インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

「夫婦関係特化オンラインコーチング」を試してみた話

こんなサービスが出た、というリリースを見たのですよ。

プロの力で夫婦関係を改善!日本初の夫婦関係特化オンラインコーチングサービス「tellme」を8月7日にリリースします。

prtimes.jp

 今までカウンセリングは受けたことがあったのですが、コーチングはまだ受けたことがありませんでした。しかも夫婦関係特化で、しかもオンラインって珍しい&おもしろい!と思い、さっそくサービスサイトを見てみたところ、期間限定で初回セッションが無料とのこと。

 

tellme-tellme.jp

ただし、シングルプランのみということなので、ひとまずわたしだけ試すことにしてみました。申込みは簡単で、事前のやりとりをメール/LINEのどちらで行うかを選び、アンケートに回答。相性のよさそうなコーチを提案してもらったあと、日程を調整し、ビデオ通話でセッション開始、という流れです。

わたしはLINEを選んだのですが、即レスポンスをいただき申し込んだ翌々日?くらいにはセッションが決まりました。以下、オンラインで初めてコーチングを30分ほど受けてみた感想です。

 

自分のモヤモヤを言語化するのは大切

ビデオ通話でセッションが始まると、簡単な前提とタイム感の確認があり、いまわたしが抱えているモヤモヤについてざっくりと伝えながら、キャッチボールをするような感じで進んでいきました。

個人的にこうして文章を書くことで自分のモヤモヤは言語化できている・得意なつもりでいたんですが、細かい前提や自分しか知らないことを、それがまだ共有できていない相手に伝えようとすると、ものすごく言葉を選びます。

他者に伝えようと言葉を選ぶ作業を踏むことで、自分の感情や不安、不満がより具体的になっていった手応えがあり、面白いな、と感じました。

 

相手との相性は話してみないとわからない

わたし自身の悩みとしては、40代を過ぎて自分のキャリアをどうしていくか、みたいなことだったのですが、今回お願いしたコーチはいまのわたしの年齢よりさらに上の年齢からコーチングを学び始め、キャリアを積んできた方でした。そういった経験もあってか、雑談の中で「まだまだこれからですよ!」と励ましてもらい、すごく気持ちが軽くなりました。

カウンセリングでも先生との相性ってとても大切ですが、今回もコーチを選ぶ段階で事務局の方から複数コーチのプロフィールをいただき、それを読み込んだうえで今回の方にお願いできました。そのため納得感が高く、相手のバックグラウンドや経歴を知っていると、コミュニケーションもスムースに進むものだなと思います。

あとわたしは非常に警戒心が強いので、「この人信用できない!」と思ったら心を即閉ざしてしまう傾向にあり、そういう意味でも、オンラインである程度距離を保ちつつ、徐々に心を開いていってもらう感じは居心地がよかったです。

 

答えは自分の中にある

セッションの中でもお話があったのですが、あくまでコーチングは「わたしの中にある答えを見つけるために、ガイドしてもらう」という感じで、次、どうするべきか、自分がどうしたいか、は「自分が知っている」という前提で進みます。

そりゃそうだよなという感じでもあるのですが、こうして他者に「ここが重要そうに感じますが、どうですか?」と指摘されると、改めて「ああ、そうなんだよな」と実感できました。感覚でいうと、歩くのは自分なんだけど、歩くための道を薄ぼんやりと照らしてもらえる、という印象。自分である程度悩んで考え抜いたあとに受けると有効そうだな、と感じました。

逆に「教えてほしい」「指示してほしい」みたいなスタンスだと、思ったような効果はでないかもしれません……。少なくとも今回、わたし自身がいろいろ悩んで考えたことを話す過程でコーチが気づいたことを指摘し、さらに深堀りをしていく感じだったので、とてもよかったな〜と思いました。

 

終わってみての感想

終了後にアンケートが送られてくるので、それに回答し、継続してセッションを受けるならそこから申込みも可能です。しつこく申込みを勧められることもありません。

わたしは今回、シングルプランで1人だけ受け、夫婦のことというよりは、結婚・出産後のキャリアや自分自身の迷いみたいな部分にスポットを当ててもらったので、改めて1人で受けるのか、夫婦で受けるのかを夫と相談してみようと思っています。(でも、引き続き1人で受けてみてもいいかな……)

