ござ先輩にTBしていただきまして、非常に興味深い言葉を知りました。
普通ってすごく主観的なのですね。普通って自分の常識の集積だと思うんですが、「常識は18歳までに身につけた偏見のコレクションである」ってあいんしゅたい〜ん☆先生がおっしゃってました。普通にこだわらないのが一番です - Life is Really Short, Have Your Life!!
確かに、わたしが感じていた「普通≠理想」は、つまり主観的な偏見、
とも言い換えられるのかもしれません。
(ところで「主観的」と「偏見」って一緒に使ってもいいものなんでしょうか…)
ここで難しいなあ、と思ったのは、
- 失礼な態度(不足)
- 相手が快く思う気配り(ちょうどいい)
- やりすぎた気遣い(過剰)
のラインが、みなさんそれぞれ違うこと。
相手に不快感を与えないように、この「ちょうどいい」ラインを探るから
面倒になったり疲れたりするんだろうなーと実感しました。
2年くらいブログをやっていて、恥ずかしながら初めてブクマ数が1000を越えた
メール返信で困ったときに使えるフレーズいくつか
も、そういう「面倒だけど、相手に不快感を与えるのも嫌」という
ニーズがあったからなのかなーと。
なのですが、コメントをいただいて気付いたのは逆にこういう気遣いを
「儀礼的で逆に失礼である」「表面を取り繕っているだけ」「閉じたコミュニケーションだ」
と不快感に感じる人も少なくはない、ということでした。
例えば、いろんなビジネス情報サイトなどで「メールの書き方」などと称して
「まず相手の会社名、そして相手のお名前、いつもお世話に〜から始まる挨拶…」
とフォーマットをアドバイスしてくれるところもありますが、人によっては
「そういう前文は行数の無駄だから不快だ」という人もいるわけで。
「普通」「常識」「当たり前」は時代や業界によって様々です。
振り回されて疲れてしまってもよくありません。
ただ、相手の立場に立って考えてみつつ、思ったことはきちんと伝える、
そんなつもりはないけれども不快に取られたらひとまず真摯に受け止める、
という自分の中の軸を日ごろからしっかり持つことがよいのかもしれませんね。
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