インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

社会人にとってメンタルヘルスケアは必須スキルになると思った話

coralcap.co

メンタルヘルスの不調は、決して“もろい”人たちだけに起こる問題ではなく、一流の起業家であっても普通に経験することです。

メンタルヘルスは事業持続性に関わるCEOの重要スキル | Coral Capital

この記事と記事へのリアクションをみて、メンタルヘルスの不調についての認識が変わってきているのを実感した。ちょうど先日、ALL YOURSの創業者である木村氏が退任、というニュースを見て、創業者でも辞めていいし、辞められる組織というのはとても素晴らしいな、と感じていたところ。

 

わたしはスタートアップの立ち上げ期・もしくは第二次創業期のタイミングで入社することが多く、そうでなくても事業部立ち上げのようなフェーズ、みんなが躁状態でないと乗り切れないような状況に飛び込んできたので、その中で心身の健康を損なう人を自分含めて複数見てきた。

そういう状況に陥ったとき、つい自分を責めてしまう気持ちは分かる。もっとやれたのではないか、自分が至らなかったのではないか、と思ってしまうほうが、手元の情報で想像できる「ありえた未来」の可能性が広がるからだ。

でも現実問題、そこに手が届かなかったのであれば、それは「ありえない未来」として割り切ることが必要だとも思う。また、自分には「できない」ことが「ある」と正直に捉え、まわりに周知していくのも大切だと思っている。

以前、こんな記事を書いた。

cybozushiki.cybozu.co.jp

「弱み」を隠すのは、トラブルのタネを隠すこと

わたしたち(たとえタフな状況にたえまなく立ち向かう一流の創業者だとしても!)には誰でも弱くもろい面があり、どんな人でも、ふとした瞬間に心が折れそうになることがある。でもそれは悪いことではなく、だからこそ見える世界があるだろうし、気付ける痛みがあると思うのだ。

ここで冒頭の話に戻るのだけれど、少なくともわたしが社会人として仕事を始めた頃に比べて、はるかにメンタルヘルスの問題は身近に、カジュアルになってきている気がする。それは時代の変化かもしれないし、多様性に富んだ生き方の普及による気づきがあったからかもしれない。わたしたちは工業製品ではなく、個別に生きている、でこぼこのある人間なのだ。当たり前のことなのだけれど、そのことを「言ってもいい」状況になってきたのを、嬉しく思っている。

では、そんなでこぼこのあるわたしたちがどうやって働き、生きていくかというのを考えていくと、弱さが「ある」という前提でタフな状況をどう乗り越えていくか、自分をどうセルフケアしていくかが社会人としての必須スキルになっていくのだろうと思っている。

時間をどうコントロールするかのTipsのように、メンタルヘルスケアをどう施していくかの様々なTipsがたくさん広まり、共有されたらいいなと感じている。時間はすべての人に平等だけれど、様々な時短・時間捻出テクニックで乗り越えられることもあるように、人間としてのでこぼこを、それぞれの人がどう乗りこなしているかを知るのは多くの学びがありそうだ。

投資家がメンタルヘルスを重視すれば、起業家は安心して予防や対応に取り組むことができます。起業家がメンタルヘルスを重視すれば、その会社の社員たちも長期的に安定したモチベーションとパフォーマンスの素地となるメンタルを構築できるようになります。

メンタルヘルスは事業持続性に関わるCEOの重要スキル | Coral Capital

そのためにこういった情報が発信されるのはとても素敵なことだと思うし、メンタルヘルスケアについて偏見のない投資家や起業家、経営者や働き手が増えるのは、良い連鎖を生むと思う。

 

ということで、最近の個人的おすすめコンテンツを置いておきます。

www.netflix.com

もしあなたが会社で従業員に対し何らかのケアを提供したいと考えているなら、こんなサービスもあるので検討してみてほしい。(手前味噌ですみません)

smart-sodanshitsu.co.jp

体験談はこちらからどうぞ。

note.com

つまらなくて美しい、ありふれたわたしの人生

jp.quora.com

10代の頃、母親と同じような人生は絶対に歩みたくないと思っていた。

専業主婦で2人の娘を持ち、働きに出るのはパートくらい、常に家に居て、子どもと夫の帰りを待つ。母親の口から父親や生活の愚痴が出るとき、それが冗談めかしたものであったとしても、幼いわたしにとってはとても心がざわつくもので、聞いているのが本当にいやだった。

自分にしかできないことを。世界を変えるような何かを。

そんなことを夢見て、学んだり働いたりしてきたけれども、実際、凡人である自分ができることには限度があって、それを認めるのにだいぶ時間がかかったように思う。結婚もそうだった。最初の結婚は、まだなんとなく夢を見ていた。結婚は生活なので、夢を見たままではうまくいかず、離婚した。そうして今の夫と出会い、自分の足の置き場のようなものが分かってからは、ぐんとパートナーシップが楽になった。

わたしは頼りなくてだらしない、ただひとりの女で、それを苦笑いでサポートしてくれる夫にたびたび小言をいわれるくらいが、ちょうど良かった。働き方もそうだ。フリーランスや時短勤務も経験したが、やりすぎてもやらなすぎても無理で、なんとなく「ここがちょうどいいな」という働き方があり、それは誰かと比べなくてもいいことだった。

