インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

「はざま」の領分

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書いたものにリアクションをもらうのは、とてもうれしい。ありがとうございます。

しかしこれを「ファンタジーのようでリアリティがない」と書かれてしまう状況と、「そういう状況から変われない場所が、まだまだたくさんある」という事実に、たいへん心を痛めています。というのも、そういう世界が当たり前な状況を作ってこれなかったのは、ある意味、わたしたち世代の責任でもあると思うからです。

わたしがいる世代というのは、まだまだ上の世代も元気な一方、下の世代も実力と経験を兼ね備え始め、いよいよ本気で働くぞというタイミングで、ちょうど「中間管理職」といわれるポジションです。

そして同時に(サイボウズ式の連載でもよく書いているように)、働き方の変革期が到来している昨今、「上からされたこと/教わったことを、そのまま下にしていると、時代の変化についていけない」という難しい状況でもあります。

男女雇用機会均等法の制定が1985年、わたしたちの上の世代の女性が社会進出を果たし、バリバリと切り拓いてくれてきた道を、ありがたく歩かせてもらっている、という自覚がわたしにはあります。さらにそのもう一世代上になるであろう、わたしの母なんかは「女が外で働くなんて」「女が学問をするなんて」という価値観で、ガチガチにされていたわけです。
もし、その状況に自分が置かれていたら、今のわたしではないわたしが出来上がっていたのだろうと思うと、心の底から感謝していますし、わたしみたいなただの一般社会人が、こんなふうにして偉そうに「自由な働き方とは」「女も自立して働こう」とか言えるようになったのも、その世代の、そのまた上の世代の先輩方の努力のおかげなわけですね。

「そんな大げさな」と思うかもしれませんが、ともかく、わたしにはそういう自認があるのです。なので、社会に出て、仕事が楽しくなり始めた頃から、わたしも自分の下の世代の女性たちのために何ができるか考え続けたい。そしていくつになっても「あんなふうに働けたらカッコいいな、楽しそうだな」と思ってもらえるよう、いい感じの背中を見せていこうと決意したのですが、それでもまだまだ、力及ばずなのだよな、と、改めて実感しました。悔しいですね。

その上で、わたしが決めていいることが3つあります。

ひとつめ、そういう状況がある、というのを認識しつつ、「それでも社会をよくするために、1つ1つ変えていこう」という気持ちをなくさないこと。
ふたつめ、個人ブログを含むメディアの役目のひとつには「空気の醸成」があると思うので、前時代的で非効率な価値観について「いけてないよ」と言い続けること。
みっつめ、なにより、わたし自身が上の世代のいいところを引き継ぎ、よくないところを改善し、「働くことで社会を変えていく」理想の体現者であること。

いつかどこかで心が折れたり、わたしの人生の優先順位がガラッと変わって価値観が変化しない限り、この3つのことは、ずっと続けていくと決めています。フリーランスを経て組織に戻ってきて、その思いはより一層深まりました。多くの人と関わり、「会社」という大きな生き物をどうやって乗りこなして、関わる人たちの人生を良いほうに向け、ひいてはどのようにして社会を良くしていけるか、というのは、個人的に死ぬまで取り組み続けたいことのひとつです。それは「上から引き継いだバトンを、しっかりと下の世代に受け渡ししたい」という、「はざま」にいる人間の役目であり、領分なのだろうと思っています。

と、いう気概でやってまいりますので、これからも応援していただけると幸いです。なんかずいぶんと、意識が高いことを書いちゃったな!まあそういう日もありますね。そしてサイボウズ式の連載では、今後もそういうことを書き続けていくつもりなので、あわせてどうぞご贔屓に!

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今日はそんな感じです。
チャオ!

理由がなくたって愛されていいのだ

「ほぼ日」がジャスダックで上場承認を受けたとのことで、久しぶりにサイトを見に行った。(おめでとうございます)

ほぼ日刊イトイ新聞 

わたしにとっての「ほぼ日」は、「いっときめちゃくちゃ夢中になったけれど、自分の価値観の変動によって気持ちに距離ができ、一時はやや嫌悪感を抱いたりもしたが、絶対にいなくなってほしくない存在」くらいの感じ。元カレかよ。ともあれ、ひところはとても発信内容に影響を受けたし、ほぼ日手帳を何冊もリピートしたし、以前ほどではないけれど、今でもたまに見に行っては「いいなあ」と思っている。そんな「ほぼ日」に、「今日のダーリン」というコンテンツがある。

これは「ほぼ日刊イトイ新聞」の主宰である糸井重里さんが毎日、ほぼ日のトップに書いているエッセイで、毎回だいたい1000文字前後の、軽めなもの。内容はその日によっていろいろで、基本的には糸井重里さんの身の回りに起きたことを書き留めている感じ。さっと読めて、なんとなくホワンとする、そういうエッセイ。毎日1000文字、言葉のプロとはいえ、これを続けるのは、すごいことだと思っている。

わたし自身でいうと、2016年は、日記を毎日つけていた。けれど、わたしがただの社会人ということを差し引いても、文章に書こうと思えるような大事件は毎日、そうそう起こらない。今日も昨日のコピーアンドペーストだったな、みたいな日の方が、たぶん多い。だからといって、毎日書いている手前、日記までコピーアンドペーストでいいだろう、というわけにはいかない。(いいのかもしれないけど)

