと、なんというか大人になってから、しかも仕事を通じてではなくできた友だちって、いいな、と思ったりもする。

 

散漫になってしまったが、もしこの記事を見た方も、なんかピンと来るものがあれば過去記事を読んだり、Twitterでメンションをくれたり、コメントを残してくれたりすると嬉しいです。どうせ100年後にはみんないなくなっちゃうんだし、せめて今、交信しましょうね。

 

今日はそんな感じです。

チャオ!

大好きな5月

この3月4月はなかなかタフな時期で、精神的にとてもつらかった。

肉体的にも持病がまた悪化したりしていたので、その余波でメンタルもあまり良い状態ではなかったと思う。なにしろ自分の身体の一部分の調子が悪いというのは、それが頭だろうが心だろうが内臓だろうが、うれしくはない。

そんな中、5月を迎えた。5月はいい。大型連休はあるし、娘と夫の誕生日があるし、なにより気候がいい。そういう気持ちを汲んでもらったような、すがすがしい天気の大型連休だったように思う。そんなある日の写真たち。

神田の老舗蕎麦屋「まつや」の店頭。紺色ののれんがかかっている。

神田の老舗蕎麦屋「まつや」の店頭。建物が美しかった

もりそばにエビの天ぷらが2本並んでいる

夫と天もりをいただいた。エビの天ぷらが立派だった

喫茶「さぼうる」の店頭にかけられたランプの写真。赤い鶏と、お月見をする少年の後ろ姿が描かれている

喫茶「さぼうる」にも立ち寄った。みんなクリームソーダを飲んでいてかわいかった

石でサボテンを模した形の案内板。左右に飛び出た葉に店名が書かれている

山の上ホテル」にあった愛嬌のある案内板。また来たい

多摩川沿いから眺めた夕焼け。上はまだ青く、下はオレンジのグラデーションになっている

友だち家族と多摩川でピクニックをした帰り道の夕焼け

夫、子ども、友人たちに同僚のみんな。いろんな人とたくさん話した5月のはじまりだった。

 

2022年に立ち上げたチームを他の方に託し、5月からはまた新しくチームを立ち上げることになったので、違う意味でのタフな時期を迎えることになるけれど、楽しくやっていこうと思う。がんばるぞ〜。

なんにもない最高の1日

今日は夫が気を利かせてくれたおかげで、昼前までぐっすり二度寝をし、娘とホットケーキを作って食べ、夫と娘が出かけている間にひとり銭湯で長湯をする、という最高の日でした。

 

銭湯のよさって、服とか肩書きとか状況とかぜんぶを脱衣場に置いてきて、ざぶんと大きな湯船に浸かる、そういう意味ではみーんな同じなところ。ほかほかに温まったら気分もいいし、なんとなくご機嫌にみんな帰っていくのが最高だなと思いました。

銭湯の水風呂で偶然ひさしぶりの人に会えたので「最近どう?」「今年もよろしく!」のご挨拶ができたのもまた素敵でした。地元最高〜!

 

明日からまた仕事がんばるぞ〜!

「どうしてるかと思って」を増やす

年末年始、ひさしぶりの友人から連絡が来るタイミングに、「上手に気にかけること」の大切さを感じました。

折に触れ、何かなくても「最近どうしてるかと思って」と連絡をくれる人が、ひとりでもいることのありがたさ、というのがあると思います。

 

仕事仲間でもいいし、古い友人でも構わないし、とにかく間が空いても「最近どう?」と気軽に声を掛けてくれる人の存在が、なんとなくこの世界への存在承認のように思えるときがあります。

現金なもので、元気なときには、そういうのって忘れちゃうんですよね。でもふとしたときに「どうしてる?元気?」と聞いてくれる人がいてくれるだけで、なんとなく自分が大丈夫でいられることってあるなあ、と思いました。

 

実際そういう友人が何人かいて、「なんかこの話したくてさ〜」とネットニュースのリンクとともに雑談を投げかけてくれたり、特に理由はなくとも「最近なにしてんの?」と連絡をしてくれる人がいます。そういうのを「マメ」と呼ぶのかもしれませんが、わたしみたいに不精な人間にとっては、人間関係の細い糸をつなぐ大切な一報だったりするんですよね。

 

最近こんなブログを読みました。

2023年の目標は「自分から誘う」です - tymikiiの日記

「自分から誘う」のはなかなかハードルが高かったとしても、「最近どう?」くらいの小さな投げかけを、自分からどんどんしていけるといいなと思う2023年の始めなのでした。

 

個人的には明日から仕事始めです!休み明けは気持ちのバランスが崩れがちなので、マイペースに、ゆっくりやっていこうと思っています。あなたもどうぞご自愛ください!