結婚して離婚して、再婚して子どもをもうけ、会社員として働き、家族を養う。経済的に頼りない夫を支えるくらいのことはできるが、それ以外はからきし駄目で、我が家のハウスキーピングは夫なくして成り立たない。家事も仕事もフルパワー!というハイスペックなワーキングマザーには、到底なれなかった。

そんなことを考えながら今に目をやると、転職してもうすぐ3ヶ月、ほぼフルリモートで、毎日同じような日々を過ごしている。朝、娘を保育園に送り出してから始業し、あくせく働き、終業したら慌てて夕食の準備にとりかかる。家族で食事をする。まだ幼い娘をお風呂に入れたり寝かしつけたりしていると、あっという間に22時で、たいしたアウトプットもインプットもできないまま、インターネットを漠然とさまよって、眠りにつく。

なんてありふれた人生だと思う。

だが、わたしにとってはつまらなくありふれたこの生活が、何より美しい。

母親も、きっと同じだったのだろう。毎日は忙しく、苦しいことや悲しいことを乗り越えて、夫と家庭を守っていくのは簡単なことではない。実際、わたしの反抗期はすさまじいものだったと思うし、何度も両親と衝突した。それでも大切にされた記憶は、わたしの中からなくならない。その思いがいま、同じように子育てをしている自分を支えてくれているのだ。

 

これが生活なのだ、と思う。母親の生き方も、わたしの生き方も、それぞれの生活だ。生きた時代や価値観が違っただけで、母親も同じように、必死で生活を営んでいた。それは傍からみたらありふれてつまらないものかもしれないけれど、かけがえのないものだ。

生活は消費されず、大切に研磨され、輝きを増す。日々は人生という石を磨くための「やすり」のようなものだ。たくさんこぼれおちていくものもあるけれど、よく見ると小さくぴかぴかと光っている。

わたしの石はセレブやお金持ちと違って、ささやかな輝きかもしれないが、こぼれおちたものも含めて宝物で、誰にも渡したくないと思う。こうやって何かを大切にし、それを胸に抱いて年を重ねることが、生きていくことなのだと感じている。

 

大切にする「何か」は家族でもいいし、もちろん自分自身だっていい。誰に否定されるものではないし、見せびらかすものでもない。ああ、大切だなあ、としみじみ思いながら、日々によってそっと磨いていけばいい。

そんなふうにして、これからも生きていければいいなと思っている。

今日はそんな感じです。チャオ!

株式会社SmartHRに入社しました。または所属をあきらかにすることの功罪について

2021年9月1日より株式会社SmartHRに入社しました。コミュニケーションデザイングループに所属し、1人目のディレクターとして働くことになります。

今まで所属企業を明かさずに活動してきて、基本的に良い面ばかりだなと思っていました。所属企業の印象で自分のイメージを左右されることもないし、発言に気を使う必要もなかった。

そしてわたしが親しんでいたインターネットという文化は基本的に匿名(というかハンドルネーム)で、わたしはこのハンドルネームだけでどのくらいのところまで行けるのかを試してみたかったというのもあります。

でも今回の転職でいろいろと思うところがあり、何よりSmartHRっていい会社だな〜、こういういい会社もあるんだって知ってほしいな〜と感じたので、経緯とともに入社エントリを書いてみようという所存です。

なぜSmartHRに入社したのか

かんたんにまとめると3点です。

  • プロダクトに愛着を感じられたから
  • 働きやすさのサポートレベルが異様に高いと思ったから
  • 面接の体験が非常に良かったから

まずSmartHRがなんの会社かというと「全国4万社以上が登録するシェアNo.1のクラウド人事労務ソフト」をSaaSで提供している会社です。ということで前職に入社したときに雇用される側としてSmartHRを利用する場面があったのですが、本当に楽だった。

以前いた2,000人規模の大企業では、入社の際に3センチくらいある紙の書類が送られてきて1枚1枚目を通し、必要なものと不必要なものを振り分けて署名捺印して返送しなければならず、ペーパーワークが苦手なわたしは非常に苦行だったのですが、それがオンラインで完結してしまう、という体験は素敵なものでした。

わたしはインターネットを使って人の困りごとを解決したい、あわよくば生活の中に何か素敵なものを提供したい、という信念のもと20年くらい働いていました。なのでこの製品すげえ!こういう体験いいよね!と実感できていたSmartHRは、すでに面接前からプロダクトへの好意を持っていたのでした。  

働きやすさの面でいうと、オープンにされている会社紹介資料にもあるように、コアタイムなしのフレックス制、入社日にいきなり15日の有給付与(通常は「働き始めた日から6ヶ月以上」「期間中継続して8割以上出勤」した時点で10日の付与)というのは強力で、3歳の子どもを育てながら就労しなければいけない身としては、こんなありがたいことはないと思います。

単身社員にもメリットは大きいと思いますが、子育てしていると子どもの急病やケガなどで突然休まなければいけなかったり、朝ちょっとだけ遅れたい…お迎えで30分だけ抜けたい…みたいなのが頻発します。

