インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

大人になったら泣くときはひとりで。

最近思ったこと。

「大人」っていくつからのことだかわたしもよくわからないのですが、自力でお金を稼ぎ、住むところ食べるもの生活のもろもろを自分でまかない、守られる側から守る側へ立ち位置が変わったと感じたとき、タイトルのようなことを考えました。

10代20代の頃は、よく泣く人間でした。

悔し涙が多かったように思います。負けず嫌いで、不甲斐ない自分に怒りを感じ、行き場のない感情が涙になって溢れてくるような泣き方でした。もちろんそれだけではなくて、なぜ自分がこんな目にあわなければいけないのか、なぜ世の中はこんなにも冷たく、理不尽なのか、と自分を守るための怒りや悲しみで泣いたこともありました。

そして今、さすがにもう「若手です」と一寸の迷いもなく言い切ることはできない年齢と立場になり、いろんなことを経験し、辛酸を嘗めることもありました。でも、もう泣くことはありません。泣きたい、という感情が消えたわけではなく、確実に存在はするのですが、それを上回る他の感情が占める割合が増えた、というのが実感です。

わたしが泣いたり動揺を見せることで不安になる人がいて、自分の感情を発散させられない不自由さより、他人を不安にさせてしまうことのほうがつらい、と思うようになりました。つらいときほどよく褒める、と以前書きましたが、これは他者に対してであって、自分自身に対しては「つらいときほどよく笑う」を課しています。「いつも機嫌がいいひと」でいるためのコツとかで書いたように、「自分が機嫌よく過ごす」ためでもあります。他人がわたしの動揺を見て不安になるのは、本当につらい。わたし自身が明るく元気に振る舞うことで、それを見た身近な人が安心してくれるのは、わたしにとってとても重要で、そのためにも自分のコンディションを良好に保ちたい、と思っています。人を不安にさせないために明るく振る舞う、というとカラ元気のようにみえるかもしれませんが、誰かを不安にさせない、というのも、回り回ると、自分の快適につながるんですね。これもこれで自分自身が心地よく、機嫌よく過ごすための「心のもちよう」だと思っています。

 

泣いたってもなにも変わらない、というのを何度も味わったせいでもあります。

それにね、やっぱり大人になったら、「まず自分」でいることを、やめなきゃいけないと思うんです。泣いて喚いて、「わたしはこんなにつらいのよ」「誰かわたしを助けてよ」「わたしの代わりに誰かがなんとかしてよ」というふうにやるのは、もうやめなきゃいけない。しんどいけど。

相手の立場があり、自分の置かれている状況があり、そしてもちろん自分の感情もある。そしてその中のベストを、たとえベストが難しくても、せめてベターを探して、考え、選び、立ち振る舞まわなければいけないと思います。動揺やむきだしの感情をぶつけてくる相手と、冷静な交渉ができると思ってくれる人は、あまり多くいません。そして大人になったら、自分の代わりに交渉してくれる人って、もっといません。自分しかいないんです。とはいえつらいときだって、もちろんあります。そんなときは、ひとりでこっそり泣きましょう。

 

正直、わたしも誰かに泣かれるのは苦手です。

感情をむきだしのままぶつける、というのは、心を許した相手にだけ、しかもごくごく限られたケースでのみ発生することで、自分の主張や欲求を通すためにしてはいけないことなのではないか、と思います。だからこそ、心を許して涙を見せられる相手を大切に思うし、自分だけに涙を見せてくれる人がかけがえのない存在になるんじゃないかな、と思っています。

 

大人になったら泣くときはひとりで。
正直しんどいときもありますが、お互いなんとかやっていきましょう。

 

今日はそんな感じです。

チャオ!