今さらですが乗っかります。言いたいことはタイトルに書いた!以上!
「自己肯定」と「自己正当化」の境界 〜 “ありのまま”に諦める - ぐるりみち。
「自己肯定」と「自己正当化」に関してだいたい結論が出た - 生きづらいふ
自己正当化と自己肯定は受け入れられるか否か。 - 頑張らない日々
自己否定感からの脱却 自己肯定と自己正当化 : まじめ系クズの日常
ということで本件に関してはいろんな人が「オレなりの自己肯定と自己正当化」を個性豊かに書いていて、わーこういうのちょー面白い!と思って興奮しました。みんな人それぞれの捉え方があったり、まつわる考え方があるんだなー。
こういうの最高に面白いですよね。
ということでわたしも個人的な意見を記します。
わたしにとっての「自己正当化」とは、「わたしは間違ってない!」と言い張ること。
「言い張る」という言葉を選んだ理由として、「正当」に「化」がついてるってことは、実際には自分でも「正当ではない」と思ってる/疑ってる/不安に思ってる状態なんじゃないですかねっていうこと。
子供の頃から強情で頑固者と言われ、何か反論されると「そんなことないもん!」とムキになって言い返し玉砕することを続けて数十年のわたしが言うんだからほぼ間違いないと思ってもらってもいいような気がしなくもない。
良いことか悪いことかどうかには言及しません。良いことなときもあるし、悪いことなときもあるから。「自分は絶対に間違っていない!」と強く思うことで、死にたくなる気持ちを押し込めて乗り切ったときが、たくさんあるからね。
そんでもって「自己肯定」とは「間違ってるとこも含めて自分!」と笑っちゃうこと。すなわち「てへぺろ(・ω<)」です。
大事なのでもう一度言います、「てへぺろ(・ω<)」です。
あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。
すなわち、「これでいいのだ」と。
赤塚不二夫氏の「これでいいのだ」を、タモリ氏が弔辞でこうやって表現したように、いろんな機微をスパーンと一言で表せる力を持つ単語があるとしたら、「自己肯定」についてのそれをわたしは「てへぺろ(・ω<)」と呼びたい。
ちゃんと自己肯定して生きていく、つまり、明るさ、可愛らしさ、前向きさ、人間くささ、そしてちょっとだけ感じるウザさ、みたいなのがごちゃーっと混ざってるのに、どこか軽やか、っていう、そういう感じで生きていきたいと思っています。
でもけっこーむずかしいよね、自己肯定して生きていくの。
わたしは「他人のありのまま」を肯定できるようになったら、自分のことも肯定できるようになった気がします。そっちのが、人生はうーんと素敵になると思う。
醜いものを消し去って、素敵なところ、良いところを見つけていける目を持てるようにしたいなーと思います。
「あなたはただ存在するだけで素晴らしい」 - インターネットの備忘録
今日はそんな感じです!
チャオ!
赤塚不二夫対談集 これでいいのだ。 (MF文庫ダ・ヴィンチ)
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