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インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

「さみしさ」の輪郭を忘れない/「夏目漱石とねこ」観てきた

観劇

観てきました。

土曜の夜を観たあと、居てもたってもいられなくなって、千秋楽も当日券で。お芝居って今まで全然経験がなくて、どうやって公演情報を得るのか、どうやってチケット取るのかも分からない状態で、おっかなびっくり臨みましたが、飛び込んでみて、ほんとうによかった。

今回は、もともとズイショさんが書いていた悪い芝居「スーパーふぃクション」の感想文から、「悪い芝居」を知って、観に行って、震えるほどハマって、「スーパーふぃクション」に出演されていた渡邉りょうさんが出る、というのがきっかけ。

次回公演:DULL-COLORED POP vol.15『夏目漱石とねこ』

【鑑賞眼】知られざる素顔を自分に重ねて DULL-COLORED POP「夏目漱石とねこ」(1/2ページ) - 産経ニュース

臨終間近の夏目漱石が見た最期の走馬灯、という感じでしょうか。

今にも死にそうな夏目漱石のもとに彼と関わりのあった猫たちが集まってきて、彼(?)らを通じ、夏目漱石の生涯が語られる、という趣向。

夏目漱石は愉快に、さみしく、生きた人だ。家族と弟子とたくさんの猫たちに囲まれて、しかし誰にも触らせない、さみしさを秘めて死んだ人だ。楽しく愉快で、しかしさみしい。そんなお芝居にするつもり

ー「作・演出のことば」より

次回公演:DULL-COLORED POP vol.15『夏目漱石とねこ』

その通り、本当に「さみしい」お芝居だった。

 

衣擦れの音さえ気になるほど静かな空間で、漱石の苛立ち、孤独、焦り、みたいなものがずんずんと伝わってきて、終盤、憚らず泣いてしまうほどでした。

東京帝国大学・英文科講師として教鞭をとり華々しくイギリスへ留学を果たすも生活は貧しく、俺には文学という尊い仕事がある、飯など喰うのは下等な人間だと激昂し、奥さんを殴る。

途中、松山時代に正岡子規とやりとりをするシーンがあるのですが、死について、生について、悟りについて観客へ突きつけてくるような、ものすごい時間でした。この正岡子規を演じたのが榊原毅さんという俳優さんで、今回とくに強烈な印象を覚えました。もともとは、「悪い芝居」で気になった渡邉りょうさんを目当てに観に行ったのに。こういう嬉しい発見があるんですね、お芝居って。

悪い芝居『スーパーふぃクション』感想文/世界はリバーシブル - インターネットの備忘録

 

文学を追求し、人生に苛立ち、家族に暴力で当たった、弱くてさみしい人。「わかってほしい」「自分の心をうけいれてほしい」という欲求を抱えるあまり、常に不愉快を感じながら、生きにくい人生を過ごした人という印象で、到底他人に思えなくて、とても心を揺さぶられました。

「海へ行った。山に登った。温泉にも入った。果ては寺の門を叩いて座禅まで組んでみた。しかしどこへ逃げても、俺の不愉快は追い掛けてくる。ちょうど坂道をずっと追い掛けてくる月か星のように、俺にべったりと付いてくる。」

 

「逃げるから追って来るのさ。掘り当てるつもりで進むのだ。」

 

「しかし、逃げられないものというのも、あるのではないか。」

 

「悔しいなら悔しい、欲しいなら欲しい、痛いなら痛いと、声を上げて泣いてみろ。」

 

「まさか。子供じゃあるまいし。」

 

「子供だろうが。きちんと子供をやらなかったから、お前は今でも子供なんだよ。」

 

ー『夏目漱石とねこ』台本P.20より

 ここから後ろ、終盤にかけてはガンガンするほど揺さぶられるやりとりの応酬で、なんだこれは、なんだこの会話は、なんでこんなことを書けるんだ、と動揺しました。あんまりこのへんを掘り下げるとめんどくさい話になっちゃうんですけど、こういう思いは、少なくない人が抱えているのでは、と感じます。

 

お芝居とは別で、ここしばらくずっと、「さみしさ」について考えていました。

離婚して、ひとり暮らしに戻って、狭いアパートのキッチンに立っているとき、足がつめたくて、家には猫とわたししかいなくて、ああ、これが「さみしい」だ、と、はっきりと、かたちのあるもののように実感して、この得体のしれない感情の輪郭を絶対に忘れてはいけない、これをいつか絶対に文章として書くぞ、と固く決意していたことを思い出しました。

「うれしい」とか「たのしい」とかは「今この手の中にあることでわいてくる感情」で、「かなしい」も実は同じ、でも「さみしい」だけ、「今、ここにないことでわいてくる感情」だなと思っていて、胸の奥がすうっと冷たくなるような、ぎゅうと押さえつけられる苦しさはあるけれども、甘い苦い酸っぱい辛い、ぜんぶ入ってて、豊かだなあ、これをなくしてはいけないなあと、思ったのですが、それをこんなふうにお芝居として見せつけられるのは本当に素敵なことで、行ってよかったなあ、と思います。

こういうのは、引き合うんですかね。今じゃないと観に行かなかったし、今じゃなかったら、こんなに沁みなかったと思います。

 

以前書いたように、幸せの手触りも常に確かめていたいし、さみしさの輪郭も、絶対に忘れたくないな、と思った次第です。


幸せの手触りを確かめる話 - インターネットの備忘録

 

今回の公演で「この人の佇まいが好き、ずっと見ていたい」と思える人と出会えたので、今年はたくさんお芝居を観る年にしたいと思います。おすすめあったら、ぜひ教えてください!

今日はそんな感じです!

チャオ!