そういうケースにも柔軟に対応するよ、という気概を感じて、うわーここいいな、ここなら時短制度なしでも働けるじゃん!と強烈に思いました。(ちなみに入社後1年は時短制度が使えません、みたいに在籍年数で制限をかけられる会社もまだ多い)

speakerdeck.com

最後の「面接での体験」なんですが、以前エントリーで書いたように、今回の転職活動では書類で落ちまくり面接でも職歴の多さや在籍歴の短さばかりを突っ込まれて、過去じゃなくてこれからの話しをさせてくれよと辟易していました。

hase0831.hatenablog.jp

そこへSmartHRでの面接は基本「どんなことができますか?」「これからどんなことがしたいですか?」というような、「現在」および「未来」の話が中心だったので、非常に印象が良かったのです。

また特徴的だったのが「前職の給与を聞かない」という面。正確には「現年収・希望年収を聞かない」というポリシーで採用しているという変わったやり方をしているのですが、これが個人的にはとても良かったです。

blog.shojimiyata.com

わたしは前職では立ち上げ期の超スタートアップにいて、イレギュラーな勤務体系&超時短という変わった働き方をしており、勤務時間の短さと会社のフェーズに応じて給与も前々職に比べると低めでした。(ちなみにそれでも充分検討いただいた額です!)

なので次の転職で「現年収がこれくらいなら、次はこれくらいで……」みたいに引きずられて低めの年収提示になるのは厳しいなと思っており、そういう意味では「現年収は聞かない。希望年収も聞かない。期待している役割にいくら払えるかだけでオファーします」というのは非常にシンプルで気が楽で、同時に「このくらい期待されているんだな!」と気持ちが引き締まるという意味でも、とても良かったです。

あと人事の人に「子育てしながら働いてる人ってどんな感じなんですかね〜」とポロッと伝えたところ、すぐに現場の働くママとの雑談面談を組んでくれたのも、めちゃくちゃ嬉しかったです。そういう細かく素早く動いてくれることが全般的に多く、候補者をとても大切にしてくれる企業なんだなと感じました。

で、ここから本題。

なぜいままで所属企業をあきらかにしていなかったか

これはインターネットという魑魅魍魎が跋扈するフィールドで活動する上で本名や所属を明らかにするのは相手に攻撃の材料を与えうるということでもあり、自衛のために公開しないという意図があったのですが、また1つ別の理由があったりもします。

わたしがブログを始めた前後、イケイケの上場ベンチャーから、友人が経営する小さな会社に誘われて移ったのですが、そのとき別の友人からこんなことを言われました。

「今まではお前の名刺を欲しがる人が列をなしていたかもしれないけれど、それはお前が会社の価値を背負っているから。転職して、何のネームバリューもない会社に移ったお前の名刺には何の価値もなくなる。その価値を作るのはお前だ」

酔ってたのでうろ覚えですが、まあこんなことを言われまして、なんかすごく悔しかったんですよね。わたしはわたしの実力や価値があって、会社なんて関係ない!と息巻いていたんですが、まあ実際は彼の言う通りでした。アポが全然取れなくなる(時間をもらえない)とか、ちょっとした相談に乗ってもらえなくなるとか。

そういう悔しい思いもあり、◯◯社の△△さん、というのから自由になった場所で、自分の意見や文章だけでどこまでいけるんだろう?と思ったのがブログを始めたきっかけのひとつだったりもしました。

そんな思いでブログを始めて13年、いろいろありましたが「はせおやさい」名だけで仕事をさせてもらえることも増えたし、ここでわたしがどんな企業に所属していたとしても「◯◯社のはせさん」と色眼鏡で見る人はごく一部だろう、という自信がついたのだろうと思います。

なぜ所属をあきらかにすることにしたのか

これは最初に書いたようにSmartHRいい会社だよ〜というのを表明したくなった、というのと、わたし自身が20年働いてきて、そろそろ社会人人生の折返し地点に来て、考えが変わりつつあるから、というのが大きな理由です。

20年働いてきて、思ったことが3つあります。

  • 自分のやった仕事のアピールは、ちゃんとしていく必要がある
  • それはオフラインの場に限らず、オンラインの場でも重要
  • さらに今後のキャリア(転職も含む)において、オンラインでの発信は必須になってくるのでは

ということ。

cybozushiki.cybozu.co.jp

この記事でも書いたのですが、やはり自分という個人がどんな仕事をしていて、どんなことをやったのかのアピールというのは、常にしておくと良いことがあるし、今回のようにお声掛けしてもらえるチャンスを増やしていくきっかけになりうるんですよね。

特にこれからは東京の企業以外からもお声掛けがあるかもしれないし、副業として関わることでわたしの能力がなにかの役に立つこともあるかもしれない。

であれば、ごく身近な人に向けてだけ「転職しました〜」と報告するだけではなく、インターネット上にも「こんなことしてますよ〜」をログとして残しておくのも重要なんじゃないかな、というふうに考え方が変わってきています。

みたいなことを考えていくにつれ、実験として、所属をあきらかにした上で、仕事や思ったことについてのびのびと書く、というのを両立できないかな、と思うようになりました。

「SmartHRのはせさん」として仕事について発信することで、会社とわたし自身、両方のいい面をアピールしていけたらいいな…と思いますし、そういう仕事ができるようにしていかなければ、という自分への宿題でもあります。

また、SmartHRも社内報をオープンにしているくらいのオープンさなので、そこに影響されている面もあるかもしれません。いずれにしろ、オープンにしてもいいかなと思ったタイミングに乗ってみるのは、そろそろやってもいいかな、と思っています。

note.com

ということで長々と書きましたが、まとめるとこんな感じです。

  • いい会社なので、入社したことを公開したくなった
  • 自分の名前で仕事ができるようになって、自信がついた
  • 今後のことを考えて、思い切って実験してみたくなった

これが功を奏するかは分かりませんが、いずれにせよ与えてもらった役割を全力で果たすべくやっていこうと思っておりますので、あらためてどうぞよろしくお願いいたします〜!

