特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
新学期に国語の教科書が配られたら、すぐに全部読んでしまうような子供でした。
何年生のときだったか忘れてしまいましたが、そのときもやはり国語の教科書が配られてすぐに、先生の話もそこそこに、どんなお話が載っているかワクワクしながら教科書をめくっていました。
そして、一編の詩を見つけました。それが、「レモン哀歌」でした。
作者は高村光太郎。彫刻家であり、画家であった彼が、妻・智恵子との愛を綴った「智恵子抄」に収められていたのが、この「レモン哀歌」でした。
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだーーー「レモン哀歌」智恵子抄より
レモンの香りを「トパアズいろ」と表現するこの詩にとても心惹かれ、すぐに文庫本を買い求めました。学校の制服のジャケット、そのポケットに文庫本がぴったり収まったのをよく覚えています。
その後、わたしはこの文庫本を、何度も買うことになります。
人に贈るため買うこともありましたし、何日も持ち歩いていたせいで擦り切れてきたり、自転車の前かごにこの文庫本が入ったカバンを入れて走っていたら急に雨が降ってきて、しわしわになって泣く泣く買い直したこともありました。そのくらい、10代のわたしはこの一冊に傾倒していて、純文学への入り口を開いてくれたのも、この一冊だったように思います。
当時、母が入院がちであまり家におらず、献身的に父が支える姿を見ていたので、その両親の姿と、高村光太郎・智恵子夫婦が重なって見えたのかもしれません。「智恵子抄」を読みながら、「わたしにはわからない何かが、このふたりの間にはあるのだ」というのが、分からないなりに実感できました。わたしにとっては「お父さん」と「お母さん」なのに、ふたりの間には、それだけでない「何か」が、ある。それはとても素敵な関係のように見えましたし、そんな両親に憧れ、いつか自分もそんな伴侶を得ることができるのだろうか?と感じました。
その後、大人になったわたしは、この「智恵子抄」を下敷きにした野田秀樹氏のお芝居「売り言葉」を観て、また違ったショックを受けるのですが、それはまた別のお話。
わたしにとって「青春の一冊」である「智恵子抄」は、「愛」について、初めて意識するきっかけを与えてくれた本でした。あなたの「青春の一冊」は、どんな本ですか?
今日はそんな感じです。
チャオ!