自分がとても尊敬していた人の弱い面を見て、
少しガッカリしてしまうことってあるよね、という話。
親だとか、師と仰ぐ人でも、やはり人間で、弱かったり
正しくなかったりすることは仕方がないのではと思います。
もちろん恋人や友達も同じで、その人の好きになったところが増えれば増えるほど
悪いところに気付いたときのショックは大きくなってしまう。
でも、あるときふと、その「弱い・悪い部分」がその人の良い面を
作り出しているのではないかしら、と思うようになりました。
わたしの両親にはハンディキャップがあるのですが、
そのおかげというか、そのせいで、というか、他の家庭では経験できないことや
教えてもらえないことをたくさん教えてもらいました。
与えられたカードの悪い手を乗り越えるために、よい方法を考え出したり
どうカバーするか試行錯誤するからこそ、その人の「得意技」が見つかるような。
ネガティブな面だけを拡大することは簡単で、実は精神的にも楽だったりします。
後からショックを受けたときに「ああ、そんなことわかってたよ」と思えるからです。
でも人間はゼロ/イチではなく、不確定な要素の集合で、光と影のように
その人自身を照らすものがあれば、隠したいものもあるのだろうと思います。
影から目を背けるなと言うわけではないのですが、
目をやるならもっと明るい方へ。良い方へ。
弱いからこそ素敵だ、ということもある、
と考えてもいいのかもしれません。
他者の影も、自分の影も、きちんと見つめられる人でいたいと思います。
では、また。