 

採用情報はこちらにまとまっていますので、ご興味があればぜひ!

smarthr.co.jp

今日はそんな感じです。

チャオ!

俺の屍を越えてゆけ

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丸まる猫(2021ver.)

本日お誕生日を迎えました。

もう人生の折返し地点を過ぎたのだ!と思う気持ちと、まだもう半分あるの!ヒェ~という気持ちの両方があり、大変。

 

直近でいうと、この間エントリーにもしたのですが、転職します。マジ大変だったけど、素敵な会社にご縁ができてよかった。気持ちは焦りましたが行動は焦らなくてよかったな〜と思っています。めっちゃ嬉しいです。

hase0831.hatenablog.jp

明日には入社エントリーを公開予定。今度は所属をオープンにして働こうと思っているので、その心構えを書きました。

 

あとは娘が無事に3歳になり、七五三の前撮りをしてきました。七五三、いろいろ見ていると「満3歳」でやるとかやらないとか諸説あり、本当は昨年やっても良かったのですが、コロナ禍でどうしていいか分からなかったので延期してしまっていたのを今年やった感じです。秋にちゃんとなんかお参りみたいなのをやる予定。

 

子どもが産まれると、行事ごとって思ったより多いな〜というか、きちんとやろうと思えば思うほど、たくさんやることが出てきます。なんだこりゃっていう行事もある。お食い初めとかね……うちはやりませんでしたが……。(一升餅はやりましたね)コロナ禍で人と集まりにくくなり、わたしの祖父母も全員他界して、親戚づきあいも減ったので、やるモチベーションが上がらなかった、というのもあります。

 

でもいろんな行事ごとの由来を調べていると、本当に昔は子どもが死にやすく、毎年を生き延びられただけでも、それはそれはめでたかったんだなと言うことがわかります。後付けの理由かもしれないけど、それでも「健康であれ」「長生きであれ」という祈りをビシバシ感じる。そう思うと、わたしも娘をしっかり守っていかねばという気持ちになって、引き締まりますね。(あとこの「娘」という呼び方も、これでいいのか迷わないこともないのですが、それはおいおい考えるということで……)

 

七五三の前撮り、けっこうなお金もかかるし自己満足だよな〜と思っていたのですが、娘は意外と楽しみにしていたようで、自分で選んだ和装とドレスを着て、ちゃんとお化粧してもらった姿は、とっても嬉しそうでした。子どもを産むのも育てるのも自己満足で、子ども側の都合おかまいなしにいろんなことを進めざるを得ないので、なんか「悪いね」という気持ちもあるんですが、その中でもしっかり自我を育み、あれが好きでこれはイヤ、をはっきり表明してくるようになったのはすごく面白い。成長〜!という感じがします。

 

あと夫との関係も、だんだん「両親」というロールが増えてきた気がします。友だちから恋人に、恋人から夫婦に、夫婦から両親に……という感じで二人の関係性が増えていくのは面白いです。そして子どものこれからについて話し合うとき、おのずとわたしたち夫婦の「これから」も語らざるを得なくなる。生活のこまごましたこともそうですし、どういうふうに生きて死ぬか、どうしたいか、みたいなことを話し合う機会が増えたので、こうして人間ってレベルアップしていくんだな〜というのを実感した1年でした。

 

執筆のお仕事も続けています。でもやっぱりわたしの軸足は会社員で、働く一人の人として考えたり感じたことを発信していきたいなと思っているので、ライターとかコラムを書く人としてそれだけでやっていくことはなさそうだな、と思っている2021年の夏でした。引き続き、お話をいただいて、お役に立てそうと思うものは引き受けていきたい所存。

 

あれですね、今年の誕生日エントリーを書くにあたり、過去の文章を読み返したんですが、暗いね。暗い。鬱々と考えてばっかりな人生ですが、それを書き残すことで誰かのためになれば嬉しいという気持ちは変わっていませんので、みなさんどうぞ俺の屍を越えてゆけという感じでひとつ、引き続きよろしくお願いいたします。猫も元気でやってます。猫はもう8歳だよ〜!

 

今日はそんな感じです。
チャオ!

