わたしにはママ友がいない。
正確に言うと、会えば雑談したり何かの飲み会に誘ってもらえたりする方はいるのだが、こまめにLINEを交換したり、少人数で遊びに行ったりする人がいない。娘は保育園に0歳のときから通わせていたが、6歳で卒園するまで、結局そういう人はできなかった。
要因を考えてみたことがある。まず思いつくのは、保育園に子どもを預けるのは、有職で働く親が多いことだ。退園時間がバラバラなこともあり、顔見知りが作りにくかったり、会話をする時間がなかったせいだろうか。いや、それでも退園時に保育園の下駄箱のところで世間話をしている母親たちを見かけることはあったし、実際それで周辺住民から苦情が来るほど保護者がたむろしていた、という問題も聞いたことがある。であれば、忙しい時間帯だから話す時間がないということは関係ないだろうし、幼稚園なんかである「保護者が集まってなにか作る時間がないから」というのは、理由にならなさそうだ。
他の原因に思いをはせると、我が家は夫の送迎率が非常に高く、保育園がらみのことは夫に任せきりだったこともあるかもしれない。我が家が通わせていた園は、男性保護者の送迎率がそれなり高いほうだったと思うが、まだまだ女性保護者が送迎していることが多かった。なので、夫経由でパパ友・ママ友ができる期待は薄かった。それに夫は背も高く、服装は黒ずくめに長髪で、話しかけやすい風貌かというとそうではない。それにこれはわたしの問題であって、夫の責任ではない。
他にも、保護者同士が顔を合わせるといったら子どもの行事、例えば運動会とか、おゆうぎ会みたいなものがあったが、我が家は夫婦で参加していたので、どうしても話しかけられにくい……というか、もともと自ら話しかけに行くタイプではないのも問題だったかもしれない。周辺の保護者たちが楽しそうに話している輪の中に入れてもらっても、曖昧に微笑むだけで、たいして自分から話を振れなかったのもある。これもわたしの問題だ。
もっとも会話する機会が多かったのは卒園のタイミングで、保護者がグループに別れてそれぞれ卒園式で出し物や記念品を準備する企画があったのだけれど、仕事にかまけてあまり関わることができず、わたしがやったのは当日のちょっとした司会?のみ。ここでもまた存在感を発揮できずに、そそと当日を終えることとなった。
振り返ってみると、節目節目で趣味の合う人と会話したり、意外な共通点があって話が弾むことはあれど、自分から連絡先を聞けずに終わってしまってばかりだった。送迎していればいつか会うだろうし、グループLINEはあるからなにかあれば連絡はつく、という油断もあったと思う。でも卒園したのち、小学校に入学してから疎遠になってしまって、受け身だと何も起こらないのだなあというのをしみじみ思い知った。
というか、そもそもわたしにはママ友に限らず、友だちと呼べる人が非常に少ない。仕事以外で日々会話をしているのは夫と娘で90%を占める。残りの10%で、たまーにやりとりや業務連絡をしてくれる人がいるくらいで、それも本当に「まれ」である。
なぜだろう。
わたしに問題があることは間違いない。まず受け身であること。連絡不精なので、自分から何気ない連絡というのをすることができない。また、誘ったとき断られたら悲しいので、というか、そもそもわたしから誘われても迷惑だろうなと思うので、誰かをなにかに誘うまでのハードルが非常に高い。別にひどい扱いをされた経験がある、とか、嫌な断られ方をしたことがある、とかでもないのに、自分から誘うというのがめちゃくちゃ億劫なのだ。
自分に自信がないわけでもないのに、友だちづきあいが非常に下手なのはどうしてだろう。そもそも友だちとママ友は、何が違うのだろう。
距離感か?話題の種類か?それとも、価値観なのか???
一方で、イベントを企画して人を集めるのは、苦ではない。これは企画をひらいて「来たい!」と言ってくれる人がいるからであり、断られたときのショックが小さいからだろう。わたしはあくまで主催者であり、別にあなたが嫌なら来なくても大丈夫ですよ、という逃げのスタンスが取れるからだ。そう思うと、わたしは他者との距離感を取るのが本当に苦手なのだろうなと感じる。好意を持つと近づきすぎたりするし、逆に嫌われるのを怖がって離れすぎたりしてしまうのだ。
40代も後半になってこんなことで悩むのは馬鹿らしいのだけど、これはこれでわたしの個性なのだろうとも感じており、明日から「ハイッ生まれ変わりました!」と活発に知人たちへ連絡を取るようになったら、何か別の方向の心配をしたほうがよいとも思う。
良いふうに言うと夫が一番の理解者で親友だから、だいたいのことは夫が話しを聞いてくれるので、会話したい欲は家庭内で完結している。また、悩みごとも人に相談することに慣れていないせいもあり、アドバイスの求め方がよくわからない。
巷間では「女性同士は年齢を重ねると、お互いを上手にケアする」みたいな話題があるようだが、どっこいここにケアできないおばさんがひとりいる。わたしだってケアしたいし、ケアされたい。でもそういった欲は夫で満たされてしまっていて、特段必要とも思えていないのだ。しかし、老後を迎えるにあたり、このままでいいのかな?と思う気持ちと、ここまで来たらもう人生どうしようもねえだろ、という気持ちが共存している。どうしたものだろうか。
とはいえ、そういえば子どものころから友だちって苦手だったよな〜みたいなことを思い出したので、折りに触れ過去を振り返りながらその原因を探りつつ書いていってみたいと思う所存です。
今日はそんな感じです。
チャオ!