2人で受ける場合も同様に、コーチの提案があり、相性が良さそうな方を選んだ上でオンラインで受けられるので、子どもを連れて出向かなくていいのは助かるなと思います。自宅で受けられるので、リラックスもしやすい気がしました。

 

あとやはりオンラインの魅力というか、相性のよさそうなコーチと距離を問わず出会えて話せる、って素晴らしいな!と思います。こういうのってマッチする人に出会えるかどうかがキモになると思うので、通いにくい…とか遠い…とかに煩わされないのは、とっても素敵!

 

ということで気になった方は無料セッション実施中のうちに受けてみてはいかがでしょうか!というお話でした。PRではないので気軽にこちらからどうぞ〜

tellme-tellme.jp

今日はそんな感じです。

チャオ!

逃げ続けたのを後悔している、という話

寄稿しました。

fcheck.f-treatment.co.jp


卵巣年齢をセルフチェックできる検査キット『F check』のブランドサイトに体験談を書きました。

卵巣年齢は、「卵巣の中に残っている卵子の数が、
何歳の平均的な値と同水準か」を表すもの
卵子は女性が胎児のときに作られ、生まれた時に個数が決まっています。「卵巣の中に残っている卵子の数が、何歳の平均的な値と同水準か」を表すものを、卵巣年齢と呼んでいます。
この卵巣年齢は、卵子の周りの細胞から出るホルモンであるAMH(アンチミューラリアンホルモン)の値の測定結果に基づいて算出しています。

https://fcheck.f-treatment.co.jp/ 


血液0.1mlを指先から採取し、郵送することで結果をスマホで閲覧することができる……というキットのブランドサイトです。自宅にいながらにして検査ができるなんて、未来が来てる……と思ったのですが、初めてこのキットのことを知ったとき、「ああ、わたしが20代のときにこれがあったらな」と強く思いました。

過去、自分自身の「子どもがほしい」という思いとしっかり向き合わなかったのを割と後悔していて、なんとなく相手の意向に合わせたり、なんとなく「自分は子どもがほしくないんじゃないか」と迷ったりしていました。そうやってうだうだしているうちに、あっという間に歳を重ねていったので、なんというか、「気づいたときには選べる選択肢が限られていた」という感じがあった。

 

もっと早く、何らかのアクションを取っていれば、いまの状態はまた変わっていたかもしれない(し、変わっていなかったかもしれない)と思うと、心の奥にざらざらとしたものが残ります。

 

知った上で選ぶのと、知らないで選ぶのでは精神的に大きな違いがあります。そして過ぎてしまった時間は取り戻せないものなので、「こういう人もいるよ〜」という記録を残し、いま迷っている人の参考になったらいいな、という思いで書かせてもらいました。

 

幸い、いまの夫と結婚する際に「ああ、この人の子どもがほしい」と素直に自分の気持ちを伝えることができ、めでたく可愛い娘を授かることができたのですが、もし娘ができなかったとしても、「ちゃんと自分の気持ちと向き合い、それを相手にも受け入れてもらえた」という事実は、わたしの人生に素晴らしく前向きな影響を与えてくれていると実感しています。

 

わたしは生きていくうえで「なるべく後悔は少ないほうがいい」と思っていて、「そのためにできることはなるべく多く手を打ちたい」と考えているのですが、実際、子どもを持つことに関しては後悔を少なくするためのアクションがあまり取れていなかったんですね。それはたぶん、自分ひとりの力ではどうにもならないことだらけだし、もし望むものが得られなかったときの辛さに耐えられる自信がなかったからだと思うのですが、正直、逃げてる場合じゃなかったなあ、と思います。

 

もちろん、子どもを持つということは重大な決断だし、軽率に「子どもはいたほうがいいよ!」と言えるものでもありません。大切なのは、自分の気持ちと向き合うこと。事実をしっかり把握すること。そのうえで、自分の人生の選択肢にはどんなものがあるかを知ることだと思います。今回の寄稿が、なにかしら考えるきっかけになるとうれしいです。

 

ちょっと長めの文章ですが、よかったらぜひご一読いただければ幸いです。

『人生のプランB』を持つということ | F check卵巣年齢チェックキット

 

今日はそんな感じです。
チャオ!