ゴルジェ・イズ・ノット・デッド/2021年山の日によせて

2021年8月8日。一般的に大きな話題でいうと東京オリンピック2020の閉会式が行われるこの日に、GORGE.INから新しい音源が公開された。

日本のトラディショナルなセレブレーション・デイである「山の日」。
2021年の今年はスポーティな理由から「8月8日」となった。


「808」という数値で我々が想起するのは、もちろんROLAND TR-808である。数々のテクノ/エレクトロ・ミュージックを生み出したドラムマシーンの名器だ。
ただし、TR-808のエレクトロニック過ぎる響きは、ゴルジェという音楽から誕生から数十年の歴史において不遇の取り合いを受けたと言わざるを得ない。

 

舞台は整った。
2021年、808、山の日。
この日において、「TR-808×山×ゴルジェは可能なのか?」という問いの答えを出すブーティストが集った。

out.gorge.in

このブログでは2013年にこのエントリーでゴルジェを取り上げて以来、断続的に記事を書いてきたけれど、この数年は言及することもなく令和を迎え、そしてオリンピックイヤーである2021年を迎えることとなる。

hase0831.hatenablog.jp

新しい未知の音楽ジャンル「GORGE」がかかるメインイベント「ヤマノヒクラブ」はここ数年、2019年・小倉で開催、2020年はコロナ禍を受けてオンライン上で開催というように、時間と場所を超えて活動の場を広げてきていたけれど、コロナ禍が拡大し緊急事態宣言下でもある2021年のサプライズは、音源のみのリリースとなったようだ。

これはゴルジェエヴァンジェリストであるhanali氏の福岡移住が関与しているとかしていないとか様々な憶測があるけれど、GORGE.inのメンバーが様々なライフイベントを迎えたりコロナ禍での配慮があったりと、気軽に集えなくなった影響もあるだろう。確かにTwitter上を騒がせていた「ゴルい」という言葉も最近ではすっかり鳴りを潜めたような印象がある。

 

では、ゴルジェは死んだのだろうのか?カルト的熱狂はやはりクローズドな環境で、夜のクラブで、閉じられたオンラインコミュニティで、人々の口伝てでしか伝播することはないのだろうか?

だとしたら、ゴルジェは死んだのか?山は死にますか?風はどうですか?空もそうですか?おしえてください。…とさだまさし防人の詩』を引用するまでもなく、山は死なない。風や空が死なないように、山は死なないのだ。

ゴルジェにはGPLというものがある。

Gorge Public License。

  • タムを使うこと
  • それがゴルジェだと言うこと
  • それがアートだと言わないこと

この三つに準拠すれば「ゴルジェ」である、というものである。

この原則に沿うのであれば、「これがゴルジェだ」と言ってしまえば、すべてはゴルジェになる。タムを使い、これがゴルジェだと言い、そして決して「これがアートだ」と言わないこと。それであればどんな楽曲も「ゴルジェ」として内包してしまうアメーバ的流動性は、様々な楽曲を「ゴルジェ」の中に取り込み、様々な音楽を、ひとつの「ゴルジェ」として飲み込んでしまう恐ろしさもある。

この定義で思い出すのは、村上龍『コインロッカーベイビーズ』で描かれる主人公「ハシ」と「キク」の関係だ。コインロッカーに嬰児で捨てられた「ハシ」と「キク」は孤児院で出会い、互いに依存関係となる。その関係性は「肉体と病気の関係」として描写される。

キクとハシは肉体と病気の関係だった。肉体は解決不可能な危機に見舞われたとき病気の中に退避する。(文庫版 P.11)

 ここで言われる「精神」というのは歌の才能に長けるが精神的な不安定を抱える「ハシ」のことで、「肉体」というのは優れた運動神経を持つ「キク」のことである。

ふたりは1人であるかのように、互いに依存し、「ハシ」が大きな声で泣いたり怯えて震えたり叱られていないのに謝ったりする時、「キク」は表情を変えずにいつまでも「ハシ」の回復を待った。

「肉体」=フィジカル(物的リリースや物理的イベントの開催)が解決不可能な危機に見舞われたとき、病気の中に退避するとしたら。イベントが開催されない間にも熱病的流行は我々の精神の中に深く静かに進行しているのではないだろうか?

アンダーグラウンドなクラブシーンで密やかにしかし熱狂的に広がっていた「ゴルジェ」が、その「フィジカル」な場を奪われたとき、その熱狂はどこに身を潜めているのだろうか?

それが8月8日、東京オリンピック閉会式のスタートとともに、名機として評価されるTR-808(ローランド社が1980年に発売したリズムマシン)と、スポーティな理由で無理やり移動させられた「山の日」、そして「ゴルジェ」が掛け合わさったからというシンプルすぎる理由でおこなわれた新譜リリースに、関係してはいないだろうか?

 

 インターネットで「ゴルジェ」という単語を検索し、どんな音楽ジャンルかを知ろうとしたとき、多くの人はわたしのこのブログに辿り着くか、わけのわからない記事の山に出くわして面食らうことだろう。

知ろうとすればするほどわけがわからなくなり、知ってしまうと逆に誰かにこれが何なのか説明することが難しくなる。それはゴルジェがアートではなく、もしかしたら音楽ジャンルだからでもなく、呪いだからだ、というのは考えすぎだろうか。

 

TR-808×山×ゴルジェという化学反応が何を生み出すか、または何も生み出さないか。
このアルバムが答えだ。

out.gorge.in

 解答のないこの投げかけは、先に引用したコインロッカー・ベイビーズの最後のセリフと重なる。

聞こえるか? 僕の、新しい歌だ。(文庫版 P.562)

2021年山の日。刮目してこの瞬間を目撃せよ。

そう問いかけられているように思えてならない。

子持ち40代女性コロナ禍での転職活動マジきつかった

今日、内定承諾書にサインした。

9月1日から新しい会社で働くことになるのだけど、転職活動、マジできつかった。エージェント経由の応募では、書類選考で落ちまくった。たぶん30社くらい落ちた気がする。もっとかな。書類で落ちまくっていた数週間はネガティブ思考に陥り「今のキャリアを維持することは諦めたほうがいいのかも」と思いつめていた。

