インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

生存バイアスから自由になる

転職して1年が経ちました。えっ……まだ1年……?もう3年くらい働いている気がするんだが……?という感じではいますが、それでもまだ1年。山あり谷ありで、やれたこと・まだやれていないことを机に並べて、ウンウン考え続ける日々でございます。

そんな感じで日々楽しく働いているのですが、気づけば40代も後半。子どもはまだ4歳ですが、毎日可愛さを増しており、こうやって「ママー!」と繰り返し呼んでくっついて来てくれるのは、あと何年なんだろう……としみじみしながら、自分の仕事と生活、個人のバランスを取るためにどうしたらいいか、について思いを馳せています。

何度か書いていますが、わたしは仕事に本気で取り組み始めたのが20代後半で、キャリアのスタートが遅かったため、その遅れを取り戻すために、かなりハードワークする方法を選択しました。定時=終電くらいの認識で働いてみたり、残業時間がちょっと公には書けないくらいの時間数になってしまったりしたこともありました。

で、結果、いまなんとか家族を養えるくらいの収入と仕事を得られているわけなのですが、その先入観?成功体験?から早く自由になりてえなあ、と思ったので、今日はそのことを書きますね。

ハードワークで得られたものは何か?

最近読んだこのブログにあった表現が良かったので引用するのですが、

成長の定義を「今できないことをできるようになること」と考えるとしっくりいく

www.blockchainengineer.tokyo

これはそうだなと思っており、ハードワークを通じて、成長=今できないことをできるようになる、という体験は得られたように思います。

それをわたしは「時間の圧縮」と感じているのですが、まあそれはそうで、普通は8時間しか働かないところを、同じ濃度で16時間働けば、そのぶん経験値は積み上がるわけですね。

でも実際「同じ濃度で」働けるわけではなく、連続労働は8時間どころか6時間を超えたくらいからパフォーマンスは落ちる一方のような気がします。なぜなら人間は工業製品ではなく、疲れてパフォーマンスが落ちるからですね。

ここを乗り越えて働ける人というのもいるのかもしれませんが、わたしには無理でしたし、大多数の人がそうなんじゃないかしら。

逆にハードワークで失ったものは何か?

ハードワークで失ったものはものすごく明確で、それは「健康」です。

精神の健康と、身体の健康、両方を損ねたなあと感じています。当時はまだ若いし、体力もあるし、なんか興奮してアドレナリンが出ているから、頭では「疲れてない!まだ働ける!」と思っているのですが、疲労や無理は蓄積し、あとあと爆発する時限爆弾みたいなもの。

加齢と共に「あのときの無理がたたったなあ」と感じることは増えており、わたしにとってそれは不眠であったり、婦人科系疾患であったり、まあ具体的にいろいろガタが来ているんですね。

「身体が資本」とよく言いますが、本当に身体の健康はすべての資本です。その資本を損ねているということは、手元の資源が減っているということ。そうなると、選び得た未来の選択肢を諦めなければいけないというネガティブなルートに入ってしまう。

これについては「後悔先に立たず」という感じで、ハードワークで失ったものの大きさを、ただ嘆くのみです。

「ハードワーク=成長」ではない、を言っていく

そうして振り返ってみると、「ハードワーク」と「成長」は必ずしも関連があるわけではないし、ハードワークで失ったものって、後から取り返せないんですよね。

そして「健康」という資本は、これから死ぬまで付き合っていかなければいけないものなので、目減りした原資をこれ以上減らさないように、あれこれ工夫しなければいけない。そうなると、身体に気を使って健康を維持するためのコストが普通の人より余計にかかるわけで、ああ〜〜〜なんかもうバカだったなあ〜〜〜と反省しきりです。

それでも、割と最近までは「そうやって得たスキルで、なんとか食いっぱぐれしてないんだから、いいじゃないか」と過去の自分を肯定しようとしてきたんですが、なんかもう、それもいいかな、と感じてきました。

ちぎれそうなくらい無理をしていた過去の自分を、自分くらいは肯定してあげないと、過去の自分が報われない。そんなふうに思っていたのですが、間違ってたなと思うことはちゃんと間違っていたと認めるのも、未来の自分のためには大切なんだろうと思い直すようにりました。間違っていたことを認めたとしても、過去の自分を否定することにはならない、というのが、自分の中で腹落ちしたのかもしれません。

そして、必ずしも労働を通じて成長をしなければいけない、ということもない、と実感できたのも大きかったと思います。自分のコンプレックスを受け入れて、周りに評価されたり認められたりすることで帳尻を合わせようとしいなくてもいいんだ、と思えるようになったのは、夫や子ども、友人たちのおかげです。わたしはわたしのままでいい。そのままですでに素晴らしいんだ、というのを、言葉だけではなく態度で示してくれる人たちに恵まれたことで、コンプレックスと和解できたような気がします。

なので人生をもう一度やり直せるとしたら、ハードワークをしないで時間を圧縮し、成長して遅れたキャリアを取り戻すルートに入れるよう考えるか、もしくは誰かを養ったりすることを選ばず、自分自身でひとり生きていける程度の稼ぎがあればいい、というバランスを選ぶかもしれません。

いずれにせよ、「ハードワーク=成長」という生存バイアスから抜け出して、それ以外の方法も、絶対にある!という確信をもってなんとかしていきたいと思っています。

当時のわたしにはそれしか手段がなかったし、相談できる人もいなかったから、間違えたことはしょうがない。しょうがないんだけれども、わたしが今後関わる人たち、とくにこれからキャリアを積んでいく若い人たちには「ハードワーク=成長」の思い込みから自由になれるよう、あの手この手でサポートしていけるといいなあと思っているので、その所信表明をもって転職1年目のエントリーと変えさせていただきます。

今日はそんな感じです。

チャオ!