寄稿しました、夫について

『働き人File』というサイトに寄稿しました。

www.recruitjobs.co.jp

わたし自身について、ではなく、わたしから見た他の誰かの「働く」について書いてほしいというご依頼で、誰がいいかなあと迷った結果、夫について書くことにしました。

このブログではあまり言及してこなかったのですが、夫はいわゆる元ニートで、大学を出てから働くことも雇われることもなく、ぷらぷらとしていたところにわたしと出会い、なんだかんだで職を得た人です。そういう彼が「いつまでも親のスネかじってられないんですけどねえ」という言葉を真に受けたわたしが彼にあれやこれやしてニート卒業するまでの話を書いてみました。感想で「あんまり参考にならない」と書かれたりしてますが、そりゃそうか……。でも、「どうしてもこれをやりたい!」がない場合、「これならやれるかな」「これならいけそう」を軸に仕事を選んでみるのもありだよ〜というのを書きたかったので、興味わきましたらぜひご一読ください。

 夫はこういうことを言う人で、仕事大好き!仕事で成長!仕事で自己実現!キラキラ!みたいな働きモンスターだったわたしとはちょっと人生の軸が違うタイプなのですが、そういうのもあって一緒にいて楽しいです。

わたしも最近は働くこととの距離感みたいなのを少し変えて生きているので、書くものもそれに合わせて変わっていくかもしれません。人生っておもしろいね!

今日はそんな感じです。チャオ!

2019年6月下旬から7月上旬の日記

これは他愛もない日記ですが、かけがえのないわたしの人生の記録でもあります。

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これは近所のビストロで偶然友人夫婦と同席ときに食べためちゃ旨カチョエペペ。

 

何しろたくさん人と会う

環境の変化に備えていろんな人と会っています。会うことで知らない情報がもらえたり発見があったり、さらに自分のことについてもなんか知ることがあったりと、他者との会話は宝物の山だなと思います。

あと、秋に文フリに出るのでその相談に乗ってもらったのですが、誰かと話してるだけで「そうだよ、そんなふうにやりたかったんだよ」が見えてきて素晴らしくスッキリしました。何事も持つべきものは良い先輩だ……。

ひさしぶりにスナックに立つ

知人のお店の店番として歌舞伎町のスナックのカウンターに立つ、ということを出産前にやっていたのですが、それをひさしぶりにやりました。足は棒のようになりましたが意外と楽しんでやれたので、次回またやろうと思います。

カウンターに立つときは、人の話をよく聞くのが肝心で、こちら発信の話はほんとにほんのちょっとでいいんですよね。相手や場の広がりを上手にサポートできるようになりたい。なんかそんなことを思い出しました。

猥談バー初体験

【日本初】エロくて面白い夜をつくる!完全会員制「猥談バー」をオープンします! - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)

詳細は省きますが、会員になれたので行ってきました。とても面白い体験でした。

会員制なので気軽に行けない場で、ある全体を共有した上で気楽におしゃべりができる、というのはあまりないことだからかもしれません。お店の人はまるでひな壇を回す司会者のようで、話者が気持ちよく楽しく話せるためにグルーヴを作っていくのは大変だなと見ていて実感しました。

原稿いろいろ書きました

直近で公開されたのはサイボウズ式の連載。

「弱みを見せると社会的立場を失う」という考えは、なくなりつつあるのでは? | サイボウズ式

どのくらい共感してもらえるか不安でしたがまずまずといった感じでしょうか。「心理的安全性」という単語がいい感じに浸透して当たり前の概念になってほしいな。これ以外にも書いたので、7月に公開されると思います、たぶん。その節は何卒よろしくお願いいたします……!

 

他にも会ってみたいな〜と思ってた人とサシで飲めたりして最高だったので、なんかいろんなことがうまいこと回っていくといいな!と思っています。

今日はそんな感じです。チャオ!