結果として「行きたいな〜」と思った会社へリファラル(中の人から紹介してもらって面接に進む)でお話が進み、これを逃すかと全力で取り組んでいたらトントン拍子で入社が決まった。

でも、今回の転職がなんとかなったのは、30代のうちに種を蒔いておいたことがポツポツとつながったからだなという感じがしたし、実際そうだと思う。

わたしの周りには30代の友人が多く、将来ミドル世代で転職することに不安を感じている人もいるだろうと思うので、率直に備忘します。

40代での転職活動、甘く見てた

ここ10年は基本的に「誘われて転職する」パターンだった。なので今の会社を辞めると決めてから、久しぶりに求人サイトに登録したりエージェントと話をしたりするなどの転職活動をしたのだけど、まず情報が全然ない。

正確に言うと、いい事業をしている会社だなと思うところはたくさんあるし、そういう意味ではいろいろ知ってるんだけど、その会社がミドル世代にどういう期待をしていて、採用したいと思っているかが分からない。

わたしのキャリアはネットベンチャーのディレクター職がメインなので、自然と次の会社もそういう界隈で探していたのだけれど、一般的に表に出ている情報は20代〜30代前半をターゲットとしている求人ばかりで、40代ミドル層の求人はあまり表に出てこない。ミドル層をターゲットにした転職サイトもあるけれど、経営幹部とか、営業部長とかの求人が多く、どうもしっくりこなかった。

そもそもコロナ禍で新しい求人を控えている企業も多いという。あれ?なんか昔やった転職活動とはわけが違うな?と、ここで最初の焦りを感じ始める。

書類がマジで全然通らず、焦って対策を始める

人から誘われて入社することが多かったので、あまり気にしていなかったけど、社歴が多いことをネガティブに捉えるエージェントが多かった。あと、子どもがいてまだ保育園で、朝の送りや夜のお迎えがあることを気にする人もいた。

時間の自由になる夫が代わりにやってくれるので、そこは柔軟に対応できます、と言っても「子どもがいる40代女性」のくくりに入れられて、時短じゃないと無理ですよね、と言い切られてしまうのはつらかった。リモートならフルタイムでもいけます、と言っても、難色を示されたりもした。

あと、マジで舐めてたな自分、と思って反省しているのだけど、職歴書の見直しが甘かった。前々回くらいの転職でレビューしてもらった職歴書に、最近の職歴を追加しただけで、全体を通してのストーリーが描けていなかったと思う。

要するに「キャリアに一貫性があり、フレキシブルに働けると理解しているのは自分だけ」という状態になっていた。柔軟に働けることは面接でアピールすればいいけれど、職歴書には載せられない。そのためにも「強い職歴書」を作らねばいけなかったのに、そこをサボっていた。

今振り返ってみれば「この書類じゃ落ちるよな〜」と思うけど、久しぶりすぎてピンと来ていなかったのだ。

自己紹介にはストーリーと背骨を通すのが重要

あまりに落ちまくるし、30代のときのようにあちこちから声がかかるわけでもない。さらにコロナ禍で人との交流が減っているので、転職意欲を伝える機会もほぼなかった。これはいよいよマジで対策しないとやばいかも、と思い、改めて自分の自己紹介を見直した。

40代で社歴が多いと、説明することも多くなり、定型文での自己紹介が難しくなる。「新卒で◯◯を経験し、キャリアアップを目指して転職、現職では◯◯として△△の業務を担当しています」みたいに端的に言えないので、もっと俯瞰で見た自分のキャリアをストーリーとして描き、背骨を通したプレゼンをする必要があった。

20年前、新卒で入った会社で身につけたスキルなんて陳腐化しているし、自分がアピールしたいのもそこではない。でも社会人として最初に選んだ仕事には自分の本質が現れているとも思うので、省かないけれど説明もしすぎない、もっとも重み付けするのは直近の仕事だけど、そこまでの積み重ねもちゃんと伝わるようにする、みたいな感じで自己紹介を改善して、練習していった。

なのでエージェントから「ちょっとこれ提案ズレてない?」と思う求人が来ても、話してみてくれるならなるべく会って、自己紹介の練習を重ねた。

リファラルには全力で飛びついた

上記の理由と同じで、あまりマッチしていないんじゃないかな?と思うポジションでのリファラルが来ても、断らずにどんどん会うようにしていた。

話していくうちに「あー、やっぱり合わないかな」と思っても、相手のリアクションで自分のキャリアのどんなところが企業の採用担当にとって興味をひくのかが分かるし、いつどこでどんなめぐり合わせになるか読めないのだから、基本、全力でアピールすることにした。

結果、正社員として迎えるのは難しいけれど、単発のライティング仕事があれば依頼したい、みたいな感じでつながることもあったりで、何がどう転ぶかはわからないなと思った。

とはいえ、リファラルでもまず書類選考から……という企業もあったし、「カジュアル面談です」と言われたのにいきなり「志望動機は?」と聞かれてガックリ来ることもあった。スカウトとして連絡が来て色々対応したのに「すみません、やっぱりもっと若い人を採ります(意訳)」と言われてムキーッとなったこともあった。

