人が楽しそうに頑張ってたり面白そうなことしてると横からやってきて、失敗したり挫折しないか虎視眈々と観察している人がいて、折に触れ「やっぱり無理だったんじゃない?」「もう諦めた方がいいよ」って言ってくるので、それはもう仕方がないので、自分の心を強くするしかないのだ
— はせ おやさい(GORGE.IN) (@hase0831) 2016, 1月 23
他人が不幸になるのを待っている人、というのがいる。
強い悪意というよりも、ゴシップを楽しむのと近い感覚で、相手が何かに挑戦した結果が失敗であることをどこか期待している人がいる。理由は分からない。自分はそれを諦めたから、という過去があったりするので認知バイアスなのかもしれない。とにかくそういう人がいる。
そういう人は親切を装ってこちらの現状を聞き出し、芳しくないことが分かると撤退を勧める。なぜならその人は、過去にそうしたからだ。「あなたのことを考えて言っているんだよ」と、心配しているふりをする場合もある。(もちろん実際に心配してくれているケースもある)
そういう人に出会うたび、こちらの心を折るようなことを、なぜわざわざ言ってくるんだろう、うっとおしいし、ネガティブが伝染しそうでいやだ、と思っていた。正直、苛立つこともあった。
だけれども、最近は「これはわたしが今やりたいこと、やろうとしていることの本気度を試そうとする神様の試練だな」と割り切って、そういう人から言われたことも、自分の気持ちの本気度を確認するための試金石がまた来たんだなと思うようになった。
そうしたら割合どうでもよくなって、「わたしが知っている情報の100%をこの人は知らないんだから、危ない、とか意味が無い、と思っても仕方がない。説明が足りてないのに理解してもらおうと思う自分が傲慢だった。理解されたいなら説明すればいいし、もし説明して理解されなくても、それでいい、わたしがやりたいんだからやってるんだ、と思えばいい」と考えるようになった。
つい最近、また同じような出来事があって、心が一瞬ぐらつきかけたけど、前述したようなことを思い出した。「外から見ているとそう思うんだね。でも、実態としては、今こうなっていてね」と、出来る限りの説明をした。「歴史が証明してくれる」ではないけれど、結果が出るまでは、どうにも意思疎通ができないこともある。今すぐには肯定できないことでも、わたしなりに考えて検証し、もちろんリスクの洗い出しもした上で、何度も悩んで決めたことだから、もう少し見守ってよ、と言うしかないと思った。
とはいえ、正直悔しくて、不愉快だった。
相手に悪気がないことも分かっているけれど、それでも悔しかった。帰り道、音楽も何も聞かずに何ブロックも遠回りして歩いた。そこでふと思い出した。ウサギとカメの話。
お正月に観た「劇場版501」という、ドキュメンタリーAVでこんな話があった。正確に書き起こせないので、あくまでざっくりと。
ウサギとカメの話。
あの寓話の教訓は、「己の能力を過信して手を抜くと、コツコツやってきた人に負けてしまう」として有名だけれども、実際はそうじゃない。
ウサギとカメは何度勝負をしても、きっとカメが勝つ。それは「カメはゴールを見ていた」から。
ウサギはカメを見て、カメに負けないように、と、そればかり考えていたけれど、カメはウサギではなく、ゴールを見ていた。
ゴールだけを見て進むことが大事、というのが、あの話の教訓だ。
というもの。
この話を持ちだしたのが、監督であり、出演者のひとりでもあるビーバップみのる監督で、女性にAV出演を口説くシーンで出てきたエピソードだったものだから、あまり重要にとらえていなかったのだけど、ふとこの話を思い出して、泣きそうになった。
心が揺らいで不安定になったり、相手に否定されて腹が立つのは、わたしがウサギだからだ。周りの意見に振り回されて、ゴールを見ていなかったからだ。そう思うと、気持ちの整理がついた。
ここでまたもう1つ、「テレクラキャノンボール2013」というAVに出てきた名セリフを思い出した。
「ヤルかヤラナイかの人生なら、俺はヤル人生を選ぶ。」
わたしもヤル人生を選ぶ。
今日はそんな感じです。
チャオ!