インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

なんにもない最高の1日

今日は夫が気を利かせてくれたおかげで、昼前までぐっすり二度寝をし、娘とホットケーキを作って食べ、夫と娘が出かけている間にひとり銭湯で長湯をする、という最高の日でした。

 

銭湯のよさって、服とか肩書きとか状況とかぜんぶを脱衣場に置いてきて、ざぶんと大きな湯船に浸かる、そういう意味ではみーんな同じなところ。ほかほかに温まったら気分もいいし、なんとなくご機嫌にみんな帰っていくのが最高だなと思いました。

銭湯の水風呂で偶然ひさしぶりの人に会えたので「最近どう?」「今年もよろしく!」のご挨拶ができたのもまた素敵でした。地元最高〜!

 

明日からまた仕事がんばるぞ〜!

「どうしてるかと思って」を増やす

年末年始、ひさしぶりの友人から連絡が来るタイミングに、「上手に気にかけること」の大切さを感じました。

折に触れ、何かなくても「最近どうしてるかと思って」と連絡をくれる人が、ひとりでもいることのありがたさ、というのがあると思います。

 

仕事仲間でもいいし、古い友人でも構わないし、とにかく間が空いても「最近どう?」と気軽に声を掛けてくれる人の存在が、なんとなくこの世界への存在承認のように思えるときがあります。

現金なもので、元気なときには、そういうのって忘れちゃうんですよね。でもふとしたときに「どうしてる?元気?」と聞いてくれる人がいてくれるだけで、なんとなく自分が大丈夫でいられることってあるなあ、と思いました。

 

実際そういう友人が何人かいて、「なんかこの話したくてさ〜」とネットニュースのリンクとともに雑談を投げかけてくれたり、特に理由はなくとも「最近なにしてんの?」と連絡をしてくれる人がいます。そういうのを「マメ」と呼ぶのかもしれませんが、わたしみたいに不精な人間にとっては、人間関係の細い糸をつなぐ大切な一報だったりするんですよね。

 

最近こんなブログを読みました。

2023年の目標は「自分から誘う」です - tymikiiの日記

「自分から誘う」のはなかなかハードルが高かったとしても、「最近どう?」くらいの小さな投げかけを、自分からどんどんしていけるといいなと思う2023年の始めなのでした。

 

個人的には明日から仕事始めです!休み明けは気持ちのバランスが崩れがちなので、マイペースに、ゆっくりやっていこうと思っています。あなたもどうぞご自愛ください!

しみたはんぺん

晩ごはん、家族で外食をしたときに、おでんのこんにゃくに切れ目が入っていて、娘に「これ、かわいいね」と言われた。

こんにゃくの切れ目をかわいいという感性も好きだなあと思いつつ、「こうやって切れ目を入れて煮ると、味がしみるんだよ」と教えると、自分の取り皿にあったはんぺんに子ども用のフォークを刺して「こうすると味がしみるから」と言うので、食べる準備ができてるものには切れ目は入れなくていいんだよ、とまた教えた。

教えたことをすぐ自分でも使ってみるところがとても子どもらしくてかわいいなと思った。

 

そのあとスーパーに寄って、夫と娘が外で待っている間、夜空を見上げていた娘が、会計を終えて出てきたわたしに「お月さまが、はんぺんみたい」と教えてくれた。

それは確かにさっき食べた丸はんぺんのような形をしていて、夜空にぽかっと白く円を描いていた。

 

きれいだなと思っていると、夫が「あのはんぺんには何がしみているの?」と娘にたずねた。

手をつないで歩き出しながら、娘は「空のはんぺんには、夜がしみている」と言う。

 

その表現に感心して娘を褒めたのだけど、実のところ、それは夫が後付けで加えて教えたことらしく、なあんだ、と夫婦で笑った。

夫が後付けで加えた表現だったとしても、でもそれはそれで親子合作みたいでいいな、と思った、ちょっといい夜なのだった。

 

今日、お仕事始めの人もいるかもしれませんね。お互い頑張りましょう!

