インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

あなたは誰の期待にも応える義務はない

わたしたちは自分で思っている以上に、様々なロール=役割を生きています。

 良き子供や親であったり、良き友人や隣人であったり、良き恋人やパートナーであったり、まあなんかいろいろ、あるわけで、それを子供の頃から常に、人生のフェーズに応じて、求められ続け、今まで生きてきました。

じゃあそれは何のため?と考えてみると、自分のためではなかったな、というか、どちらかというと「その役割をわたしに求めている相手」のためだったな、と思います。それは親だったり、友達だったり、恋人だったり。

「こうあるべき姿」が彼らの中にそれぞれあって、わたしはそれを実行できていないことが多く、ずっとそれがとても申し訳なく、情けないことのように思われました。わたしは彼らが望むような良い娘になれない、良い妻、良い恋人になれない、だからわたしはダメなんだ、もっとしっかりしなければ、と思って、ずっと息苦しかったような気がします。

離婚をして、「これでもう、親にとっての『良い娘』のレールから、落ちてしまったな」と思いました。同時に全身の力が抜けて、もう無理だ、もう、ロールを演じるのは諦めよう、と思いました。両親のことは好きだけれど、彼らの思うような人生は演じられない。彼らの求めるロールを演じるというのは、わたしには出来ないことだったんだ、魚が空を飛べないように、鳥が海を泳げないように、そもそもが、無理なことだったんだ、と思いました。

そして、「今、わたしには、こういう行動が求められてるんじゃないかな?」と考えるのを止めました。正確に言えば、そういった思考は100%、きれいに棄てられるものではなかったのですが、「求められる姿を演じること」を、最優先にするのを止めました。それまで感じていた「演じられない申し訳なさ」を棄てるよう意識しました。申し訳なく感じても、対処できないから。

対処できないんだから、もう、諦めよう、わたしにそれを期待しないでくれ、と願いました。期待されると、演じてしまうから。だから、誰もわたしに、何も期待しないでくれ、だってわたしはそれに応えられないんだから、と思いました。

そうしてずいぶん身勝手な自分で過ごしてみても、わたしの友人たちが、わたしから離れていくことは、ありませんでした。家族や、きょうだいもそうです。拍子抜けをして、それとなく聞いてみたところ、「え、それ、もとからでしょ」と言われました。
おかしな話しなのですが、わたしはヘタクソなりに演じていたつもりだったロールをまったく演じられておらず、自分だけが、それに気付いていなかったんです。周りの人たちは、身勝手で、わがままで、良い娘や良い友だちや良い妻や良い恋人でいられないわたしを、とっくに知っていたんですね。

それでもそばに居てくれる人たちがいるなら、わたしはこのままでいいんだ、と思えました。もちろん、だからといってどんなことをしてもいいというわけではないんですが、決められたルールの中の範囲であれば、わたしはわたしの好きに生きていいんだ、と思いました。この先ずっと独り身でも、一生仕事をしていても、誰かを好きになっても嫌いになっても、なんでもいいんだ、と思いました。

それをダメだと思い込んでいたのは、他ならぬ自分だけ、でした。

そうしないと愛されない、相手から求められているロールを演じていないと、わたしは誰にも必要とされない、と、勝手に思い込んでいたからです。

空を飛ぶ魚や、海を泳ぐ鳥みたいに、多少ヘンテコでも、それが間違いなく自分なら、それでいいじゃん、しょうがないじゃん、と思ったら、世界が明るく開けたような気分になって、息苦しさが消えました。
わたしが囚われていたルールやモラルもこの先50年、100年でどうなるかわからないし、誰かの期待するロールを演じる必要もなくて、ルールだって、声をあげていくらでも変えていけばいいんだ、と思います。

 

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よく晴れて汗ばむほどの陽気だった昨日、おいしいアイスコーヒーを片手に歩きながら、代々木のレインボープライドのパレードとすれ違ったとき、そんなことを思い出しましたよ……というお話でした。

 

今日はそんな感じです。
チャオ!

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