要するに、30代のときの転職よりむちゃくちゃ時間がかかった。コロナ禍で派手に採用しているところが少ないというのもあるし、マネジメント制度の見直しタイミングで、ミドル世代の採用まで手が回らないという会社もあったように思う。

「40代の転職は、準備に時間と金をかけろ」

そんなこんなで諦めかけていたところに、薄い交流のあった人からFacebook経由でお声をかけてもらう。その方も転職したばかりだ、というその会社は、1年以上前、人づてにカジュアル面談で訪問したことがあった。

事業にも会社にも好意を持っていたので、再度カジュアル面談から……という話になったのだけど、人気企業だというのも知っていたので、半ば諦めモードだった。

しかしカジュアル面談でいろいろ話を聞くうちに、懸念だったポイントがクリアになり、現場的には育児と仕事の両立も当たり前、自由に柔軟に働けて当たり前、という感じだった。むちゃくちゃ良い会社じゃん、と感じ、この会社に入りたいな〜と思うようになった。

 

ここでこの記事を目にして、あっ、そうだよな、と気付く。

zunzun428blog.hatenablog.com

つまりは30代後半40代の転職は、

「自分を信じるな。準備にめちゃくちゃ時間と金をかけろ」

ということなんですよ…。

ここ大事なので、100回くらい読み返してほしい。

本当に本当に、自分は自分のキャリアに自信を持って、ありのままでいけると思っていても、そこを信じずに、準備に時間と金をかける。これに尽きると思う。

わたしは幸いに金をかけずに済んだけど、これに気付くまで、すごく時間がかかってしまった。たぶん半年以上転職活動をしていたと思う。この期間、経済的にも不安でしんどかったし、精神的にもしんどかった。

必要であればキャリアコーチングなどに金を払って、第三者の目から自分のキャリアを客観視するほうがいい。そのほうが時間を少し短縮できるのではないかと思う。

エピソードを取捨選択し、物語を作ろう

ということでカジュアル面談を経て「絶対にこの会社に入りたい」と思ったところで、職歴書と自己紹介を全部やり直すことにした。

まず自分のキャリアを振り返って、わたしはこういう人で、こういう人生を歩んでいて、こういうことができる、そして、こういうことがしたい。それをいかにわかりやすく言語化して伝えるかの練習をした。

自己紹介は、長くても3分だと思う。3分でわたしのこの20年を、相手が理解して納得し「この人と働きたいなあ」と思えるような形で説明しなければいけない。ここはめちゃくちゃ時間をかけて考え、ある結論に至った。

具体的には、「1社目ではこういうことをして〜」という説明方式を捨てた。

「学生時代に何を学び→それを社会でどう活かそうと考えたか→それをどう発展させてきたか→そのスキルを貴社でどう活かしたいと考えているか」というサマリで語るようにして、各社であげた実績は、聞いている側を飽きさせないためのエピソードとして入れた。

はっきり言ってわたしの20年を3分で語るのは無理だ。でもこうしてブログを書くように、相手が興味を切らさないようエピソードを取捨選択し、話す流れを作ることはできる。そうやって自己紹介を練り上げて、思い入れがあっても引きが弱そうなエピソードは捨てまくり、濃厚特盛みたいな自己紹介を作った。

その自己紹介を裏打ちできるように、職歴書も始めから書き直すことにした。これは結果的に良かったように思う。

職歴書に自分の実績を書いて、そこから自己紹介を起こそうとすると、どうしても読み上げっぽくなってしまう。そうではなくて、まず自分の物語を描き、その詳細説明として職歴書を作っていくことで、読み通せるものになったと思う。

 

最終的な見直しには、こちらのnoteも参考にした。

note.com

note.com

今回わたしは時短での転職ではない(スーパーフレックス制なので)けれど、パイが少なく、求職者から人気のあるところでも戦える職歴書の書き方、という意味ではとても参考になると思うので、ぜひ一読してみてほしい。

「そういえば……」で運命は変わる

こうしてなんとか面接を突破し、内定承諾まで至ったわけだけれども、何がどういうご縁をつなぐかって、本当に本当にわからないなと思った。

今回の転職でいうと、わたしの活動を見てくれていた人が「そういえば……」と思い出して声をかけてくれ、転職活動で四苦八苦していたところ「そういえば……」と読んだ記事を思い出して対策を見直し、なんとか内定にこぎつけることができた。

転職はタイミングや運も大きい。でもその運を掴むための準備は、自分がしておかないといけないんだなと思う。わたしがずんずんさんの記事を読まずに(読んだとしても)対策せずボーッとしていたら、今回のリファラルもチャンスを逃していたと思うし、準備万端であっても、そもそもお声掛けをしてもらえなかったら、面接のチャンスにもたどり着けなかったのだ。

そういう意味では、3年前に書いたこの記事のような意識で動いていてよかったと思う。

cybozushiki.cybozu.co.jp

このときは「個」として活動するために、やった仕事の広報活動はちゃんとしたほうがいい、という思いでいたけれど、実際に3年たって、その活動が実ったのが味わい深い。

入社する前からあれだけど、会社が事業転換をして自分の方針と合わなくなったり、自分の家庭の状況が変わったりして、また仕事を変える必要があるかもしれないのだ。そのためにも、自分が今こういうことをしていて、こういう活動に興味がある、というのは、今後も引き続き周りの人にアピールしておいたほうがいいのかもしれない。