そうすると、どうなるか。自分の中に絶え間なく何かをストックするためにアンテナを尖らせ、心をやわらかくしてキャッチし、言葉を生み出す鍛錬をし続ける必要があるのだ。これはもう筋トレのようなもので、毎日やるのはとても大変だし、もう無理だよ〜と思ってサボりたくなる日もあるが、続けてみると「アレッ!」と思うほどの効果がある。

それは不思議な感覚で、たとえが難しいのだけれど、自分の中に「書くための回路」が通ったような感覚が発生する瞬間が、確かにある。そしてその「書くための回路」が開通すると、目の前にある何気ないこと、身の回りに起きるささやかな出来事をちゃんとキャッチして、言葉へ変換できるようになる。見えているものの解像度が上がり、視界がクリアになったような気がして、同じように見えてこんなに違う、こんなことやあんなことがあったのに、今までのわたしは見落としていたのだな、という状態になる。

つまり何が言いたいかというと、言葉のプロである糸井重里さんが、毎日書き続けているこのエッセイ、毎日更新されるからってつい見落としがちなのだけれど、読まない理由はないよ、ということ。

 

で、ここからが本題。

つまり2月14日、バレンタインのほぼ日、「今日のダーリン」で書かれていたことに、はっとした話。

ざっくりいうと、糸井重里さんが長年飼われている「ブイヨンちゃん」というジャックラッセルテリアについての話。ブイヨンちゃんは、もうだいぶおばあちゃん犬なのだけれど、小さいときからずっと犬の友だちがいないのだという。「他の犬に対してのふるまいがよくない」し、最近では「けんかはしないけれど、犬を無視をするようになった」。

「そんなこんなで、うちの犬は、犬のともだちのいないまま、老犬になってしまった」そうなのだけれど、それを飼い主である糸井重里さんは「それはそれでそういう人生だったんだ」と思って、納得をしている。そして、「そんなふうな、ぜんぶ、まるごとが、うちの犬で、もっといいこになる必要もないし、この先も、ずっとこのままでいいと思う。」と、「なにかできるから愛されるわけじゃない、っていいことだ。」と締めくくっていた。

これを読んだときに、バレンタインデーという「恋人の日」に公開されるエッセイとして、すごくいいな、と思った。バレンタインデー前後には、恋人に何をした、何をしてもらった、という話題がとても増える。わたし自身も同じで、バレンタインデーには毎年、そのときの恋人に贈り物を準備したり何か喜ばせるような計画を立ててきたし、今年もそうした。お祭りごとなので、身近な人たちの間でも、どんなチョコレートをもらったか、あげたか、それは手作りだったか、ブランドものだったか、有名ではないけれど気の利いたセンスのあるものだったか、どうだとか、いろんな品評が出そろう。そこに自分のこだわりを盛り込んだり、相手の「喜びどころ」を見出すのは、お祭りごととして、とても楽しいものだと思う。

なのだけれど、恋人への愛の本質としては、「こういうことをしてくれたから、してくれるから、好き」というものではなくて、できなくたって愛してしまうから愛で恋人なわけで、そこに正確な理由なんて、きっとない。あったとしても、そんなのはあとづけでしかない。理由なんて、なくたっていいのだ。

まあこれは恋人に限らず、家族とか友人とか、そういうくくりに入れらない関係性の誰かだとか、とにかく「自分にとって特別な人」のすべてに通じることなのだと思うけれど、そういうのをバレンタインデーにサッと上げる糸井重里さんは、やっぱりいいなあ、と思ったのでした。

 

ブイヨンちゃんについては、このへんとか読むといいです。かわいいよ。

ほぼ日刊イトイ新聞 - Say Hello! あのこによろしく。

ブイヨンの気持ち。 (ほぼ日ブックス)

ブイヨンの気持ち。 (ほぼ日ブックス)

 
ブイヨンの日々。 (ほぼ日ブックス)

ブイヨンの日々。 (ほぼ日ブックス)

 

今日はそんな感じです。

チャオ!

「人はもともと欠けるところのない存在である」

正確には「人はもともと想像力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である」といい、「コーチング・バイブル」という本に載っていた言葉です。

コーチング・バイブル(第3版)―本質的な変化を呼び起こすコミュニケーション

コーチング・バイブル(第3版)―本質的な変化を呼び起こすコミュニケーション

 

 

突然ですが「コーチング」というコミュニケーション技法があります。ひところブームになったような印象がなくもないような、ともあれ一定の世代の人や経営層が、マネジメントレイヤーに上がろうとする人に対して身につけるよう推奨しているテクニックで、わたしも身につけるのを勧められたひとりです。具体的にどんな感じかというと、コーチング、という技法を用いてコミュニケーションを行い、話を聞く上で感じたことをフィードバックして、相手のよいところや特性を引き出し、人材開発に役立てよう、というもの。(すごいざっくりですみません。あとはググっていただければ……)

自分がメンティーを持つようになり、ごく自然に「これはいい技法だからちょっと勉強してみようかな」と思えたのですが、なんかコーチングという単語に絡んで自己啓発セミナー的なアレがあったりちょっとマルチ商法との接近があったりと微妙な感じを漂わせているせいか、あまり普及している実感がなく、残念です。しかし、この「コーチング・バイブル」にあった「コーアクティブ・コーチング 4つの礎」という基本的な考え方がわりと好きだなと思っていて、周辺のもろもろは横に置いておいて、この考え方がもっと広まればいいなと感じているので、備忘録として書いておこうかな、と思います。