2019年5月から6月の日記

これは他愛もない日記ですが、かけがえのないわたしの人生の記録でもあります。

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これは友人たちと町中華飲みしたときのオムライスです。

娘、1歳をむかえる

めでたく1歳を迎えた娘と、母として父としての1歳を迎えたわたしたち、わけもわからず手さぐりで、まあ、なんとかやっています。

保育園に入れられたのは、大きかったですね。なんか同世代の子供とのふれあいで、成長速度にドライブがかかっているような気がします。ありがてえ。

夫、5月がお誕生日

あまり派手なサプライズもなく、皮の名刺入れと恒例のラブレターをプレゼントして、つつがなく終了。食べるかなあと迷いつつ、ケーキの手配を忘れたのが痛手。

でもプレゼントを受け入れてもらえてホッとしました。なんと彼は20代ラストイヤーということなので、どうなるのかしら…?

我が家で一升餅パーティ

ご存知ですか「一升餅」。子どもに餅を背負わせて歩かせ、その先にある「選び取り」の札を選ばせて、将来を占う、みたいなセレモニーです。

当日は我が家を解放してお客さんでギュウギュウになりつつ、楽しく過ごせました。楽しかったので、娘の誕生日にかこつけて、なんらかの飲み会を毎年やりたい。娘本人がやりたいのかはまだ分からないんですが、親がやりたいうちはやる、娘が「もういいよ」と言ったら単なる飲み会にするって感じがいいかなと思っています。

素敵な人々がうちへ来たる

今の家はわりと駅近なので、なるべく人をお招きしてくつろいでもらえたらいいなと思って飲み会にも解放しています。家飲みは安いし、遅刻気にしなくていいし、近くに小杉湯という銭湯もあるし…

なんか高円寺へ遊びに来たときの拠点ぽいかんじで、友だちが立ち寄ってくれたらいいなーと思う。

逆にお呼ばれもして最高

娘がいるので機動性は格段に落ちるのですが、まあ子どもがいる生活って思ったよりスローモーなんだな…というのを一緒に遊んで疑似体験してもらえると面白いかもしれません。

娘も乗り物の練習になるので、あちこち連れて行きたいな。

そんな感じで

娘と夫との生活を中心に生きていますが、仕事もしてますし日々も楽しいです。しかし娘、ほんとかわいいです。だがこのもろく、かわいく、やわらかい生き物を、本当にわたしはしっかり育てられるのだろうか……

 

不安ではありますが、やるしかないよね!

という勢い締めで今日はこんな感じで。

チャオ!

寄稿2本。結婚、パートナーシップのこと

娘が1歳になりました。みなさまいかがおすごしですか。

さて最近、2本ほど寄稿しておりました。

奇しくも前の結婚と、今の結婚、それぞれについて。

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さよなら平成

平成が終わる

 平成はまるっとわたしの人生の中に入っている。昭和に生まれ、平成に子どもを産み、令和を迎えようとしている。3つの元号を生きるとは思わなかった。亡くなった祖父は明治生まれで、明治、大正、昭和を生き抜いて、じいちゃんはすごいなあ、と思っていたけど、その祖父と同じ状態になるとは。

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 昭和64年、昭和天皇崩御の発表があったときわたしは小学生で、お正月明けて間もない1月、テレビや新聞の騒ぎ方から、何かすごいことが起きたのだという程度にしか理解していなかった。覚えているのは頻繁に流れるニュース速報で、誰かの命が失われていく様子をこんな小刻みに見ることがあるのだろうかという、不可思議な気持ちだった。そしてやってきた平成とともに、わたしは10〜30代を過ごすことになる。

甘えるのを諦めた10代

 10代のわたしはとにかく「扱いにくい子」だ、と父親によく言われていた。2歳離れた妹は朗らかで明るく人当たりもいいのに、なぜお前はそんな頑固で聞き分けがないのだ、と比べて嘆かれた。自分でも自分の気難しさはわかってはいたが、どうしようもなかった。小学校の高学年にあがるころ、母親が入院がちになり、クラブ活動を辞めて放課後は家事をすることになった。当時は妹とあまり仲が良くなかったが、長女の責任感で、彼女に家事を負担させることはできないと思っていた。

