いよいよ40歳になってしまった。
個人的に「40歳」、というのは、30歳になったとき以上のインパクトがあるな、と思う。20代の頃は早く大人扱いされたくて、30歳になるのが待ち遠しかった。
結婚や出産などに少なくない焦りはあったものの、仕事場で「まだ若手だから」と扱われるのが、悔しくて仕方なかった。そんなふうにピリピリしていて自意識過剰で、鼻持ちならない20代だった。内面と年齢のバランスをどうやって取ればいいのかもよくわからなくて、いつもなぜか苛立っていた。もう◯歳なのに、こんなんでいいのか。みたいなことをクヨクヨと考えては、自己嫌悪に襲われひどく落ち込んだ。そして30代になれば、この生きづらさも少しはマシになるんじゃないか、と期待していた。
実際の30代を振り返ろう。転職をたくさんしてキャリアを作ってこれたし、結婚もできた(離婚したけど)。残念なことに子供はだめだった。が、仕事や会社という集団を通じて、よき友人や後輩とたくさん出会えたし、何より、めいっぱい仕事を楽しんだ。
様々な会社で働いた。社員が5人以下の小規模企業、第二次創業期ベンチャー、社員数が2000人を超える一部上場企業、それぞれの職場はそれぞれが個性豊かで、任される仕事は楽しかった。フリーランスで数年ほど働いたりもしたけれど、自分は「チームで何かをやって達成感を得る」ほうが好きなのだな、と実感できた。何より人が好きで、わたしは人と関わることが好きなのだ、と自覚したのが30代の収穫だった。
さて40代がスタートするぞ、という状況に我が身を振り返ってみると、いくつか手のひらからこぼれ落ちていったものがあることは、認めざるを得ない。でも(悔し紛れなのかもしれないが)そのぶん新しい何かを掴めている気もする。これがいいことなのか悪いことなのかは、まだ分からない。手のひらからこぼれたものと、そのおかげで手に入れられたものを、簡単に比べることはできない。とはいえ、まあ、悪くない40代として一歩を踏み出せているような気はする。
わたしの40代のロールモデルだと思っていた女性は、2016年に夭折してしまった。ならば自分で自分の40代を、分からないなりに描いていくしかない。お手本はどこにもないし、わたしがお手本になれるわけもない。とはいえ、そういう苦悩や工夫の記録と、不細工なりに自分の人生を描いていく様子を、どこかに記録しておきたい。
そういうようなことをずっと考えているので、思いついたことを「惑え、不惑」というタグで書き始めたいと思います。気が向いたらで構いませんので、よかったらどうぞお付き合いください。