さて、この「コーチング・バイブル」にある、コーチングの基本的な考え方である「4つの礎」、そこにあるうちのひとつが、今回のタイトルの言葉です。「人はもともと想像力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である」、これはコーチングに際してはこれを前提として考えましょう、という「宣言」なのですが、これ、仕事に限らず、いろんなことに通じるなと思っています。

これに基づいて考えるとしたら、もし、わたしが仕事で部下を持ったとき、相手が職場で能力を発揮できていない場合、わたしが相手の能力を引き出せていないことが原因なのであって、相手の能力が低いわけではない、と信じましょう、という考え方になります。こう書くと、すごく「きれいごと」のように思えるんですが、自分の経験でいうと、なんか、こう、相手を信じよう、と決めてしまったら、スッと気持ちが楽になったんですよね。

特に英文だとよりイメージしやすいのではと思うんですけれども、それには「People are naturally creative, resourceful and whole.」とあり、「Perfect」ではなく「Whole」が「欠けるところのない存在」に該当します。これ、わたしも英語を日常語としていないので、ニュアンスがむつかしいんですけれど、「完璧」という表現は、していないわけです。人はそのままで、まるっと「欠けるところがない」んだから、上手に良さを引き出してあげるのがコーチの役目、という考え方なんですね。

以前は相手に期待をして、それが満たされないとガッカリしたりしていたわけですが、この発想を得てから、そういう緊張と落胆のサイクルから逃れられるようになりました。もちろん相手に対して「こういうことができるようになってくれたらいいな〜」と思うのは今も変わらないんですが、もし、それが達成されなかったとしても、落胆したり焦ったり、苛立つことが減った、という感じです。もしもお願いしたことがワークしなくても、「ああ、わたしの伝え方や教え方がこの人にはフィットしなかったのかな。じゃあもうちょっとコミュニケーションのやり方を変えてみようかな」というふうに、一発勝負ですぐアウト判定をしなくなったからだと思うのですが、これは指導する側/される側の双方にとって、とても良い効果があると思っています。

なにより、誰かを信じることができる、というのは自分の精神衛生上、良い影響がありますし、同時に「あなたはできるよ」と信じてもらっている状況、というのは、相手に安心を与えて、いらない緊張を解いてあげやすい。精神的な安心を与えることのメリットは、Googleが2012年に着手した生産性向上計画「プロジェクト・アリストテレス」でも言われていることです。

グーグルが突きとめた!社員の「生産性」を高める唯一の方法はこうだ(小林 雅一) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

それは「気兼ねなく安心して発言したり行動できる環境を提供することが、もっとも生産性を向上させる」という調査結果でしたが、個人的には納得感があるものでした。
こんなこと言ったらバカにされるかな、ガッカリされるかな、と怯えたり、言動を否定されないか常に緊張していると、そのことにばかり労力を割くハメになって、本来の能力発揮にかける余裕がなくなってしまう。それってなんだか悲しいな、と思うんです。ちょっとくらい失敗したり間違えたり、そんなのしたってぜんぜんいいし、失敗に怯えることでその人の良さが発揮されなくなるのは、全体の幸福度を下げてしまう。もちろんリスクヘッジは必要ですが、そういう阻害要素はなるべく排除して、じゃんじゃん失敗してもいいよ、きっとあなたの得意なことは、どこかにあるよ、と信じて待つ、気長に待ちながらも、自分にできるところはサポートし、本人の離陸を見守る、という関係性を作る努力は、決して無駄にならないし、無駄にさせない、という強い決意を新たにした今日このごろなのでした。

で、なぜそんなことを思い出したのかというと、いま話題の「けものフレンズ」を観たせいなんですよね。あれも野生の世界で「自分のことは自分で守りなさい」と釘をさされつつ、サーバルちゃんはかばんちゃんのどんくささや慎重さを、決して否定しない。「きっとどこかにいいところがあるよ!」といっぺんの曇りもなく信じてくれているわけで、それに応じてかばんちゃんが自分の良さを徐々に発揮していく様子は、まさにこの考え方のとおりだな、と思ったのでした。

でも思いましたけど、あれはサーバルちゃんが自分独自の強みを理解していて、最悪自分は死なないという強さを身につけているからで、誰かに心理的安全性を与えるためには、自分自身も強くないといけないんですよね……。がんばらないといけませんね。

最後にHave a nice day!の「Blood on the moshpit」から引用して終わります。

ブルーハーツの歌う“決して負けない強いチカラ”とはいったい何なんだろうか
オレは最近それが“信じる”ってことなんじゃないかって思ってる
とてもシンプルなことだけど本当の意味でこれを手に入れることが出来る奴はごくわずかだ


Have a Nice Day!(ハバナイ) 『 blood on the mosh pit』

以上となります。

ちなみに「けものフレンズ」では途中で入る動物園の飼育員さんの解説がもっともテンションが上がるな!と思いました。今日はそんな感じです。
チャオ!

 

補足、コーチングについてサッと知るならこのへん、という本を置いておきます。むつかしい本も多いので何から入るか悩ましいのですが、これはざっくりしたテクニックをつかむのに良かったです。これで興味がわいたら詳しい本を読み進めるとよさそう。

図解 コーチングの「基本」が身につく本

図解 コーチングの「基本」が身につく本

 

 

 

 

2017年第6週の日記

2017年第6週の日記です。

立春を過ぎじわじわと春の気配を感じているような気がする1週間でした。寒いのは苦手なので、早く暖かくなってほしい……。今週はよく働きよく遊びました。週末はバレンタインを前倒ししたデート計画があり、いろいろ準備していたのですが、喜んでもらえてとてもよかった。幸せな週末でした。

それでは2017年第6週の日記です。

20170206

気温が上がり暖かい日。なんとなく春の気配……?みなさんどうですか?

