ふさごうとしてあまり触らないようにしていた傷がガバッと開いて内臓までドゥルドゥルって出てきちゃった感じですが書かないとそれもそれでつらいので、書きます。
こちらに関連した一連の件について。
おおもとのエントリは非公開になっています。
わたしのスタンスは、ああいう自己開示と内省を振り返った文章が公開されることに意味はあると感じていて、書いて公開されたことについては、敬意を表します。また、彼がとった行動が非難・批判されていますが、人間は間違えるし、よくない方法を採ってしまうのはどうしようもないことで、その過ちが指摘され改善されるのであればそれ以上の非難を受けるべきではないと思いますし、そのやりとりを開示し様々な人が見ることのできる状態に置いておくことで、何かを気付いたり得たりするきっかけになるだろうとも思います。
なので、彼の自己開示に対してそれぞれの人がそれぞれの立場から意見を表明し、ぶつけあい、それを見た人が新たな思索をするきっかけになったのであれば、それはそれで意味のある行動だったと感じています。
一方、この話題が波及しいろんな意見を目にしていく中で、抑圧から逃げ延びた人を過剰に神聖視する空気に、強い抵抗を感じました。先のエントリで、こんなことを書きました。
「仕方がないよ」という言葉は、本心からではなく、そう言っていないと、本当に、心が死んでいってしまうからでした。大きすぎる問題に立ち向かうには、当時の自分はあまりに幼く、力も、知識もなかった。ただ「受け容れる」、そうするしか、方法がなかったからです。
生き延びた人たちが身に付けた対処法は、あくまで死なないための技術であり、能動的に欲しがって得たものではありません。それなのに、その技術を頼りにし、よくない言い方をすれば、利用して、自分を救ってもらおうとする人が、残念ながら存在します。
そして不幸なことに、生き延びた人たちの多くが苦しむ「自己評価の低さ」がそこに作用して、「わたしでよければ力になりたい」と自分を犠牲にし、相手を救おうとしてしまう。発端となった元エントリに登場し、彼の告白に耳を傾けた「屋上で話を聞いた女性」がそうなのかどうか、わたしには分かりませんが、似たような状況に陥ってしまう人は、少なくないのでは、と感じました。なぜなら、わたし自身が、そうだったからです。
生き延びる過程で身に付けた技術は「欲しがって得たもの」ではありませんが、身を切って生んだ武器のようなもので、わたしを助けてくれることもあります。そしてわたしが自分自身を助けるように、他の人の助けになることも、もちろんあります。必要ならば誰かを救うために活用したいし、どんなものであれ、大切な人の役に立てる喜びに変わりはありません。ただし、それは相手がわたしを尊重し、敬意を払ってくれていることが前提で、お互いが対等な立場を持てている場合に限ってである、というのが、わたしの結論です。いたわりや献身が一方通行であってはなりません。他者をいたわり救いを与えようとするならば、自分自身も同じように尊重し、保護してあげてください。
もし、誰かがあなたの武器を利用しようとして近づいてきたら、このことを思い出してください。もし相手があなたを尊重し、敬意を払い、対等に扱ってくれた上で、あなたの救いを求めているのだとしたら、できる範囲で相手の力になってあげてください。ただし、過剰な献身をしてはいけません。自分の手に余る、と感じたら、引け目を感じることなく、「わたしにあなたを救うことはできない」と、きっぱり表明してください。役に立てなくても、誰かを救えなかったとしても、あなたの存在価値が毀損されることは、絶対にありません。
また、生き延びた人にラベルをつけ、役割を与えようとしないでください。彼ら彼女らは、ラベルをつける側の人たちと同じ、か弱く脆い、ただの人です。強い人間だから生き延びたのではなく、逃げられるなら、誰かが救ってくれるなら、そこに逃げ込みたかったはずの人たちです。戦い生き延びたことを肯定し、いたわりの言葉をかけることはあっても、何かを期待することはやめてください。そして、どんな武器を持っていても、持っていなくても、あなた自身はただ存在しているだけでいいんだ、と言ってあげてください。生き延び立ち直れているように見えても、かけられた呪いは重い。彼ら彼女らがふたたび呪いに取り込まれることのないよう見守り、安心を与えてください。
わたしの言いたいことは以上です。
距離を置いて生きていた問題につい取り込まれてしまって、ここ数日、本当に苦しいので、このエントリを公開したらしばらく本件に言及するのは控えます。勝手に首を突っ込んで、勝手に苦しくなって、我ながらアホだな〜と思いました。これも呪いなのかもしれませんね。とはいえ、このことについては今までと変わらず、ずっと考えていくし、また発言することもあるかもしれませんが、いったん、ここまで。
この文章が、誰かの救いになれば嬉しく思います。
今日はそんな感じです。
チャオ!