インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

つまらなくて美しい、ありふれたわたしの人生

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10代の頃、母親と同じような人生は絶対に歩みたくないと思っていた。

専業主婦で2人の娘を持ち、働きに出るのはパートくらい、常に家に居て、子どもと夫の帰りを待つ。母親の口から父親や生活の愚痴が出るとき、それが冗談めかしたものであったとしても、幼いわたしにとってはとても心がざわつくもので、聞いているのが本当にいやだった。

自分にしかできないことを。世界を変えるような何かを。

そんなことを夢見て、学んだり働いたりしてきたけれども、実際、凡人である自分ができることには限度があって、それを認めるのにだいぶ時間がかかったように思う。結婚もそうだった。最初の結婚は、まだなんとなく夢を見ていた。結婚は生活なので、夢を見たままではうまくいかず、離婚した。そうして今の夫と出会い、自分の足の置き場のようなものが分かってからは、ぐんとパートナーシップが楽になった。

わたしは頼りなくてだらしない、ただひとりの女で、それを苦笑いでサポートしてくれる夫にたびたび小言をいわれるくらいが、ちょうど良かった。働き方もそうだ。フリーランスや時短勤務も経験したが、やりすぎてもやらなすぎても無理で、なんとなく「ここがちょうどいいな」という働き方があり、それは誰かと比べなくてもいいことだった。

結婚して離婚して、再婚して子どもをもうけ、会社員として働き、家族を養う。経済的に頼りない夫を支えるくらいのことはできるが、それ以外はからきし駄目で、我が家のハウスキーピングは夫なくして成り立たない。家事も仕事もフルパワー!というハイスペックなワーキングマザーには、到底なれなかった。

そんなことを考えながら今に目をやると、転職してもうすぐ3ヶ月、ほぼフルリモートで、毎日同じような日々を過ごしている。朝、娘を保育園に送り出してから始業し、あくせく働き、終業したら慌てて夕食の準備にとりかかる。家族で食事をする。まだ幼い娘をお風呂に入れたり寝かしつけたりしていると、あっという間に22時で、たいしたアウトプットもインプットもできないまま、インターネットを漠然とさまよって、眠りにつく。

なんてありふれた人生だと思う。

だが、わたしにとってはつまらなくありふれたこの生活が、何より美しい。

母親も、きっと同じだったのだろう。毎日は忙しく、苦しいことや悲しいことを乗り越えて、夫と家庭を守っていくのは簡単なことではない。実際、わたしの反抗期はすさまじいものだったと思うし、何度も両親と衝突した。それでも大切にされた記憶は、わたしの中からなくならない。その思いがいま、同じように子育てをしている自分を支えてくれているのだ。

 

これが生活なのだ、と思う。母親の生き方も、わたしの生き方も、それぞれの生活だ。生きた時代や価値観が違っただけで、母親も同じように、必死で生活を営んでいた。それは傍からみたらありふれてつまらないものかもしれないけれど、かけがえのないものだ。

生活は消費されず、大切に研磨され、輝きを増す。日々は人生という石を磨くための「やすり」のようなものだ。たくさんこぼれおちていくものもあるけれど、よく見ると小さくぴかぴかと光っている。

わたしの石はセレブやお金持ちと違って、ささやかな輝きかもしれないが、こぼれおちたものも含めて宝物で、誰にも渡したくないと思う。こうやって何かを大切にし、それを胸に抱いて年を重ねることが、生きていくことなのだと感じている。

 

大切にする「何か」は家族でもいいし、もちろん自分自身だっていい。誰に否定されるものではないし、見せびらかすものでもない。ああ、大切だなあ、としみじみ思いながら、日々によってそっと磨いていけばいい。

そんなふうにして、これからも生きていければいいなと思っている。

今日はそんな感じです。チャオ!