実家独自の習慣を受け継ぐ

三が日のうちに実家へ挨拶しに行こうと、娘家族と共に横浜の実家へ集ったところ、面白い話を聞きました。

今まで我が家の父親が、お正月の習わしとして行なっていたことを、妹家族の間で改めて受け継いでいくことにした、という話。

といっても、それは些細なことで、

  • 新年には新しいお箸をおろす
  • 新年には新しい歯ブラシをおろす
  • 新年には新しいパジャマをおろす
  • 新年の朝には新しく沸かしたお湯で朝風呂に入る

みたいなこと。

この習慣は、我々姉妹が子ども時代に父親の主導で実践していたものでした。これといった言われはなく、単に父親の指導により、さっぱりして気持ちがいいから、気分がいいからというだけで、実践されていたものなのです。

これを妹家族では今年から取り入れて、父親の習慣を受け継いでいくことにしたんだよ、というのが、とても興味深かったのですが、なにかこう宗教的な習わしでもなく、祖父母以上の世代から続く家族代々の……と言うわけでもないけれど、いいなと思っていた父親の習慣を、自分の家族にも取り入れて実践する、それってまさに生活の営みじゃん、という気がしたからでした。

そういう小さい積み重ねがなんかこう連綿と続いていくのはすごく面白くて、しかもそれが実利に基づいた決まりごと、お約束、みたいなものなのがさらに興味深いです。

我が妹はそういうのを面白がって受け継ごうとするタイプで、姉であるわたしはあまりこだわりがなく、かといって取り入れるほどの思い入れもなかったので「へえそうなんだ、面白いね」以上の感情はないのだけれど、父が始めた習慣を妹家族が引き継いでくれることで、わたしの子ども時代の楽しかった家族の記憶も一緒に受け継がれていくようで、なんだかちょっと嬉しかったな、というだけの話しなのでした。

 

明日から仕事始めの人もいますよね。久しぶりの早起き、憂鬱かもしれません。頑張ってくださいね。それではよい夢を!チャオ!

言語化する力を使って、俯瞰した自分をいたわることの話

考えを言語化する力の大切さ

この数年、リモートワークが加速し他人とのコミュニケーションがオンライン化するにつれ、自分の考えていることを分かりやすく伝わるよう言葉にする技術の大切さが増してきているように感じます。

会話がチャットベースになったことで曖昧な相談や気持ちも明文化する必要が増えたり、ちょっとした言葉の足りなさで相手とのコミュニケーションが行き違ってしまう経験が何度かありました。

そうなってくると、自分の考えていることをきちんと言語化して相手に伝わる言葉にしていくというのは、ある程度意識して磨かなくてはいけない技術なんじゃないかなと思っています。

言語化する技術というのは、ちょっとしたノウハウはあるものの、基本的には自分が考えていることを言葉にする、言葉にしたものが相手に伝わりやすいものになっているかを点検する、分かりにくければ修正してまた点検する、その繰り返しをしていくことでしか磨かれないんじゃないかな、とも。

言語化することで見えてくるもの

自分の考えを言語化することで見えてくるもののひとつにあるのは、第三者から見た自分だと思います。

小難しい言葉を使いがちだったり、やたら感情的だったり、論旨をまとめるのが苦手だったり……いろんな自分が見えてきたときって、すごく恥ずかしいし、しんどいんですけど、その自分も自分として受け入れることで、言語化する力というのは上がっていくのかもしれません。

個人的にも、何年もこうしてブログを書いていると、10年前の自分が書いたものなんて、とてもじゃないけど読んじゃいられないと思うことがあります。言葉の拙さとかそのとき影響されていたものが色濃く出ているとか、いろんな理由があるんですが、基本的にはやっぱり主張や伝え方が、幼いんですよね。

10年も経てばもう別の人間だと思うので、当時の自分はとても幼く見えるんですが、それもまた自分だなと思うと、自分の考えを言語化してどこかに置いておくというのは、なかなか悪くないんじゃないかなと思っています。

もちろん文章を書く練習という意味でも、ブログという練習場は役に立つんではないでしょうか。

自分を俯瞰して、いたわること

まだブログの話を続けますが、わたしが自分の考えを言語化して外に置いておくことで良かったなと思うのは、書いたものを通じて、自分を俯瞰して見られるようになったということです。

考えを言語化するためには、まず自分がどう思っているかに向き合わないといけない。何を伝えたくて、どんな気持ちで、どうしたいと思っているのか。これは仕事でドキュメンテーションするときにも同じだなと思うのですが、何かを伝えたいと思うとき、まず自分が何を伝えたいのかが分からないと、最初の一歩目は踏み出せません。