最後に

ということで長かった転職活動を振り返ってみたけれど、本当に大変だった。大変だったけれど、自分のキャリアを見通せてすっきりしたし、好きな相手と両思いみたいな感じで転職することができるのは、本当にうれしい。

あと20年とか30年とか働く上で、また社会情勢が変わったり、わたしの興味軸が変わったりで、会社を移りたいときが出てくるかもしれない。そういうときに、不満を言いながら同じ会社に居続けるのではなく、自分のキャリアに自信を持って、新しい場所を選べるようにしていたい。

そういう視点からも、今回の転職活動で描くことができたわたしの物語というのは、意味があったように思う。この物語に継ぎ足し継ぎ足しで、秘伝のタレのように、また新しく素敵な物語を作っていこうと思っている。

新しい場所を選ぶ、というのは本当に大変だ。それは独立かもしれないし、また転職することかもしれないけれど、そのときそのときの納得感を大切にしていきたいなと思う。

「納得はすべてに優先する」

本当にそうだと思う。

 

今日はそんな感じです。

チャオ!

自分の書くものに飽きている

結局みんなキャッキャウフフしたかっただけなのか - phaの日記

読んだ。そう言われればそうかもしれないし、それはあとからくっついてきたおまけのようなものだと言えばそんな気もする。

ブログを熱心に書いていたときのモチベーション、いま思い返すと「誰かに読まれる」ということは間違いないんだけど、その「誰か」は他でもない自分自身だったのではないかと思う。

自分が考えたり経験したことを言葉にして外に出し、冷静に読み返すことで得られたものがたくさんある。それは自分の視点だったり思考の癖だったり、要するに「自分を他人として眺められる方法」で、個人的に人生を生き抜く術として有効だった。その方法を身につけることでたくさん救われたし、同じ視点をもつ人と意見を交換するのは、とても楽しかった。

まとまった文章を書くのって難しくないか?

一方で、この増田に書かれている内容も、よくわかる。

素人同士が長文で意見ぶつけ合って何が生まれんだよ

ブログでトラックバックを送り合うというのは、議論がものすごく発展する、というよりは、それぞれがそれぞれの考えを持ち寄って見せ合って楽しむ、というのに近かったかもしれない。そのぬるさが心地よかったし、見知らぬ人の「自分はこう思うんだけど」がじんわりと集まってくるのは、楽しかった。

それを「キャッキャウフフ」と表現するならそうなのかもしれない。でもその「キャッキャウフフ」に参加するには、自分の中から言葉を絞り出して文字に落としていかなければいけない。ブログでの意見交換というのは、それを踏み越えられる人同士だったから通じる何かがあったようにも思う。

 

じゃあお前は何で今も旺盛に書いていないんだよと言われると苦しい。特にわたしはツイッターとブログが合流したタイミングでブロガーとして少し注目してもらえたこともあり、ツイッターでの短文発信が主流になったから、ブログのような長文発信が下火になったとも感じない。

最近自分で思うのは、人生がループし始めているなということ。悩みも苦しみも、だんだん似てきている。10〜20代の頃に感じていたことをまだ悩んでいるし、結局は人間関係とお金と健康のことでしか、足を止めて悩むことがないような気がしているのだ。

結婚して離婚して、また結婚して子供を産んだだけだから、これから親の介護や死、大きなお金の移動やトラブルを経験していく過程で変わっていくかもしれないとはいえ、何かを感じてブログに書こうと思ったとき、過去の自分がすでにそれを書いていたりする。

そして今の方がテクニック的に当時よりは少しマシな対処ができるようになっていても、芯の部分は大きく変わっていないので、あまり言いたいことも変わっていなかったりするのだ。

これはかなりつまらないことで、自分でも「こいつ毎回似たようなこと書いてるな」と思うのはうんざりする。もちろん寄稿など求められて書く文章で似たようなことを書くぶんには違和感はない。でもここのブログはわたしの現住所のようなもので、過去の履歴も見ることができ、何よりそれを1番知っているのは自分なのだ。自分で自分の書くものに飽きている。長く住んだ家のようなもので、あれもこれもわたしが自分で探して選び、置いたものだらけだ。心地よいし安心するが、新鮮な刺激はない。これがわたしが書く頻度を落としてしまった理由なのではないかと思う。

とはいえ、新しくわたしを知ってくれた人に過去の履歴を参照するよう強制するわけにもいかない。今の自分が自分の人生で1番経験豊かなのだとしたら、それを書き残さない手はないとも思う。そう思いつつ、日々の子育てやら仕事やらに追われ、自分のための文章を書く時間をあとまわしにしてしまっているのは、やはり「飽き」が大きいような気がしているのだ。

 

何か新製品を見つけてレビューしたり、ノウハウをシェアするタイプではなく、自分の中で煮詰めた考えを文章にしていくタイプのブロガーは、この問題にどう対処しているのだろう。そう思ってネットを彷徨っても、ピンとくるブログに出会えなかったり、そもそも彷徨う時間が取れなかったり、書かない言い訳は山ほど出てくるので、それは次までの宿題としておこうと思う。

 

今日はそんな感じです。チャオ!

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