日中は朝イチの打ち合わせから始まり、11/1引き分け、という感じ。非常に疲れた一日でしたが、おかしいと思う状況にぐいぐい入り込んで、やりたいようにやって、少しずつ手応えが出てきました。なので、楽しい。とはいえ解決するそばからまた難解なタスクが増え続けるので頭が痛くはありますが、新しい知恵の輪を与えられたような気持ちで取り組んでいます。チームメイトとの信頼関係ができつつあるのも、すごくうれしい。達成感ある1日でした。

夜は当初の予定がキャンセルになったので、恋人とちょっと飲むことに。帰り、おいしいというラーメン屋さんに連れて行ってもらい、それが話に違わず本当においしかったので、興奮しました。良い1日の締めくくりだったな。また食べたい~。

20170207

前日と比べると、やや冷え込んだ朝。でも、風の匂いがなんだかもう冬ではないような気がします。(春が待ち遠しすぎて、勘違いしているのかしらん)

日中は相変わらず、ヒーヒー言いながらいろんなワークフローを設計しています。考えごとをしていたところに前触れなく激しいツッコミが入って、頭が切り替わらずアワアワ焦ったりしているのですが、必死で考えて決定している設計なので、ツッコミに対して全ボールをクリーンヒットで打ち返せて、とても満足。「なるほどこのフローは洗練されてますね」とお褒めいただいたので、思わず心の中でガッツポーズでした。

なんとかして良いほうに、みんなが快適なほうへ向けて改善しようと各所を説得して走り回っているせいか、その様子を見た別チームのメンバーがこちらへ歩み寄ってくれつつあり、今日もそういう申し出がありました。伝わったんだと思うと、うれしくて泣きそう。仕事のこういう瞬間って、本当に楽しいです。引き続きがんばるぞ~。

夜は今週も「カルテット」を。先週は外出していて観れなかったので、急いで先週分を消化して、本放送に追いつきました。今週は恋愛色が強かったですね。なんというかもう、久しぶりに次のお話が楽しみなドラマ。

20170208

風は冷たいものの、日差しのあたたかい日。ヘロヘロのボロボロで、脳みそがパンパンになった状態で会社を飛び出し、女友達と待ち合わせてmouse on the keysのライブへ。日中は常に誰かから話しかけられ続けて常に何らかの意思決定をし続けているので、もう耳から音を入れたくない!と破裂しそうになる寸前だったのが、好きな音楽に洗い流されるようでした。最高だった……

以前、働きすぎて身体を壊したときはこういう時間を作ることに罪悪感があって、好きなもののために時間を取ることをためらっていたのですが、むしろ全力で仕事をやっつけるためにはこういう時間こそないとダメで、こういう時間があるからこそ良いパフォーマンスを出せるんだな、と実感しました。命の洗濯や……

帰りは一緒にライブを観ていた友人と夕食。10年以上の付き合いなので、もはや会話は家族のように自由で適当で、過剰に盛り上がりはしないけれど淡々と楽しく、お店を出た後は一緒に「寒い~~」と震えながら気楽に解散したのでした。

20170209

寒い!無理!!!と思いつつ仕事へ。

いや~もう本当にこんなに寒いのは無理ですよ。マジで。死んじゃう。早く春来て。

朝から会議、勉強会、緊急のスタンドアップ会議、議論、みたいな感じで時間があっという間に過ぎて、気付けばもう15時、という一日でした。マジか!おちょこ並みのキャパしかないわたしはすでに限界寸前!という心持ちですが、いま進めている改善が成功すれば、来週いっぱいで今の雑草まみれの荒れ果てた庭は解体され整理され美しい庭園になるのだ!と思うと、非常にワクワクしています。

一緒に入ってもらっているメンバーのモチベーションも高いので、マネジメントしているこちらも嬉しい。自発的に考えて発言しイキイキと活発に仕事をしている女性の表情が心底大好きなのですが、本当に美しくセクシーに見えますよね……。目に光があって背筋が伸びていて、こうしましょう、ああしましょう、と発言している、才気あふれる表情はいいものだ……。わたしもこういう表情ができていたらいいな、と思いました。また、上司と今後について議論した最後に「他に今わたしが進めているプロジェクトでなにか不安に感じられていることはありませんか」と聞いたら「なにひとつない」と言ってもらえたので、またもや心の中でガッツポーズでした。総括して、いい仕事ができた日でした。がんばるぞ~。

20170210

待ちに待った金曜は、有給休暇をもらって、お休みです!!!!!

