インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

「何者にもなりたくない女の子の受け皿」としての専業主婦


『アデル、ブルーは熱い色』予告編 - YouTube

アデル ブルーは熱い色」を見たんですけど、主人公のアデルって、もしかして主婦になれると良かったのかもしんないなと思ったので。

 
 
映画の本筋はどこかで見ていただくとして、アデルは画家の恋人に「才能あるんだから、あなたも文章を書いたらいい」と言われ、書いたものを見せたいなんて思わない、わたしはこうしているのが幸せ、と答えるんですよね。
 
恋人は家事なんかしているよりも、もっと才能を活かして表現すべき(これは表現することができる人の残酷な意見でもあるけど)と言うんですが、アデルは別にそんなことより好きな人と一緒にいて楽しく過ごせてセックスできれば良いみたい。
もちろん好きで就いた仕事はあるけど、恋人のような表現活動をして認められることにあまり興味はなく、ただ愛されて満たされていれば良い。
 
 
わたしはこうしてブログを書いたり人前で話したり、コンテンツとして消費される側に立ちたくて細々とやってきたわけなので、画家の恋人の言うことにはシンパシーを感じたし、言われてアデルが何もしない理由がよくわからなかったんですが、自分の身近なところに引き寄せて考えてみると、ほんとうに「何者になりたいと思っていない女の子」というのは一定数いて、彼女たちは仕事で認められたいとも、自分の意見を表明して評価されたいとも思っていない。
 
むかしはそういう人たちのことを理解できなかったのですが、最近やっとそういう考え方の人が実在する、ということを実感できるようになりました。ほんとうに自己実現したいとも思ってないし、何か伝えたいと思ってることもないし、仕事で評価されたいとも思ってなくて、働くことから逃げたがっている人がたくさんいる。
わたしもしんどい仕事は嫌だなって思うし、100億くらいどっかに落ちてないかなって毎日思いますけど、なんかもっと次元が違う感じ。
 
 
良し悪しではなく、これはもう仕方がないことなので(うちの母親もそういうタイプでした)、そういう人たちが親元を離れてどうやって生きていくかを考えると、むかしながらの方法で、父親のかわりに食べさせてくれる相手を見つけて、自分は母親役に収まるために結婚するのが一番効率よいのかもしれません。 
 
でも時代として女性も望めば社会進出できるし、下手したら男性より稼げるようになってしまうと、その位置に収まるのはそれなりの理由というか選ぶ・選ばれる意味みたいなのを求められつつあるし、なかなかハードな争いになってきていて、苦労しそうだなあと思いました。(そもそも子育て中とかを除き奥さんが専業主婦になるのを歓迎してる男性って、今どのくらいいるんでしょう。少なくともわたしの身近にはほぼいないので想像つかない)
 
選択肢が増えるのはいいことだと思っていたんですが、選びたくないと思っている人にとっては、ちょっと面倒なことなのかもしれませんね。
 
 
インターネット界隈にいる男性が特にそうなだけかもしれないんですが、最近の男性は専業主婦に否定的というイメージがあるし、そもそも雇用状況やらこの景気やらで自分の稼ぎで他人を食べさせてあげることを受け入れにくい状況だとも思うので、双方のつらさみたいなのを感じました。どうしたらいいんですかね…。
 
 
ちなみに映画はこんなのとはまったく関係なく、優しく激しい幼い恋を丁寧に描いた美しい作品でした。ただ3時間の長尺だったので、見終わった後お尻が痛かった…。
 
 
今日はそんな感じです!
チャオ!

 

ブルーは熱い色 Le bleu est une couleur chaude

ブルーは熱い色 Le bleu est une couleur chaude

 

 原作があるそうなので気になっている。