インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

「成長がすべてを癒す」という言葉へのアレルギー

「成長がすべてを癒やす」または「成功がすべてを癒す」って言葉があって、これがすごく苦手だったんですね。

この言葉、たぶん元はダイエー中内功さんの「売上がすべてを癒す」から転じてるんじゃないかなと思うんですけど、あまりに結果主義的すぎるというか、成長しなきゃ意味が無い、みたいな意図で使われることが多くて、この追い立てられる感じ、プレッシャーがとても苦手でした。言われた瞬間「ハー!出た!またそれだよ!」って思うほどに。

この言葉を使われるときって、だいたいが「今は苦しいけど成長がすべてを癒すときが来る」=「だから今は我慢して頑張ろう」みたいな文脈なので、無理させる側の都合じゃねえかみたいな反発を感じていたこともあるかもしれません。でも、言葉って使い方次第なわけで、どんな言葉も自分から発するときにはなるべくポジティブな意味で使いたいと思っているんですが、いろいろ考えていて、これもこれで前向きな捉え方もできるんじゃないかなって思うようになりました。

ちょっと話が変わるんですけど、人生まあいろいろあって、辛いことも苦しいことがあって、あーもうやだなしんどいなって思ってても、なんていうか誰かの一言でフォーってテンションあがって幸せな気持ちになったり、褒められたり喜んでもらえたり、自転車が乗れるようになったときみたいな感じで自分で何かの手応えを得たり、「あっ、いま、階段を一段登れたな」みたいな瞬間がたまにあって、そういう瞬間を通り過ぎると、それまでの辛いこととか苦しいことも過去にできて、肯定できることがあります。ぜんぶじゃないですけどね。

で、そういう瞬間を迎えられると、喉元すぎればなんとやらじゃないですけど、抱えていたマイナスの記憶ってどんどん薄れていって、またその喜びの瞬間を感じたくて、性懲りもなく頑張っちゃったりするんだろうなと思ってます。中毒みたいですね。

そんなことを最近考えていて、もしわたしが「成長がすべてを癒す」という言葉を使うとき持たせたいポジティブな意味としては、だから我慢しようじゃなく、「どんなに辛くて苦しいことがあったとしても、それを忘れられるような素晴らしい時間が絶対に来る」、という感じかもしれないなって思ったのでした。

ということで仕事しすぎて倒れたときのことを振り返ったエントリがまた近頃読まれるようになって、ああそんな時期もあったな、っていうか今もまたすごく働いてて、性懲りもねえなと思ってるんですけど、また頑張っちゃう理由って、その「すべてを癒すほどの喜びを感じられる瞬間」が欲しいからなのかもしれません。心配してくれる人たちには感謝しかないし、同じ轍は踏まないよう注意しているからなんとか大丈夫かとは思うんですけど、危ういことには変わりないので気をつけないと。

でもほんと仕事好きで楽しいんですよね……こんな楽しいのに、しかもお金までくれるとかなんなの……仕事ありがとう…みたいな気持ちです。とはいえそのための努力もセットなんですけどね。まあなんていうか頭おかしいですね。

 

「あっいま頑張りすぎてる、危ない」と思うときはこれを聴くようにしてます。

 

今日はそんな感じです。

チャオ!