2021年8月8日。一般的に大きな話題でいうと東京オリンピック2020の閉会式が行われるこの日に、GORGE.INから新しい音源が公開された。
日本のトラディショナルなセレブレーション・デイである「山の日」。
2021年の今年はスポーティな理由から「8月8日」となった。
「808」という数値で我々が想起するのは、もちろんROLAND TR-808である。数々のテクノ/エレクトロ・ミュージックを生み出したドラムマシーンの名器だ。
ただし、TR-808のエレクトロニック過ぎる響きは、ゴルジェという音楽から誕生から数十年の歴史において不遇の取り合いを受けたと言わざるを得ない。
舞台は整った。
2021年、808、山の日。
この日において、「TR-808×山×ゴルジェは可能なのか?」という問いの答えを出すブーティストが集った。
このブログでは2013年にこのエントリーでゴルジェを取り上げて以来、断続的に記事を書いてきたけれど、この数年は言及することもなく令和を迎え、そしてオリンピックイヤーである2021年を迎えることとなる。
新しい未知の音楽ジャンル「GORGE」がかかるメインイベント「ヤマノヒクラブ」はここ数年、2019年・小倉で開催、2020年はコロナ禍を受けてオンライン上で開催というように、時間と場所を超えて活動の場を広げてきていたけれど、コロナ禍が拡大し緊急事態宣言下でもある2021年のサプライズは、音源のみのリリースとなったようだ。
これはゴルジェエヴァンジェリストであるhanali氏の福岡移住が関与しているとかしていないとか様々な憶測があるけれど、GORGE.inのメンバーが様々なライフイベントを迎えたりコロナ禍での配慮があったりと、気軽に集えなくなった影響もあるだろう。確かにTwitter上を騒がせていた「ゴルい」という言葉も最近ではすっかり鳴りを潜めたような印象がある。
では、ゴルジェは死んだのだろうのか?カルト的熱狂はやはりクローズドな環境で、夜のクラブで、閉じられたオンラインコミュニティで、人々の口伝てでしか伝播することはないのだろうか?
だとしたら、ゴルジェは死んだのか?山は死にますか?風はどうですか?空もそうですか?おしえてください。…とさだまさし『防人の詩』を引用するまでもなく、山は死なない。風や空が死なないように、山は死なないのだ。
ゴルジェにはGPLというものがある。
Gorge Public License。
- タムを使うこと
- それがゴルジェだと言うこと
- それがアートだと言わないこと
この三つに準拠すれば「ゴルジェ」である、というものである。
この原則に沿うのであれば、「これがゴルジェだ」と言ってしまえば、すべてはゴルジェになる。タムを使い、これがゴルジェだと言い、そして決して「これがアートだ」と言わないこと。それであればどんな楽曲も「ゴルジェ」として内包してしまうアメーバ的流動性は、様々な楽曲を「ゴルジェ」の中に取り込み、様々な音楽を、ひとつの「ゴルジェ」として飲み込んでしまう恐ろしさもある。
この定義で思い出すのは、村上龍『コインロッカーベイビーズ』で描かれる主人公「ハシ」と「キク」の関係だ。コインロッカーに嬰児で捨てられた「ハシ」と「キク」は孤児院で出会い、互いに依存関係となる。その関係性は「肉体と病気の関係」として描写される。
キクとハシは肉体と病気の関係だった。肉体は解決不可能な危機に見舞われたとき病気の中に退避する。(文庫版 P.11)
ここで言われる「精神」というのは歌の才能に長けるが精神的な不安定を抱える「ハシ」のことで、「肉体」というのは優れた運動神経を持つ「キク」のことである。
ふたりは1人であるかのように、互いに依存し、「ハシ」が大きな声で泣いたり怯えて震えたり叱られていないのに謝ったりする時、「キク」は表情を変えずにいつまでも「ハシ」の回復を待った。
「肉体」=フィジカル(物的リリースや物理的イベントの開催)が解決不可能な危機に見舞われたとき、病気の中に退避するとしたら。イベントが開催されない間にも熱病的流行は我々の精神の中に深く静かに進行しているのではないだろうか?
アンダーグラウンドなクラブシーンで密やかにしかし熱狂的に広がっていた「ゴルジェ」が、その「フィジカル」な場を奪われたとき、その熱狂はどこに身を潜めているのだろうか?
それが8月8日、東京オリンピック閉会式のスタートとともに、名機として評価されるTR-808(ローランド社が1980年に発売したリズムマシン)と、スポーティな理由で無理やり移動させられた「山の日」、そして「ゴルジェ」が掛け合わさったからというシンプルすぎる理由でおこなわれた新譜リリースに、関係してはいないだろうか?
ゴルジェという音楽はアートではなく、呪いである。(2021年の結論)
— toki takumi / hanali (@tokita93) 2021年5月1日
インターネットで「ゴルジェ」という単語を検索し、どんな音楽ジャンルかを知ろうとしたとき、多くの人はわたしのこのブログに辿り着くか、わけのわからない記事の山に出くわして面食らうことだろう。
知ろうとすればするほどわけがわからなくなり、知ってしまうと逆に誰かにこれが何なのか説明することが難しくなる。それはゴルジェがアートではなく、もしかしたら音楽ジャンルだからでもなく、呪いだからだ、というのは考えすぎだろうか。
TR-808×山×ゴルジェという化学反応が何を生み出すか、または何も生み出さないか。
このアルバムが答えだ。
解答のないこの投げかけは、先に引用したコインロッカー・ベイビーズの最後のセリフと重なる。
聞こえるか? 僕の、新しい歌だ。(文庫版 P.562)
2021年山の日。刮目してこの瞬間を目撃せよ。
そう問いかけられているように思えてならない。