書いているうちに「ああ、自分はこういうことが言いたかったんだな」と分かることもあれば、最初から狙いが定まっている場合もあるとは思いますが、その中心にあるのは自分なわけです。書きながら中心にいる自分をあぶり出していくとき、思わぬ感情に気付くことがあったりします。

それは怒りだったり悲しみだったり、喜びだったり疲れだったりいろいろですが、そうして見つけた自分の思わぬ感情が文章として言語化され、俯瞰して見られるようになることで、自分で自分をいたわれるようになるんじゃないかな、と思ったりしています。まあ、みんながみんなそうじゃないかもしれませんが……少なくともわたしにとって、感情に任せて書いたもので自分の気持ちに気付き、自分で自分の肩を抱くような気持ちで感情に向き合えた経験があるよ、というお話だけ置いていきますね。

 

今これを書いているわたしの感情は、どんな風に見えていますか。なかなかブログの文章を書いていないので、読みにくくてすみません。ただ、今年はなるべく気負わず書いていこうと思っているので、こんなラフな感じで新年一発目を出してしまおうと思っています。

今年もどうぞよろしくお願いいたします!

2022年、ありがとうございました

来年はブログ書くぞ!!!

 

 

本の読み方について、やってみた感想などあれこれ

読書、お好きですか。わたしは好きです。

本には著者や編集さんのいろんなエッセンスがギュッと詰まっており、一冊を読み通すことで圧縮した知見が得られるところがいいなあ〜と思っており、育児の合間にKindleなどを活用して読書を楽しんでいます。

blog.tinect.jp

この記事でしんざきさんが書かれている「何かを出力することを意識して読む」というのはとても良くて、共感しました。誰かに感想をお伝えする前提で読むと、読みながら脳内が整理されるのでとても有効、という実感があります。

読書は何かの追体験としてもいいし、何かを学びたいと思ったときの思考のモノサシとしても大変役に立つと思っています。なので誰かに何かを学びたいのですが……と相談されたときには、まず入門編の書籍を薦めることが多いのですが、読み方についてはあまり考えたことがなかったなあと思ったので、今までやってみた工夫などをまとめてみようと思います。

読みながら「!」と思ったことをメモする

これはKindleで読書をするようになってめちゃくちゃ活用しているのですが、読みながら「このフレーズいいな、面白いな」と思ったことをハイライトする、というやり方。紙の本だと付箋をつけたりしている人も多いと思いますが、Kindleだと検索できたりするのでさらに便利です。

さらにそれをツイッターに放流したりすると共感したり「僕も読みました〜」とリアクションがあったりして楽しかったり。

同じ本を読んだ人と読書感想会をしてみる

実は読書会のいいところは、会を設定することで期限ができて「なんとなく読み逃す」がなくなるところかもしれません。

ともあれ、誰かと「面白かったところを共有する」ことで学びが深まったり、意外な発見があるのでとても好きです。

それでも「読む時間がないよ〜」となってしまう場合は、アクティブ・ブック・ダイアローグという、一冊をみんなで分担して読み(オフラインで集まってやるときは、1冊を破って分け合うんだとか!)、ログを残しながら感想を語り合うやり方もあるので、そういうのを試してみてもいいかなと思っています。

感想をもとにブログを書いてみる

これはまさにしんざきさんの記事にもあったのですが、

幾つか自分の「キーワード」を決めておいて、そこをトリガーにして自分の土俵に引っ張りこむというやり方が出力しやすい

いろいろと得をする、「何かを出力する」ための本の読み方について。 | Books&Apps

というのがいいと思います。

その本を読むときに自分がなにを得たいのか、どんなキーワードを目にしたとき発想が広がるのかに注意を向けて、「!」があったらそこから我田引水、自分のフィールドで話題を展開していく、というのもひとつのやり方かも。

極論、本の言いたいことには共感できなかったけど、本を通じて自分の考えや思っていたことがまとまったりしたとしたら、それは学びになると思っているタイプなので、本をきっかけに自分の世界が豊かになるならそれでよし、だと思っています。

なので「出力」のひとつの方法としてブログに感想を書いてみるのはいいのでは〜と思いますし、こんなふうにメモ程度でも残しておくと、あとあと自分のためにもなったりするので、気負わず書いてみるのはいいかもしれないですね。

hase0831.hatenablog.jp

 

今日はそんな感じです。

チャオ!