なぜかというと、恋人と前倒しのバレンタインをするためです。ふだん出勤するときより早く家を出て待ち合わせをして、まずは築地市場からスタート。お天気もよく青々とした空の下で歩く築地市場は、なんだかとても良かった。うにとイクラが半々にのったぜいたくな丼を朝食代わりに食べた時点で、もうすでに最高で勝利を確信、詳細は割愛しますが、夜までずっとずっとずっと最高な1日でした。

ディナーの帰り、増上寺越しの東京タワーを見上げて散歩して、チェックインしていたホテルのバーで一杯だけ飲んで、部屋に戻ってから隠し持っていたプレゼントを渡して、という、ロマンティック満点な夜。たまにはこういうのも良いですね。

20170211

バレンタインデート2日目は、ホテルでブランチからレイトチェックアウト後、東京タワーに登るところからスタート。この日は前もっていろいろ練っていた計画を全部投げ捨て、ちょうど目の前に来ていたバスに無計画で乗ってしまったところ、最高の感じになりました。

昨日は海鮮やらぜいたくなディナーだったので、今日はいっそのことカレーとか食べたいよね、と話していたのをヒントに、目的地へたどり着く前に思いつきでバスから降りて、日比谷公園日比谷公園でカレーといえば、そう松本楼です。お庭を眺めながら定番のカレーとオムライスを食べて、また散歩をしだしたものの陽が傾き出して冷えてきたのでお散歩は終了だ、と銀座を散策していたところ、ソニー展に出くわしたのでそのまま入りたっぷりと満喫。ウォークマンと携帯電話のエリアがやたら活気付いてたのが印象深かったです。

そして同じビルで開催中のマイケル・ジャクソンハイレゾで体験するイベントも、楽しかった!そしてぜんぶ無料だったので、なんか申し訳ない気持ちに!おすすめです。

マイケル・ジャクソン ハイレゾで体感する“NUMBER ONES”|ソニービル 8F OPUS

20170212

日曜は金土の反動で1日引きこもり、ぐっすりと眠りました。布団から出られないまま「けものフレンズ」を観て、のろのろ起きて、遅いお昼ごはんでサバとほうれん草のトマトソースパスタを。サバを洋食に使う、というのはこのパスタで知りました。サバに塩をふって置いておき、臭みを抜いたあとにんにくの香りを出したオリーブオイルで焼いて、玉ねぎとトマトの水煮でソースの下地を作る、というシンプルなものですが、ほうれん草はスーパーで「ちぢみほうれん草」が出ていたのを使いました。おいしかった。

お腹がいっぱいになって気持ちよくなってしまったので、カーテンを開けたままでまた昼寝してしまい、起きたら夜。映画にでも行こうかと言っていたのが全部すっ飛びましたが、たくさん眠って、とても元気になりました。とはいえ、このまま1日が終わるのもな~ということで、夜中に餃子とチャーハンとビールでジャンクな感じの晩ごはん。ロマンティックデートの締めくくりにこういう感じなのはたいへんわたしの好みで、よい週末だったなと思いました。またがんばって働くぞ〜〜!

 

今年の第6週目はそんな感じでした。

チャオ!

彼女たちのチェリッシュ

前回に続いて、また化粧品の話を書こうと思う。コンビニコスメが好きだ、という話を書いた。前回は化粧品というかネイルを塗る時間を作ることで、「自分のために時間を使う大切さを知った」という思い出話で締めくくった。生活の中にある「コンビニ」という場所が、化粧品というアイテムを扱ってくれているおかげで、ルーチンの生活動線から非日常へふいにジャンプするポイントを見つけられて、うれしかったのだ。ということで、今回は、また少し別の話です。

コンビニコスメの対極にあるのは、いわゆる「デパコス」と呼ばれる、デパートコスメだろう、という前提で話を進める。デパコス、というのは、いわゆる伊勢丹高島屋など高級百貨店の化粧品売り場において、ブランドごとに異なる凝った制服を身につけ、上手に(ときには濃すぎるほどの)化粧を施した美しい女性たちの対面販売によって提供される、手のひらに載るサイズなのに5,000円とか12,000円とかする高級な化粧品のこと、と、わたしは認識している。(もちろんそれ以外もあるのかもしれないが、今回は概念としてのデパコスなので、いったん除外する)

男性からしてみると「コンビニで売っているものも百貨店で売っているものも、同じ化粧品じゃないか」と思うかもしれない。「ただの水にちょっと加工しただけなのに化粧水やら美容液というものはなぜあんなに高いんだ」と思うかもしれない。ちょっと知見のある人だと「化粧品の価格なんてほとんどが宣伝費で、それが商品に転化されているだけだろ」と言うこともあるだろう。きっとすべて事実だし、馬鹿げているという気持ちにも共感できる。そりゃそうだろう、と思う。しかしそれだけではないのだ、とも思っている。

高校を卒業するころ、友人たちと連れ立って百貨店に化粧品を買いに行ったことがあった。「タッチアップ」(詳しい人は最近「TU」と略すんですね、かっこいい)というやつで、化粧品売場の、各ブランドのカウンターに赴き、こういうアイテムを探している、と頼むと、おすすめの商品を試させてくれる、というものだ。そのときには、さらにもうひと踏み込みして、初めてのメイク講座、みたいな感じで、販売員(BA、ビューティーアドバイザーというそうです)が実際に化粧をしながらひととおりの手順を教えてくれる、というものに申し込んだ。高校卒業のタイミングで、自己流じゃなくて、ちゃんとした化粧の仕方を習おうよ、という目的だった。友人とカウンターに横並びになり、それぞれにBAがついて、一通り化粧をしてくれた。肌を整え、眉の形や唇の形を整え、まぶたや頬に色を乗せた。わたしたちはとてもうるさい女子高校生だったので、カウンターはとても賑やかになり、平日の昼間の空いている時間帯で予約を申し込んでおいてよかった、と思った。化粧を終えた顔は、なんだかいつもの自分ではないような気がして、むずかゆかった。顔だけが自分から浮いているようで、落ち着かず、なんか大人みたい、と思った。そう思う程度には、わたしたちはまだ子供だったのだ。最後、それぞれがバイト代を貯めて持ってきていたお金でそれなりの金額を払って、みんなで化粧品を一式そろえた。それらはうやうやしく、丈夫で高級そうな紙袋に包まれ、ブランドロゴが入ったその紙袋を下げて街を歩くのが、誇らしかった。

