タイトル、別にスピとかそういう系の話じゃないです。
基本的に決断力あるほうでいろんなことをバシバシ決められるんですけど、たまに「うーんそれもうどっちでもいいな」と思うことがあります。
「どっちでもいいな」というのは「どちらを選んでも結果があまり変わらない」ということで、自分から能動的に選択するほどでもなく誰かが決めてくれた選択肢にも異論ありませんという感じなんですけど、それでも「決めてください」と言われる場合は、「世界の幸福の総量が増えそうなほうを選んでください」と言うようにしているんですね。
仕事だと「これ引き受けるかどうかどう思いますか」みたいなやつが顕著で、「断ってもいいし受けてもいい、受けてもまあいいことはあるし、断ったとしてもたいしてネガティブな要素はない」という、絶妙にどっちでもいいとき、少なくともわたしが判断するより相談を持ってきてくれる相手のほうが情報を多く持っているはずなので、その選択肢のうち、その人の感覚で「こっちのほうが幸せになる人、助かる人、喜ぶ人が多そう」と思うほうを選んでください、と言っています。
これって昔の言葉でいうと「情けは人のためならず」みたいなことなんだろうなと思っていて、自己犠牲の精神でわざわざ取らなくていい損を取る必要はないけど、まあこの内容なら損はしないだろ、大きく得もしないけど、みたいな分岐点においては、「より多くの人が得をしそう」という選択肢を選んでおくほうが将来的に自分にもいいことがあるな〜という気がしています。それなりに実感もあるし。
というのを、久しぶりに「男の作法」を読み返してて思ったのでした。
「てめえだけの考えで生きていたんじゃ駄目だということです。」 - インターネットの備忘録
こういう「自分がしたことって良いことでも悪いことでも、巡り巡って必ず自分のとこへ返ってくるよ」みたいな言葉、けっこうありますよね。
- 情けは人のためならず
- 積善の家には必ず余慶あり
とか、ちょっとズレますけど「思えば思わるる」「人を思うは身を思う」「風が吹けば桶屋が儲かる」…はちょっと違うか、「因果応報」とか「悪因悪果、善因善果、仏果覿面」とかかな?
とかつらつら考えていて、昔の人は昔の人なりに「世界・世の中はつながってる」というのを実感していたんだな〜と思いました。今はインターネットで世界がつながってる感がすごく強くて、自分がしたしくじりは必ず返ってくるって実感しやすいですけどね。
今年もすでに5%消化してしまった今日このごろですが、そういうことを念頭に置いて1年過ごしたいな〜と思った次第です。要するに「人にやさしく」ってことで。
今日はそんな感じです。
チャオ!
☆池波正太郎のおすすめ聞かれたとき、時代小説になじみがないならエッセイがいいよと薦めています。ぜひ〜〜〜