という台詞を何かの小説で読んだ気がするのだが、なんの本だったのかはすっかり忘れた。
ただそれを読んだときの感覚だけははっきりと覚えていて、それはわたしも同じように感じたことがあるからだ。男に限らず、音楽でも映画でも演劇でも、それを知る前と知った後のわたしは、決定的に違う。知ってしまったら知らなかった頃には戻れないし、知らなかった頃には知ることで自分がどう変わるかなんて、想像もつかなかった。
「悪い芝居」という、京都を拠点として活動する劇団がいる。
それまでまったく演劇に親しんでこなかったが、信頼できるある人のおすすめをきっかけに初観劇と至ったのだけれども、彼ら、もっというと、主宰の山崎彬さんとの出会いが、わたしの季節をはっきりと区切ってしまった。
そんな彼らの最新本公演「メロメロたち」を観た。
赤坂レッドシアターは今年で3回めで、仕事以外の用事で赤坂に足を運ぶ機会があるなんて思ってもみなかった。悪い芝居は演者が楽器を持って演奏し歌うスタイルなので、歌う場面と芝居の場面がシームレスだ。なのでギターなど演者自身が持ち運べるもの以外は常にステージ上に楽器が設置されているのだけど、今回の「メロメロたち」はその中でも特にドラムセットが前面に配置されていた。それは劇場に入った瞬間にわかったので、あれ、いつもとちょっと違うぞ、と思いながら席についた。
客電がまだついていて、人の出入りもあるタイミングで演者の一人がステージに上がり、ドラムセットに座る。え、何かのパフォーマンスかな、と思う。そういえば初めて観た「スーパーふぃクション」でも、劇場スタッフの開演前案内かと思ったらすでにお芝居が始まっていたという演出があり、そういう感じかな、と思っていた。
ところが客電もついたままの状態で、最初の一音が鳴り、刺さった。打楽器特有の鋭い音で、身体が震えた。というか、しびれた。全身の筋肉がバチンと硬直して、一気に引きこまれた。戦時下の中学生。戦闘訓練。少女ふたりが銃を持ってステージを走り回り、その中に強烈な輝度をもった日常があわられる。水筒のお茶、ビビッドな色のリュックサック、細い首に不似合いなヘッドフォン、ふたつに結わいた髪の毛、ひらり翻る制服のスカート、素直になれない、下品なことばかり言う男子、大きなケースをつけたスマホ、意味も理由もない電話と会話、ふたりだけにしか分からないお約束、これだけあれば、きみだけいれば、それでいいのに、それでいいのに、という熱望と、好きすぎて好きすぎて、いっそ殺してしまいたいという激情。
そんなふうにして、ある少女ふたりの恋にも似た友情が展開され、場面は切り替わる。少女のひとりが夢中になっている、ある伝説的バンド、「メロメロ」。最初の一音を叩いたのは、そのドラマーだった。解散してしまったバンド「メロメロ」のドラムであった彼と、彼のもとに日参する音楽ライターのやりとりから、バンドの物語が広がってゆく。
内戦激しい日本国内を舞台にして、バンドと少女たちの物語は近づいては離れ、また近づき、あるとき交錯する。巨大な破壊の中で死が少女とバンドのボーカルを結びつけ、物語は次の展開へ進む。少女の銃弾がバンドのボーカルを撃ちぬいて、バンドのボーカルは全身を火に包まれた。なんという不幸。でもここからがわたしの好きな悪い芝居で、ものすごいスピードで価値観が表・裏、べろんべろんとひっくり返され続け、混乱に巻き込まれていきながらも、その最中、常に愛情と肯定が絶え間なく、バケツいっぱいの水を浴びせられ続けるように劇場内へ満ちていき、わたしたちはその中に浸される。
浴びせられ続ける愛情と肯定に涙が止まらないまま、物語は終焉を迎える。その過程で繰り返し繰り返し発せられる言葉、「ライフ・イズ・ラブリー」。ビューティフル、ではなくラブリー、Love-ly、なところが胸に刺さった。
美しくなくていい、人生はただ、かわいいのだ。
それで、いいのだ。
主宰であり作・演出である山崎彬さんの存在につきた。全員が魅力的だったけれども(NMB48・石塚朱莉さんの鋭利な愛くるしさは、ものすごかった!)、彼が舞台に出てきた瞬間、全身の神経が彼を指し示して動かなくなる感じがあった。ものすごい輝きと、虚無があった。
ある人に「カリスマにはある種の虚無があって、ブラックホールみたいに、いろんな人を吸い込んでいっちゃうんですよ」と教えられたことがある。まさにブラックホールのように、ぜんぶを吸い込んで吸い尽くしてしまうように彼はそこにいた。そして同じだけの膨大な愛情と肯定を、わたしたちに与え続けてくれていた。底があまりにも見えなくて、それがこわくてこわくて、震えるほどだった。
そんなふうにして客電がついて、千秋楽というラッキーなタイミングなこともあり、舞台からの自撮りに観客席から参加をした。泣きはらした目の化粧を直すこともできず、まだ陽がでていて生ぬるい赤坂の街に押し出された。人と会う約束があったけれど、どうしようもならなくて近場のファストフードに入り、冷たいアイスティーを頼んで飲んだ。どこにでもあるお店のどこにでもあるアイスティーは、うすいレモンの味がして、愛すべき日常がそこにはあった。わたしの中でまたひとつなにかが区切られ、人を待つ間、呆然と赤坂の街を眺めていた。
わたしの人生の季節は、山崎彬さんの登場によって区切られてしまった。
より多くの人がこちら側にくればいいのに、と思っている。
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タイトル、ブコメで教えてもらいました。ありがとうございます!