タイトルにドキッとしたのですが、言いたいことに共感したので備忘。
「被災地を風化させる」という文字の並びがちょっと過激な印象ですが、つらい思い出をつらいままにしないで、次へ進む、変化させることの大切さ、ということについて、とても共感しました。
「飢えている人がいたら魚を与えるのではなく魚の獲り方を教えよ」という言葉がありますが、被災地の人たちも、わたしたちも、これから先をまだまだ生きていかなければなりません。
そういう状況で、彼らをいつまで経っても「被災者」として「かわいそう」扱いをしていていいのだろうか?と思うことがあります。
もちろん、わたしたちが彼らのためにできることはすべきだと思うのですが、それは「かわいそうだから」ではなく、「おたがいさま」だから。
わたしたち東京に暮らす人間も、いつ、天災に見舞われて、住む場所や働く先を失うかはわかりません。わたしたちだって誰かに迷惑をかけて生きていくのであれば、誰かが困ったり助けを求めているときに手を差し伸べるのはごく当たり前のこと。
なのですが、ずっと過保護に手を差し伸べて、「かわいそうな人たち」扱いをしていていいのだろうか?彼らだって彼ら自身で再生する力があるはずで、それであれば、直接的に何かを「与える」のではなく、「手助けをする」位置にシフトチェンジする必要があるのではないだろうか?と感じています。
彼らが抱えた悲しみに寄り添い、「わたしはいつでもあなたのそばにいるよ」というメッセージを送ること。同じ人間として、対等に接し、彼ら自身の力による再生を目標に、できる範囲で支援すること。これらは並立できるはず。こういうとき思いつく言葉はいつも陳腐ですが、そういうことなんだと思います。
ということで
わたしもこちらのクラウドファインディングを支援します。
大人や事業者がドヤドヤと行って支援するフェーズはもう終わり、これからのために、今の子供たちが大人になったときも見据えて今なにをすべきか、と考えてみると、高校生を被災地のボランティアとして送る、というのは、とても興味深いチャレンジだと思います。1人あたり1万円、100人分の交通費の支援、シンプルでよいのではないでしょうか。
3,000円から支援できます。3月31日(火)の午後11:00までです。その時点で成立した場合のみ、クレジットカードが決済されます。
人が動けば、少なからず何か変わるだろうと期待しつつ。
今日はそんな感じです。
チャオ!