しみたはんぺん

晩ごはん、家族で外食をしたときに、おでんのこんにゃくに切れ目が入っていて、娘に「これ、かわいいね」と言われた。

こんにゃくの切れ目をかわいいという感性も好きだなあと思いつつ、「こうやって切れ目を入れて煮ると、味がしみるんだよ」と教えると、自分の取り皿にあったはんぺんに子ども用のフォークを刺して「こうすると味がしみるから」と言うので、食べる準備ができてるものには切れ目は入れなくていいんだよ、とまた教えた。

教えたことをすぐ自分でも使ってみるところがとても子どもらしくてかわいいなと思った。

 

そのあとスーパーに寄って、夫と娘が外で待っている間、夜空を見上げていた娘が、会計を終えて出てきたわたしに「お月さまが、はんぺんみたい」と教えてくれた。

それは確かにさっき食べた丸はんぺんのような形をしていて、夜空にぽかっと白く円を描いていた。

 

きれいだなと思っていると、夫が「あのはんぺんには何がしみているの?」と娘にたずねた。

手をつないで歩き出しながら、娘は「空のはんぺんには、夜がしみている」と言う。

 

その表現に感心して娘を褒めたのだけど、実のところ、それは夫が後付けで加えて教えたことらしく、なあんだ、と夫婦で笑った。

夫が後付けで加えた表現だったとしても、でもそれはそれで親子合作みたいでいいな、と思った、ちょっといい夜なのだった。

 

今日、お仕事始めの人もいるかもしれませんね。お互い頑張りましょう!

実家独自の習慣を受け継ぐ

三が日のうちに実家へ挨拶しに行こうと、娘家族と共に横浜の実家へ集ったところ、面白い話を聞きました。

今まで我が家の父親が、お正月の習わしとして行なっていたことを、妹家族の間で改めて受け継いでいくことにした、という話。

といっても、それは些細なことで、

  • 新年には新しいお箸をおろす
  • 新年には新しい歯ブラシをおろす
  • 新年には新しいパジャマをおろす
  • 新年の朝には新しく沸かしたお湯で朝風呂に入る

みたいなこと。

この習慣は、我々姉妹が子ども時代に父親の主導で実践していたものでした。これといった言われはなく、単に父親の指導により、さっぱりして気持ちがいいから、気分がいいからというだけで、実践されていたものなのです。

これを妹家族では今年から取り入れて、父親の習慣を受け継いでいくことにしたんだよ、というのが、とても興味深かったのですが、なにかこう宗教的な習わしでもなく、祖父母以上の世代から続く家族代々の……と言うわけでもないけれど、いいなと思っていた父親の習慣を、自分の家族にも取り入れて実践する、それってまさに生活の営みじゃん、という気がしたからでした。

そういう小さい積み重ねがなんかこう連綿と続いていくのはすごく面白くて、しかもそれが実利に基づいた決まりごと、お約束、みたいなものなのがさらに興味深いです。

我が妹はそういうのを面白がって受け継ごうとするタイプで、姉であるわたしはあまりこだわりがなく、かといって取り入れるほどの思い入れもなかったので「へえそうなんだ、面白いね」以上の感情はないのだけれど、父が始めた習慣を妹家族が引き継いでくれることで、わたしの子ども時代の楽しかった家族の記憶も一緒に受け継がれていくようで、なんだかちょっと嬉しかったな、というだけの話しなのでした。

 

明日から仕事始めの人もいますよね。久しぶりの早起き、憂鬱かもしれません。頑張ってくださいね。それではよい夢を!チャオ!