その年のクリスマスは一人で過ごすことが決まっていて、かといって家族の元へ帰る気にもなれず、たまにはこんな年もいいかなと思っていたのだけれど、その人がやってくるというので雨の根津で待ち合わせた。場を取り計らってくれた友人の後ろではじらいながら向けてくれた笑顔が愛らしく、わたしはその控えめさをとても好ましく思い、言葉少なな彼女の声を聞き漏らさないよう、必死に耳を傾けた。雄弁ではないが、言葉の隙間から思いがひたひたと湧き出る清水のように溢れている、そういう語り方をする人だった。特になにも目的地を決めていなかったわたしたちは、あてもなくふらふらと古い建物の間を歩き、酒蔵を改装したという店で昼から日本酒を楽しんだ。とりとめもない話をしてまたそぞろ歩きをし、雨に濡れた。彼らはわたしのためにクリスマスプレゼントを用意していてくれて、その中に折り畳み傘があったので、思いのほか止む気配のない雨を避けるため、さっそく広げて使うことにした。わたしは自分の長傘を持って行っていたから、彼女にそれを譲った。恐縮しながらも彼女がその折り畳み傘を一番最初に使ってくれたことが、なぜだかとても嬉しく思えた。時間はゆっくりと過ぎていき、まるで家族旅行のようにくつろいで街並みを楽しんだあと休憩を兼ねて珈琲店に入り、たっぷりと時間をかけて用意される珈琲を、沈黙とともに待った。沈黙は苦痛ではなくただ煙るように漂っていき、その間をくぐって囁くように味の印象を交換した。その静謐さがわたしにとっては新鮮で、日が暮れていくのをとても名残惜しく感じた。さらに場所を変え、賑やかな酒場で酒を交わし、おだやかな気持ちのまま電車に揺られてわたしはひとり自宅へ戻った。寒々しい自宅の灯りをつけると猫がにゃあと出迎えてくれ、ああ、同じ静けさでもこんなにも違うのか、と思いながら暖房をつけた。部屋が暖まり、人心地ついたので渡されたプレゼントの包みをすべて解くと、一通の手紙が入っていた。封を開ける。直接会ったとき、うまく話せないかもしれないから、東京へ向かう電車でこれを書いている、と前置きをした上で、彼女がわたしに会うまで思っていたこと、感じていること、伝えたいと思ってくれていることが丁寧に綴られていた。最後まで読み切る前にこらえきれないほどの涙が溢れ、床に膝をついた。こんなにも真摯で不器用で、こわいほど素直に美しい言葉が綴られた手紙をもらったのは、初めてだった。
繁華街を歩いていたとき、彼女がふと立ち止まって、どこか一点をじっと見つめている瞬間があった。後ろに寄っていき同じ方向をわたしも見つめたが、その何かを発見することはできなかった。彼女の目には、何がどんなふうに見えていたのだろうか。わたしにはきっと見えない何かを見つめる眼差しを通して感じたものが、彼女というフィルターを通って文字として書き記され、手渡されたこの手紙は、世界にただひとつしかないクリスマスプレゼントで、サンタクロースは存在するのだ、と思った。
確かにあのクリスマスの夜、わたしはひとりであったが、孤独ではなかった。インターネットに乗ったわたしの言葉が届き、それを抱きしめてくれた人が、この世に確かにいるのだ。そういう実感を、なまなましく鮮やかに感じさせてくれた手紙だった。そういうクリスマスの思い出の話です。
今日はそんな感じです。
チャオ!