その後、デパコスを始め、さまざまな化粧品と出会い、乗り換え、いまだに使っているものもあれば、買ってみたもののあまり使わないまま、誰かの手に渡ったものもある。今のわたしにとって、デパコスはなかなか縁遠いものとなった。それは休日のわずかな時間を使って百貨店の混雑する化粧品カウンターに赴き、人混みをかき分けてBAに相談をし、セールストークをかわしながら欲しいものだけを買い求める、という作業にかかる精神コストが、わたしにとって非常に高いせいなのだけれど、それでも新しい化粧品のパッケージや効能についての説明を読むと、心が躍る。あの小さな商品パッケージにはいろんなものが詰まっていて、1万円札を1枚か、数枚、お店の人に差し出すことで、それを自分の家に持ち帰れる、というのは、なんだかロマンティックなことのように思える。誰かが心血注いで作ったものを、現金と引き換えに自宅に持ち帰れる幸福、という意味では、世に販売されているすべての商品に言えることではあるのだけれど、化粧品という、ある意味、余剰なアイテムについてだから、より強くそう思うのかもしれない。

最近では、デパートコスメというのはそういうロマンティックなもので、日常における化粧はもっと普通でいい、と思うようになった。わたしにとっての化粧品は、どこのドラッグストアでも買い求められる普遍性だとか、日本全国どこに行っても同じものが手に入るという安心感のほうが重要、というアイテムだ。それは今のわたしにとって、「化粧」という行為が生活の一部になっているからであり、生活の一部をなす行為に使うアイテムを、どう選ぶか、という判断基準は、わたし自身のパーソナリティをよく表していると思う。それは特別な商品をわざわざ探して買い求めるのを楽しめない程度に面倒くさがりで、肌に触れるものについてはいつも同じであるという安心した状態を好み、身なりを整えるために必要以上の金額を支払うのを良しと思えない、というものだ。
プチプラコスメばかりをポーチ入れていて、大人の女として恥ずかしくないのか、という発言をどこかで見かけたことがある。確かにそう思う人もいるだろう。だけれどそのときわたしはむしろ、そういう状態をカッコいい、と感じてしまった。安くていい品を探して手に入れ、使いこなすのは、それもまた素敵な行動のように思えたからだ。様々な情報を集めそれらを精査し、適正と思える価格(よりもう少しお安く、お得に)で商品を手に入れるためには様々なステップがあり、多くの意思決定がある。そういう工夫や検討ができる人が行っているであろう逡巡を微笑ましく感じ、わたしもそういうことのできる人でありたい、と思っている。

いっぽうで、きらびやかな百貨店のカウンターに座り、美しいBAたちにうやうやしく接客をされ、丁寧に説明やアドバイスを受けた上で自分のもとへやってくる高級な化粧品のよさ、というものも知っている。そのときめきは、きらきら光る宝石や、おいしいチョコレートを手に入れたときの気持ちと似ている。必ずしもすべての人に必要なものではないかもしれないが、今のわたしにとっては必要なのだ、という、秘めやかな愉しみだ。チェリッシュ、という単語がしっくりくるのかもしれない。そしてそういう秘めやかな愉しみを知り、胸のうちに持つ女性を、素敵だと思う。

どちらのよさも知っている、というのは、年齢を重ねて手に入れることができた宝物だ。今こうして街を眺めていても、様々な女性がいる。そして彼女たちはそれぞれ、様々なチェリッシュを胸に秘めている。それは彼女たちのポーチの中に隠されていて、当たり前のように彼女たちのそばにある。もちろん、そういったポーチを持たない女性もいる。そして、そういった女性たちもまた、持っている女性とは異なる、彼女たちだけのチェリッシュをどこかに秘めているのだろうと思うと、なんだかワクワクしてしまうのだ。

 

今日はそんな感じです。
チャオ!

2017年第5週の日記

2017年第5週の日記です。

気がつけばもう2月〜!早い〜!2017年もすでに1/12が終わり、というのが軽く衝撃ですが、新しい月のスタートに伴い、新プロジェクトに参加、面白い本を読み始め、よい映画を観て、充実していました。なんだかよく泣いた気もします。そういう1週間でした。

20170130

気温が15℃を超え、春みたいに暖か。日中はコートもいらないくらいでしたが、一転、夜は冷たい風の吹く、寒暖の激しい一日でした。また新しいプロジェクトに入ることになり、落ち着かない感じですが、まあなんとかやっていこうと思います。とはいえ頭をすごく使うのでぐったり。帰宅後はお風呂にお湯をはって長めに入浴しました。「予想どおりに不合理」という面白い本を読み始めたので、しばらく楽しみです。仕事での考え方を探るための読書を最近さぼっていたので、もうちょっと掘ってみたいな〜。わたしにとっては「本を読む」のが思考のジャンプとしては最も効率がよく、気持ちがよいようです。寝る前、少し長めの電話をして就寝。

  

