インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

自分の書くものに飽きている

結局みんなキャッキャウフフしたかっただけなのか - phaの日記

読んだ。そう言われればそうかもしれないし、それはあとからくっついてきたおまけのようなものだと言えばそんな気もする。

ブログを熱心に書いていたときのモチベーション、いま思い返すと「誰かに読まれる」ということは間違いないんだけど、その「誰か」は他でもない自分自身だったのではないかと思う。

自分が考えたり経験したことを言葉にして外に出し、冷静に読み返すことで得られたものがたくさんある。それは自分の視点だったり思考の癖だったり、要するに「自分を他人として眺められる方法」で、個人的に人生を生き抜く術として有効だった。その方法を身につけることでたくさん救われたし、同じ視点をもつ人と意見を交換するのは、とても楽しかった。

まとまった文章を書くのって難しくないか?

一方で、この増田に書かれている内容も、よくわかる。

素人同士が長文で意見ぶつけ合って何が生まれんだよ

ブログでトラックバックを送り合うというのは、議論がものすごく発展する、というよりは、それぞれがそれぞれの考えを持ち寄って見せ合って楽しむ、というのに近かったかもしれない。そのぬるさが心地よかったし、見知らぬ人の「自分はこう思うんだけど」がじんわりと集まってくるのは、楽しかった。

それを「キャッキャウフフ」と表現するならそうなのかもしれない。でもその「キャッキャウフフ」に参加するには、自分の中から言葉を絞り出して文字に落としていかなければいけない。ブログでの意見交換というのは、それを踏み越えられる人同士だったから通じる何かがあったようにも思う。

 

じゃあお前は何で今も旺盛に書いていないんだよと言われると苦しい。特にわたしはツイッターとブログが合流したタイミングでブロガーとして少し注目してもらえたこともあり、ツイッターでの短文発信が主流になったから、ブログのような長文発信が下火になったとも感じない。

最近自分で思うのは、人生がループし始めているなということ。悩みも苦しみも、だんだん似てきている。10〜20代の頃に感じていたことをまだ悩んでいるし、結局は人間関係とお金と健康のことでしか、足を止めて悩むことがないような気がしているのだ。

結婚して離婚して、また結婚して子供を産んだだけだから、これから親の介護や死、大きなお金の移動やトラブルを経験していく過程で変わっていくかもしれないとはいえ、何かを感じてブログに書こうと思ったとき、過去の自分がすでにそれを書いていたりする。

そして今の方がテクニック的に当時よりは少しマシな対処ができるようになっていても、芯の部分は大きく変わっていないので、あまり言いたいことも変わっていなかったりするのだ。

これはかなりつまらないことで、自分でも「こいつ毎回似たようなこと書いてるな」と思うのはうんざりする。もちろん寄稿など求められて書く文章で似たようなことを書くぶんには違和感はない。でもここのブログはわたしの現住所のようなもので、過去の履歴も見ることができ、何よりそれを1番知っているのは自分なのだ。自分で自分の書くものに飽きている。長く住んだ家のようなもので、あれもこれもわたしが自分で探して選び、置いたものだらけだ。心地よいし安心するが、新鮮な刺激はない。これがわたしが書く頻度を落としてしまった理由なのではないかと思う。

とはいえ、新しくわたしを知ってくれた人に過去の履歴を参照するよう強制するわけにもいかない。今の自分が自分の人生で1番経験豊かなのだとしたら、それを書き残さない手はないとも思う。そう思いつつ、日々の子育てやら仕事やらに追われ、自分のための文章を書く時間をあとまわしにしてしまっているのは、やはり「飽き」が大きいような気がしているのだ。

 

何か新製品を見つけてレビューしたり、ノウハウをシェアするタイプではなく、自分の中で煮詰めた考えを文章にしていくタイプのブロガーは、この問題にどう対処しているのだろう。そう思ってネットを彷徨っても、ピンとくるブログに出会えなかったり、そもそも彷徨う時間が取れなかったり、書かない言い訳は山ほど出てくるので、それは次までの宿題としておこうと思う。

 

今日はそんな感じです。チャオ!

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