今でも妹は「わたしはお姉ちゃんに育てられたから」と言ってくれるが、実際のところ、大した働きはしていなかったと思う。しかし心構えだけは一人前で、母親の代わりに家庭を支えるのだ、という自負が強かった。早々に子供らしさを捨て、親に甘えることを諦めた。甘え方もよくわからないうちに誰かに甘えるのを諦めてしまったことが、後のわたしの生き辛さにつながったのかもしれない。

ともあれわたしの10代はほとんど母親に振り回されてきた。まだ存命だが母親と喧嘩する夢を今でもよく見るし、母親のようになりたくない、という気持ちで仕事や生き方を選んできたような気がする。

働きまくった20代

 そして20代、とにかく働いた。20代をずっと仕事に捧げた、というと語弊があり、実は20代前半まで、わたしは「早く結婚してお嫁さんになりたい」と思っていたのだった。ちぐはぐなのだが、母親のようになりたくない、と思いながら、父親に庇護され愛されている母親を、うらやましいと思っていた。わたしも誰かの最愛の人として守られたかった。付き合う人は全員「結婚を前提」としていた。気難しい人、優しい人、個性はバラバラだったが、みないい人で、いい男だった。

20代半ばまでで2回、婚約破棄をした。2回めの婚約をやめたのは、会社員兼バンドマンだった相手が「もう少し音楽をやりたいから、結婚を待ってほしい」という理由だった。婚約したあと、やっぱりもう少しバンドを本気でやりたい、諦めがついたら結婚しよう、と言われたとき、いいよ、待ってる、と返したものの、相手と結婚したい気持ちがスッと冷めたのがわかった。婚約者としてしばらく付き合い続けたが、結局、婚約を取りやめてもらった。理由をなんと伝えたかはもう覚えていない。ともあれ「もう無理だから」と言って双方の親を困らせた。相手方のご両親から「結納金を返してほしい」と言われ、いただいたのし袋そのままと引き換えに、元婚約者から受け取りのサインをもらったとき、もう結婚は無理かなと思った。

 そして20代半ばから、逃げるように仕事へ没頭することになる。それまで大したキャリアもなくフラフラとしていたので、派遣社員として当時急成長していたIT企業に潜り込み、すぐに社員登用の話をもらった。正社員になってからはITバブルの勢いもあり、働くのが本当に楽しかった。

いつも深夜まで残業していたし、金曜の夜は翌朝まで働くぞ!と言って夕飯をみんなで食べに行って大騒ぎした。職場の床で寝たこともあるし、誕生日も職場で3度迎えた。誕生日の夜、同じチームの仲間が会社近くの王将に連れて行ってくれ、「好きなものなんでも頼んでいいぞ!」とおごってくれた。10代以上に、青春だったと思う。自分で考え企画して提案したアイデアが採用されるのが楽しかったし、1億円以上の受注を自分の手で決めたときは、震えるほど嬉しかった。このころ出会った友人たちとは、今でも仲がいい。

結婚、離婚、破れかぶれの30代

 30代を迎え、友人の結婚式にもあらかた出席してみると、だんだん「やっぱり結婚してみようかな」と思うようになった。ならばといわゆる「婚活」を始めて、親の紹介で見合いもしたし、婚活パーティにも参加した。見合いも婚活パーティも実りはなかったが、「自分はこういう人と結婚したいんだな」という譲れない条件を洗い出すのには、非常に有効だったと思う。そうして周囲にも「婚活してるんですよ」と言って回っていたおかげか、最初の結婚ができた。

取り持ってくれたのは、近所の飲み屋のマスターだ。この結婚についてはブログで何度も書いているので割愛するが、元夫との生活は子ども時代をやり直させてもらうような、育て直しをしてもらうような結婚だった。相手からたくさんもらってばかりで、わたしからなにか与えられたのだろうかと未だに思う。残念な結果にはなったが、結婚を決めたことを後悔はしていないし、元夫のような人に出会えて、選んでもらえたことを今でも誇りに思う。

