金木犀の香りがする、という声をあちこちで見かけた。へえ、と思いながらも駅へ向かう道のりで確かにわたしも金木犀の香りを感じたような気がして、ああ、今年も秋が来るのだと思った。
子供の頃、通学路には様々な植物が植えてあって、その顔ぶれの移り変わりで季節を実感していた。つつじ、くちなし、ひまわり、そして金木犀。特に香りの強い金木犀は、花が開くとすぐに分かるので、学校からの帰り道、毎日のようにその小さなオレンジ色の花をじっと見つめ、匂いをよく嗅いでいた。自分の身長よりはるかに高い金木犀の樹に一歩近づくと、匂いがいっそう濃くなり、通学路から外れた自分が、その匂いの中に包まれてしまうような気分になった。
小学校5年か、6年のときだったと思う。やはり秋で、金木犀の香りが立ち始めた頃、どうしても我慢ができず、金木犀の花に手を伸ばして、摘んでしまったことがある。小さな鞠のようなオレンジ色のかたまりをひとつかみ、ふたつかみ掴んでポケットに入れ、自宅に持ち帰った。蓋つきのガラス容器を押し入れから見つけていたので、その中に花を詰めておけば、香水のようにいつでもその香りが楽しめるのでは、と思ったのだ。ワクワクしながら小走りで家に帰る途中、当時、入院していた母に見せてあげよう、と思った。母の化粧鏡の前には香水の空き瓶があり、今はもう付けないけれど、きれいだからとってあるのよ、と言っていた。それを聞いたわたしは、おかあさんは香水が好きだけど、でも、いまはわたしたちのおかあさんだから、本当は欲しいのに、買うのを我慢しているんだ、と思っていた。実家が会社を経営していて、蝶よ花よと育てられたお嬢様な母が、質素な倹約家であった父に無駄遣いを咎められているのをよく見ていたせいかもしれない。
だったらわたしが好きな金木犀を香水にして持っていってあげよう、という子供らしい浅はかな考えでガラス容器に花を詰め、水を注ぎ、蓋をして、水に香りが移るのを期待した。どこに置いておけばいいか考えあぐね、見つかりにくいであろう学習机の一番下の、大きな引き出しにそっとしまった。見つかりにくい、とは誰にだろう? もちろん父にだ。厳しかった父は、わたしが女性らしい装飾に興味を持ったり、華美に着飾ることをあまり好まなかった。それはもしかしたら、母に対しても同じだったのかもしれない。特に具体的な理由はなかったが、見つかったら父に怒られるかもわからないから、これはわたしとおかあさんだけの秘密にしよう、と思っていた。次の週末、母の病院へ見舞いに出かけようとして引き出しを開けた。密閉容器の中で水に浸されたままだった金木犀の花は黒ずみ、その臭いは、香水どころの騒ぎではなかった。ワクワクして風船のようにふくらんでいた気持ちがぺしゃんこになり、父に見つからないよう、こっそりとお手洗いに中身を流した。その後のお見舞いがどうだったか、まったく覚えていない。もしかしたら拗ねて急に「行かない」と言い出したのかもしれない。
とにかくわたしの計画は大失敗に終わった。その後、退院した母は年末に自宅に戻り何事もなかったかのように日常が続いた。それ以降、母は入退院を繰り返すことになる。わたしは子供時代を奪われたような気持ちで不満と怒りを抱え、かといってそれを口に出すこともできないまま残念な大人になった。
大人になり、母の化粧台にあった香水の名前がゲランの「ミツコ」だということ、不満をこぼしながらも母が父を深く愛していたこと、父の倹約はわたしたちが住む家やわたしたちの将来のためだったということ、などを知るようになる。要するに、当時のわたしは、あまりにも何も知らなかったのだ。摘んできた花をただの水道水に浸けても香りは移らないし、わたしが知らない両親の顔や苦悩があるのだというのを、何も知らなかった。だからといって、当時、摘んできた金木犀の花をガラス容器に詰めた何も知らない自分を、責める気にもならない。やってみなければ、間違えてみなければ分からないことだってあるのだ。ガラス容器の中でゆっくりと腐っていった花のことを思い返すと、どうにも申し訳ない気持ちになるけれど、どんな感情も、閉じ込めておくことなんてできない。失敗してみて分かることがあるし、振り返れるようになって始めて知ることだってあるのだ。だから、あれでよかったのだ。今はそう思っている。
金木犀のことを考えたら、そんなことを思い出しました。
今日はそんな感じです。
チャオ!