20170131

パキッと寒く晴れた日。慌ただしく仕事を終え、急いで新宿へ。大森靖子さんのイベントで、ロフトプラスワンです。12月にも行ったのですが、今月もやはり熱気がすごい。前回もそうでしたが、何かの圧に押されて一瞬だけ身体がガクッと不調に見舞われるんですが、それだけのエネルギーが充満しているんだなと思います。いろんな話とライブを聴いて、知らない曲も多かったので、楽しかったな。知らない曲に触れるたび「ああこの人はこんな顔もするんだな」と思って興味深いです。帰りは最近お気に入りのバーへ行って、心を穏やかに整えてきました。大衆居酒屋やら老舗のバーとかにばかり行っていて、もう少しおしゃれなお店にも行ったほうがいいのでは思わないこともないですが、好きなんだから仕方ないですね。平日にしてはやや飲みすぎましたけれども、楽しい夜でした。

20170201

もう2月!早い!風は冷たいものの日差しは暖かく、春を待ち遠しく感じた日。夜は渋谷のイメージフォーラムにて、気になっていた映画「タンジェリン」を観てきました。

映画『タンジェリン』公式サイト

LAのトランスジェンダーコミュニティを、iPhoneで撮った、という非常に「イマ」っぽい映画。画面全体にバキッと合ったピント、ガッツンガッツンのBGMとビビッドなオレンジが目に眩しく、神経がビリビリしてやや疲れましたが、乱暴なアトラクションみたいで楽しかった!88分とコンパクトなのも良かったです。映画の後は夕食代わりに串かつ、まだ少し早かったので渋谷の羽當でコーヒーとシフォンケーキで締め。お酒の後に甘いものってあんまりしないのですが、「タンジェリン」でドーナツ食べてるのを観たせいで、なんだか甘いものが食べたくなってしまったのでした。

そして夜、サイボウズ式のコラムが公開されました。「そなえよつねに」、「イージーに生きる」は、常に頭のどこかに置いてある言葉で、それをまとめて説明できてよかったな、と思います。

cybozushiki.cybozu.co.jp

20170202

今日は集中して仕事をやっつけるぞ〜と気合いを入れて出社、朝からトップスピードで頑張った日でした。疲れた……。事前のアジェンダと議事録のない会議が大嫌いで、主語があいまいなまま進むタスク確認が大嫌いで、ここ最近は、たいへんなストレスでした。ちょっと様子が分かってきたので、もう全部自分でやることにして、アジェンダと議事録出し、主語がない会話はしつこく「それの主語は誰ですか?」「誰から誰に対しての依頼ですか?」と確認をしていたら、だいぶ右往左往することが減りました。という話をしたら「そんなことしてたら自分の仕事が増えるだけじゃん」と指摘されたのですが、まあそうなんですが、それでもそうすることで早く帰れるならそっちのがよっぽどいい!

日中ワーッと必死に働くのは嫌ではないので、日中はガッと働き早く帰る、というスタイルの確立を目指して、引き続きがんばるぞ。

20170203

節分の日。いわゆる旧暦でいうと明日が新年、ということで、大晦日みたいなものでしょうか。金曜日ということで慌ただしい日でした。何しろ日中がストレスフルで、苛立ちを表面に出すわけにもいかず、つらかった。終日お腹が痛む日でした。何よりわたしは対象者が何かを待っているのに「それわたしの仕事じゃないです」「知りません」という態度が苦手で、そもそも理解ができないので、そういって自分の仕事を中途半端に放擲する人を丁寧にケアして事故のないよう進めなければいけない状況というのは、すごく負荷がかかるなあ、と思った日。仕方がないので、なんとかやっていきましょう。

夜は歌舞伎町で少しお店に立ち、楽しい人たちと楽しくおしゃべりをして、1日が終わったのでした。

20170204

風は冷たくあるものの、春の気配を感じる日でした。二度寝をしてしまい動き出したのは午後で、コーヒーを片手に散歩をしたあと、夜はなつかしい友人たちと久しぶりに集まって、楽しくお酒を飲みました。振り返ると12年?くらいの付き合いで、その期間、みんないろんなことがあったし、わたしもいろんなことがありました。同世代〜年上の友人たちなので、いつも心配をかけてしまっているのですが、「まあ、お前が元気そうでよかったよ」と言ってもらって、じんとしてしまいました。最近は人の心配ばっかりしていた気がするので、誰かに心配されて、甘えていいんだ、と思うと、うれしいです。

20170205

雨の予報もあり、気圧が下がってぼんやりした日。午前中から出かけるまで、恋人とそれぞれ好きなように過ごし(ヒロアカの11巻を読んで3回も泣いたりし)て、夕方から池袋へ。友人カップルと久しぶりに「中国茶館」へ行く予定だったので、少し早めに到着して、大好きな「千登利」で恋人とふたりでゼロ次会。念願の肉豆腐と瓶ビール、我慢できなくて数本だけ焼きとんをいただいて、いざ食べ放題へ。お腹がはちきれるほど食べ、新宿へ移動してさらにリーベルでフルーツ、最後はバーでウイスキーのソーダ割り。よく食べたし、よく飲んだ日でした。友人が恋人を見つめる表情というのはどことなく照れくさく感じるものですが、その眼差しは優しく甘やかで、なんともいいものだなと思いました。

 

今年の第5週めはそんな感じでした。

チャオ!

