ありがたいことに「こういう記事を書いてくれませんか」というお問い合わせをいただくんですけれども、お断りすることも、あります。
お断りする理由として、「その分野に明るくない」であったり、「その記事をわたしが書く理由がない(書いた記事で何かに貢献できる気がしない)」だったりするんですけど、なんかこう、これこれこういう経歴でこれこれこういう人だから、この記事には読む価値がありますよ、みたいなのを求められると、わたしには無理だなーと思ってしまう。(本業とインターネットでの活動を紐付けていない、というのも大きいんですけどね)
媒体が何らかの文章を載せる場合、ソーシャルプルーフの重要さってもちろんあって、「どこの誰だか知らない人」が書くマーケティング論より、「○○社の××事業部で事業部長をやってきた人」が書くマーケティング論の方が、読む価値あるっぽく感じますよね。
もちろんわたしもこのブログがあって、「インターネットの備忘録を書いているはせおやさいさん」として読んでくださっている人たちがいるおかげで執筆のご依頼があり、寄稿できたりもしているんですが、なんか、表現難しいんですけど「ただの老人として言ったら誰も取り合ってくれなかった主張なのに水戸黄門だって分かった瞬間にみんな平伏〜」みたいな、正しいことは誰が言ったって正しいだろ、みたいな前提が、揺らいでしまう気がしちゃうんですよね。
ただこれはわたしがインターネット上の執筆活動をリアル社会と切り離してやりたいと思っているせいもあると思うし、もし、自分の名前で何らかのブランドを確立していきたいと思うのであれば、自分の経歴をアピールするために執筆もおこなう、というのはアリだと思うので、それはそれ、という感じでよいかと思います。
とはいえ、わたしが好きなインターネットって、何の権力もバックグラウンドもない人が、面白いことやいいことを書けばそこにちゃんとスポットライトが当たる世界だし、そっちの世界もずっと存在していて欲しいと願っているので、わたし自身もずっと市井の人として書いていきたいなと思ったのでした。
とかいってこれで実生活でめちゃくそ出世したり本名で書籍出版して名前が売れたら手のひら返ししないとも断言できないのですが、まあ今のとこはそう思ってますよ……ということで。
ほろ酔いの勢いで言いますが。昔近藤さんが、ふとしたときに、社会はたまたま対面でのコミュ力がある人間が有利になってる。でも、テキストでのほうが上手だって人間は世の中にはたくさんいる。そういう人のためのサービスをおれたちは作ってるんだって言った時があって、俺はそれに感動した
— Naoya Ito (@naoya_ito) 2014, 7月 6
今日はそんな感じです。
チャオ!