 40代を目前にして、ふたたび一人に戻り、残りの人生はもう「おまけ」だなと思った。仕事があったのが何よりありがたかった。経済的な自由は精神の自由を担保してくれる。また必死で働く日々に戻った。そこでもよき仲間に恵まれ、青春の日々を送った。会社帰りによく飲みに行き、社会をどうしていきたいか、どんなことを実現したいかをよく語り合った。チームの仲間で車を借りて、仕事帰りに温泉旅行もした。年齢層はバラバラだったが、みな夢があり、仕事が好きで、何よりいいやつらばかりだった。

しかし、仕事は充実していたが、どうしようもない寂しさに襲われることも多かった。楽しい日々の中でも、その思いは消えなかった。気難しい性格で、離婚歴があり、40代が目の前だ。とにかく「今日を生きよう」と思った。今日を生き、生きつないでいけば、場当たり的でもどこかへたどり着けるかもしれないと思った。人と出会い、酒を飲み、めちゃくちゃに遊んだ。その生活の中で知り合ったのが、今の夫だった。

再婚、出産、長生きしたい40代

 一回りも年齢が下の男性を恋愛対象として見るアラフォーは、割合少ないのではないかと思う。自信がないというより、鼻から相手はこちらを対象外としているだろうから、変な気を起こすと怖がらせてしまうだろう、と自制するからだ。わたしも最初はそうだった。出会って半年ほどはただの遊び仲間として過ごしたが、あるとき夫はわたしをちゃんと「女性」として扱っていることを知り、関係が変化していった。

お互いそれなりに葛藤はあったような気がするが、それ以上に一緒にいる楽しさが上回った。夜、眠る前に毎晩電話をしても、話が尽きることがなかった。ああ、この人といると楽しいな、素の自分でいられるな、と思ったらスルスルッと付き合いが始まり、当たり前のように結婚の話になって、子どもができ、今に至る。

 再婚して子どもがいる人生を歩むことになるとは思っていなかったので、非常に焦りもある。なぜならこちとら「おまけの人生」と破れかぶれになっていたのだ。離婚したあとは、何も将来のことを考えていなかった。なんなら40代のうちに死にたいと思っていたくらいだ。ところがどっこい、急に死ぬわけにはいかなくなった。というか少なくとも残り20年、娘が成人するまでは、なんとしてでも生きたい、と思うようになった。

人生ってどうなるか、本当にわからない。あんなに死にたくて、もう自分という人間から逃げたかったのに、そんなことを考えている暇がなくなってしまった。自分から産まれた娘は心底可愛く、自分を選んでくれた夫は本当に愛おしい。出産という経験もめちゃくちゃ面白かったし、夫婦というパートナーシップを作っていくのが、あらためて楽しい。死にたがっている場合じゃねえ、と思うようになった。

さよなら平成

 こうして七転八倒、七転び八起きの平成が終わろうとしている。なんだかでこぼこで、みっともないことだらけの人生だと思う。もっとスムーズに、凹凸なく安定して穏やかな生き方をする人もいるだろう。そういう人をうらやましくも思うが、自分の人生もこれはこれで面白いからいいか、と思っている。平成の終わりに痛感しているのは、「惨めでも格好悪くても、生きてさえいればなんか面白くなってくる」ということだ。結果オーライだからそんなことが言えるのかもしれないし、これから先の人生だって、まだ何も分からない。でも今まで何度も転んで立ち上がれたのだから、これからも、まあどうにかなるだろう、と思っている。

 

 付き合い始めたころ、夫に「あんまり長生きしたくないと思ってるんだよね」と言ったことがある。そのとき夫は「長生きしなよ。長生き、似合うよ!」と笑ってくれた。長生きって、似合う・似合わないがあるのだろうか?よくわからないけれど、似合うと言われたなら、それに従ってみようと思う。何しろ「おまけの人生」なのだ、どんなことがあっても、楽しんでいけるだろう。

 

 2019年までブログを続けてこられたのも、読んでくださるみなさんのおかげだと思います。猫も元気です。これからも細々と書き続けていきたいと思うので、今後ともどうぞごひいきに。

今日はそんな感じです。
チャオ!