コンビニコスメが好きだ。

美容、および化粧というものには人並みに興味をもってきたほうだと思う。元来ミーハーなので、新しいお手入れ法があると聞けば飛びついた。百均の日本酒化粧水がいいらしいと聞けば買いに走ったし、ふき取りがいいと聞けばすぐに試した。新しいマスカラや新作アイシャドウの色出しがどんな仕上がりかチェックするのも季節の楽しみだ。自分の顔は好きではないが嫌いでもないので、いろんなものを取り入れた。ちょっとした線の太さの違いや色のグラデーションで目のかたちが大きくなるのも面白かったし、それを話題にしておしゃべりするのも好きだった。これは!と思うブランドのファンになり、コレクター魂を発揮したこともあった。知っている人がどれくらいいるか分からないが、資生堂FSPフリーソウルピカデリーというラインは何もかもが好みで、商品のみならず店頭で配られる販促品まで狂ったように集めていた。またもう少し最近になると、マジョリカマジョルカにハマった。化粧品という、生きていくのに必要とはいいにくいもののためにこれだけ美しい世界が作られ、女性たちに愛されているのが素敵だと思った。

買い求めに行くのはデパートの化粧品売り場からドラッグストア、コンビニの店頭までさまざまだった。特にドラッグストアに行くのは今でも楽しい。売り場の棚狭しと並べられた化粧品たちからは、ものすごい「念」を感じる。顔の中の、こんなに小さなパーツに対し、これだけ多くのさまざまな商品が企画開発され生産され世間に流通していると思うと、とてもワクワクする。(これは同様のことを毛と毛穴にまつわるグッズの多さにも思う)

その中で、コンビニコスメというものは、激務時代のわたしを支えてくれた、ささやかな癒しだった。もっとも激しく働いていたころは、デパートはもちろんドラッグストアの閉店時間にも間に合わなかったので、外回りのスキを縫って必要最低限のものを買いに行くしかなかった。要するに、仕事上、対面する相手にとって「失礼がない」程度に化粧を整えるのがせいぜいで、自分の生活を彩るための、楽しみとしての化粧をする道具を吟味して手に入れる余裕がなかったのだ。当然、心はすさむ。やがて自虐的になり、自分は化粧とは縁遠い女なのだ、最低限のことさえしていれば別に構わない、自分にそんな余裕はないんだ、もっと重要なことをしているのだから、と思い込むようになっていた。

そんな生活の折、尊敬している先輩女性と雑談をする機会があった。彼女はわたしの上司にあたる人で、いま思えばわたしより激務なはずだったが、いつもおしゃれで気の利いた装いをしていて、香水のいい匂いがした。膝下が細く長い美しい脚を持ち、スカーフの使い方が上手なひとだった。

ある日のタクシー車中で、こんな会話をした。どこかからのアポイント帰りでふたりとも疲れ果てており、帰社後のタスク整理を相談し終えて、ぼんやり窓の外を眺めていたときだった。
「女は仕事をしすぎると先端から荒れていく、って聞いたことある?」
と彼女は言った。
「先端ってなんですか」
「身体の先端。爪の先とか毛先とか、靴のつま先とか」
そう言われて、わたしはハッとした。自分のパンプスの爪先の皮が剥がれていたことを思い出したせいだった。タクシーの後部座席で、爪先をシートの足元に隠すように思わず座り直した。そういう先輩も、カサついていた自分の両手の指先をこすり合わせるようにして苦笑いしていた。
「先端っていうのが皮肉だよね、自分でも目につくから、すぐわかっちゃう」
わたしは鞄からハンドクリームを取り出し、先輩と自分の手のひらに絞り出した。いい匂いだね、これなに?、バラですよ、バラの匂いにはなんかいい効果があるらしいですよ、なんかいい効果ってなに、適当だね、と雑な話をしながら、「ちゃんとしようね、自分のためにも」と先輩が言ったのに合わせて、ふたり一緒に笑った。

仕事を終え遅くなった帰り道、とくに欲しいものもなかったが、習慣的にコンビニに寄った。雑誌を眺め、店内を進もうとしてふとコンビニコスメのコーナーに気付いた。急なお泊まりで必要になりそうなメイク落としや化粧水シート、油とり紙の下に、小さくコスメのコーナーがあった。アイブロウやアイシャドウ、ネイルエナメルが並んでいる。その中にピンクベージュにパールが入ったネイルを見つけて、レジに持っていった。

コンビニを出て帰宅すると25時を過ぎていた。シャワーを浴びて、いつものようにそのまますぐに寝ようとしたが、ネイルのことを思い出した。眠気もあったが、なんとなく今日のうちに塗っておきたい気分になり、コンビニの袋に入ったままのネイルを取り出して、ベッドに腰掛けて、両手の爪に塗る。長くもなく整えてもいない、生活のために短く切りそろえた爪だったけれど、ネイルを塗ったとたん、両手の指先に10本のピンクが灯ったようで、なんだかうれしかった。表面が乾く前にベッドに入ってしまうとネイルに跡がついてしまうので、しばらく待つことにした。その間、返信が滞っていた友達からのメールへ返事を書き、数ページだけ小説を読み進め、あたたかいお茶をいれて飲んだ。窓をあけて空気を入れ替え、寝静まってしんとした家並みを眺めた。表面が乾いたのを確認して電気を消し、ベッドに入る。

布団を首まで引き上げながら、そういえば、仕事や誰かに頼まれたこと、追われるように慌ててやることではなく、自分のためだけに時間を使ったのは、久しぶりだな、と思った。「自分のために、ちゃんとしようね」と言った先輩の言葉は、こういうことなのかなと理解できた気がして、そのまま目を瞑り、眠った。

 

と、いう思い出話です。
今日はそんな感じです。
チャオ!

インテグレート グレイシィ ネールカラー 92 4mL

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