インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

「働く」ことは、世界を変える手段のひとつ

働くことは、どういうことか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
読みまして。


ちょうど最近、自分のキャリアについて他人に説明する機会があって、自分が仕事を選ぶときの基準?みたいなものを考えていました。
もちろん「働くのは食べるため」というのが大前提にあるんですけど…。

どうせ死ぬなら

子供の頃からずっと、もしいつか死んでしまうなら、自分が生まれてきた意味って何になるんだろう?と考えていて、結論は出ないなりに、10代後半ごろには「どうせ死ぬなら、生きてきたことを世の中に残せる何かがしたいな」と思うようになりました。


子供ながらに「わたしは社会に生かしてもらっている」という感覚があったし、わたしも社会になにかお返しできることがないかなと探していたのですが、その一方で、自分の好きなことやしたいこと、美しいものやきれいなものにだけ触れて生きるにはどうしたらいいんだろうとも悩んでいました。

あちこち寄り道した結果

諸々省きますが、そういう自分のワガママと理想を捨てずに仕事を選んで働いてみたら転職歴は増えるしスキルの幅も広がりすぎて収集つけなきゃなんなくなっちゃったんですが、それらを総括してみると、なんだかんだで子供の頃に考えてた地点からはそんなに離れてなかった。


「社会に何か返したい」と思ったのは弱い人や不便な人に対して何かしら手を差し伸べようと苦戦してる人たちへの感謝からで、わたしもそんなふうに誰かが幸せになるための事柄に関われるといいなと感じたからだし、「好きなものやきれいなものに触れていたい」と思ったのは、それがこのクソみたいな世界で生きるための拠り所で、大切にしたいから。

どちらもわたしより先に生きていた人たちが残してくれたもので、それをわたしも次の人たちに渡さなきゃと思っています。


その方法を色々考えた結果、自己犠牲によって成り立つキラキラファンタジーなやり方だけじゃなくて、ちゃんと自分や関わる人の利益にもなる形で実行したいなあと思って考えていたら、それが「仕事でやりたいこと」「働く意味」になった気がします。

働く理由とその意味

キラキラファンタジーにしたくないと思う理由は、ちゃんと利益になる形で実行しないと、継続できないから。無限に原資が湧き出る富豪ではないので、やりたいことを続けられる仕組みとセットで考えないと、意味が無いと思ったからです。もし富豪に生まれ変われたらジャンジャンお金つかって世の中のためになることとかしてみたいですけどね。


話を戻して、やってること自体は微々たることかもしれないけど、それが続けば世界だってちょっとずつ変わっていくかもしれない、っていう手応えは、生まれてきた醍醐味みたいなのにつながるんじゃないかなと思っています。
それがつまりは子供の頃から考えてた「生まれてきたからには何かを残したい」という欲求の解消になってるのかもしれません。


「世界を変えよう」って言ってもわたしはすごいことはできないので、それならちょっとした幸せとか楽しさみたいなものをたくさん誰かに渡せれば、それはそれでいいやと思っていて、他者とのコミュニケーションの根本て、そこなのかもしんないなあと思います。経済活動も含めてね。


「社会に何かを返したい」「好きなものやきれいなものに触れていたい」という気持ちをもって、「誰かを幸せにするため」に、「継続できるやり方」で実行すること。
それがわたしにとっての「やりたい仕事」で、「働く目的」なんだなーと実感しました。


元エントリのいぬじんさんと同様、わたしもブログで自分の失敗談を書き続けることである程度は実現できてると思うのですが、それだと経験以上のことは返せないから、社会に関わりながら働くことで、もっと大きい何かを返していきたいと思ってます。


当たり前っちゃあ当たり前な話ですが、そんなことに改めて気付きましたよ…というお話でした。
たまにはそういうのを考えてもいいかもしれないですね、新年だし!


今日はそんな感じです。
チャオ!