「わたしは友だちが少ない」というテーマでここ数日考えていたのだけれども、そういう趣旨の記事を読んだりAIに壁打ちしてもらってみると、最終着地は「友人は少なくても自分が豊かに生きられているのであれば、それでよい」という感じになることが多い。
「自分が豊かであれば、友だちの数は問題ではない」という着地には同感するし、息苦しい人間関係であれば一度整理したほうがよい、という結論は理解できる。ただ、どうしても「友人を『断捨離』しましょう!」という言い方に、とても違和感を覚えてしまうのだ。
もともと『断捨離』という言葉は、やましたひでこさんという人が「片付けのメソッド」として提唱されたもののようで、不要な物を「断ち」、手放し「捨て」、物への「執着から離れる」という考え方のよう。なるほどモノの整理にはよさそうだし、ただ捨てるだけでなく、物への執着から離れる、という発想も共感できる。わたしは「モノより思い出」派なので、強い思い入れがない限り物を手放すことに抵抗はないが、何に対しても思い出があるから取っておきたいという「モノにも思い出」派の娘とぶつかることがある。たとえばサイズアウトした服(ファーストシューズ、とか、初めて買ったワンピース、とか、記念的な意味があるものは別として)はバンバン処理するし、子どもの力作はデータ化したり額装したりはするが、そうではないものは一定期間保存したのち処分してしまう。自分の持ち物も、一定期間持ってみて「使わなさそう」と思ったら、捨てるのにそこまで抵抗はない。そういう意味では、「断捨離が苦手な人」ではないのだろうと思う。
ただ、もともとが執着の強い人間というのは自覚していて、だからこそこんなに長い間ブログを書き続けているのだろうけれども、同時に「執着が強い自分」というのにやや嫌悪感があるのも事実。
「執着」については10年前にこんなエントリーを書いたことがある。
執着を捨てる。良いできごとにだけ目を向ける。 - インターネットの備忘録
執着しちゃうっていうのはそれなりに思い入れとかがあるんだろうからゼロにはできないし、ゼロにならないからって焦って無理やりもがいても意味は無いので、それよりも「いま、できていること」「誇りに思えること」はないかを意識して見つけるほうが、よっぽどいい。
人間関係についても、同じ。
執着を捨てる。相手の気持ちを知りたがらない。自分のしたいことだけする。未来を楽しみに思っても、期待はしない。
— はせおやさい (@hase0831) 2014年12月7日
当時は人間関係で悩むことや、相談を受けることが多くて、そういうときに感じていたのが「これは執着なのか?何なのか?」をしっかり切り分けないといけないのだということ。
本当に自分に必要な関係性であれば、なぜこんなに悩んだり苦しんだりするのだろう、というのをずっと考えていて、それはきっと「見えている目の前の相手」にフォーカスせず、「相手の気持ち(見えないもの)」を深く知りたがるから発生しているのかもしれないと思ったのだ。
要するに、人間関係に執着してしまうとき、わたしは相手の気持ち(見えないもの)を知りたがっている、というのを自覚的である必要があるし、良い意味で「そんなのわからないよね」と一歩引いたスタンスを取るほうが、うまくいくことが多い。例えば言葉の裏を読むとか、言っていないことを汲み取るとか、そういうことをするのをやめた。それに「相手のすべてを知って理解したい」、という感情は、相手を支配したい、という感情まで3ホップくらいで行ってしまいそう、というおそれが自分の中にあることも大きい。
とはいえ、「友だちが少ないのは悪いことではないですよ!」と高らかに宣言され、「不要な人間関係は逆に人生のネガティブ要素になるので、断捨離しましょう!」と言われて「なるほどそうですね!」と思えるほどドライにもなりきれない。
これについては2009年にすでに書いていて、
・求めすぎない
・与えすぎない
・今だけ見ない
がキーワードだなと思っているのだけれど、相手に求めすぎてもいけないし、逆に与えすぎてもいけない。与えすぎる、というのはすぐ求めすぎることに反転するし、「与える」とは一見とても善行のように思えて、相手を支配するための大義名分にもなりかねない、というのが持論としてある。
そして一番大切なのは、「今だけ見ない」の部分。「今の関係だけ見ない」というのは「今この瞬間の状況だけで相手との関係に見切りをつけない」という意味である。
誰だってそうだと思うのですが、いいときがあれば悪いときもある。ひとにはそれぞれ事情があり、ものにはタイミングがあると思います。
これを忘れて今この瞬間だけ見てワーッ!ってなると悩んじゃって人付き合いがしんどくなっちゃうと思うので、いいときはともかく悪いとき、相手との関係がなんかちょっとドヨ〜ンとしてるなーというときほど「今このひととはそういう時期なんだな」と一歩引いてみる。
ほんとにご縁のある相手なら、いま離れていてもまた仲良くなる時期がくるし、そのまま離れていっちゃうなら、その人とはそういうご縁だったと思うこと。
これを着物の柄の「よろけ縞」にたとえて、「つかずはなれず」でいけるといいなと思っていたのが2009年。
この、1本1本の線が自分の人生だとしたら、いろんなひとと近づいたり離れたりするときがあるのは当たり前で、近づいたときの時間にフォーカスし、そのときをしっかり大切にするのが大切、という考え方をしている。
要するに、一定の距離を保ちつつ、もっと長期間で関係性を見るほうが、結果的に相手との良い関係を作れるのではないか、と思っているのだ。まあ今のわたしに断捨離するほど友人が多いのかというとそうでもないのだけれども、この瞬間に相手のことを「いやだな……」と感じたからといって、一度できた縁を捨ててしまうのは、あまりにもったいない。
何が言いたいかわからなくなってしまったけど、友だちの人数が少ないのを恥じることもないけれど、だからといって積極的に減らす必要もないんじゃない?そもそも、人間はモノじゃないんだから、「断捨離」とか言って勝手に縁を切るんじゃないよ、ということが書きたかったのだと思う。
今日はそんな感じです。
チャオ!