たくさんの反響をいただいて、色々と考える機会になりました。本当に感謝いたします。
振り返ってみて、逃げ出す選択肢を頭に置きつつ、自衛できる手段はどんなものがあっただろうと考えました。言及いただいたコメントで「単に適応できなかっただけなのでは」というものがあり、おっしゃるとおりわたしはオーバーワークで自分を犠牲にすることでしか適応できなかっただけで、冷静になって考えればもっと打てる手段はあったのではと反省もしました。
実際に当時「効果がありそう/あった」もの、アドバイスをもらったけれど余裕がなくて実行できなかったもの、その経験を踏まえて「こうすれば良かったのかもしれない」と思ったものをまとめます。
労働時間以外の成果物を設定する
残業時間数で自分の成果をアピールすることを止める。
成果物を設定しにくい職種の場合もあるけれども、その場合でも何らかの数字で設定して、それをチームや上司に提案する。営業なんかは「売上数字」という目標があって分かりやすいけど、バックオフィス系のように「○時から○時の間に会社の座席にいる」ということが求められている仕事もあるので、その場合でも自分なりに「これを守ったら与えられた仕事はこなした」という目標を作ってそれを果たす。
わたしの場合、元々受け身で「やってみたことがないことは、やってみないと分からない」「これがやりたいという具体的なものは特にないので、言われたことを精一杯頑張ります」みたいに、言われたことにそのまま従っている場合、オーバーワークになったとき上司が巻き取るラインを判断しにくい。
「最悪でもここまではやります」を明確にするためには、自分の能力の上限を知ることが必要だけれど、具体的に「どこまで」かを設定→見直し→設定→見直しをしないと外郭が見えてこないので、やはり仮でも目標を設定したほうがいいかも。
食事の時間を確保する
経験上、一番キツかったのが食事の時間が取れないこと。
時間に追い立てられて、押しこむようにする食事は本当に美味しくなくて、最終的には栄養調整食品みたいなのばっかり食べてた。そうすると精神的に追い込まれてる感がどんどん強くなって、何を食べたいか選ぶ気力すらなくなっていた気がする。(余談ですがそんな食生活を続けていれば当然肌もボロボロになるので、それで余計に落ち込んだ。今は加齢によるシミシワを除けば調子が良いです)
もっと積極的にやれば良かったなと思うのが、ランチの時間を人と会う時間に充てること。
渉外業務が多かったので、「じゃお昼ごはん食べながら情報交換しましょう」みたいな流れにできたし、内勤だった頃は違う部署やフロアの人たちとランチの予定を入れることで、最低でも1時間はデスクの前から離れることができた。
わたしが良くなかったのは、「仕事がキツいです」と言うのが苦手だったので、「メシでも食いながら話聞くよ」と言ってくれた人たちに甘えられなかったこと。仕事以外のことを考えたり話す余裕がなかったので、こういう目的のない会合を避けていたこと。
社内外問わず、違う視点の人と話すことは新たな発見のきっかけになり、自分や仕事に対してのメリットが絶対にあると思うので、もっとやればよかったなと思う。
自分の時間をロックアウトする
これは「まわりにアピールする」意味で効果があったこと。
社内グループウェアやスケジュール管理カレンダーに、自分の予定をどんどん書き込んでいく。私的な用事でも構わないので、「○月○日、×時〜:私用」でもいいので、退勤後の予定を入れてしまう。そうすると、まわりから「○日は夜あまり仕事を頼めないのかな」と思ってくれる人が出てくる。
土日でも構わないので入れてしまって、「電話に出られません」と書いてしまう。もちろんそれをシカトして電話してくる人は必ずいるけど、それでも「先に共有しておいたじゃないですか」が出来るのは、精神的にかなり大きい。予定があるのにねじ込まれた仕事をしているとき、チームの仲間に「今日、予定あったんじゃないですか」と言われて手伝ってもらえたときには涙が出た。
「できません」を自分から言うことが大事なのだと思う。
余談だけれど、毎週○曜日と決めて、その日はチームの中から1名を、必ず定時で無理やりにでも帰してしまう、というリーダーがいた。上司命令で早帰りさせて、確か彼はポケットマネーで3,000円とか渡していたように思う。
その時間とお金を使って、美味しいものを食べるでも良し、映画を観に行くでも良し、早く帰ってぐっすり寝るでも良し、自由な時間を過ごせ、というのを上司命令としてやらせていた。
時間を仕事以外の予定でロックアウトさせる、という意味ではこれに近かったのかも。企画やアイデアを出す人間が、24時間目先の仕事にだけかまっていたら、新しいものは出てこない、というポリシーだったとのことで、素晴らしい取り組みだなと思った覚えがある。
22時を過ぎても大半が残業してるような職場だったので、早帰りする本人も「上司命令だから」と気を楽にして会社を出られるようにした配慮だったようです。
「積極的にサボる日」を作る
これは本当に倒れる寸前に、先輩格の方からアドバイスされたこと。
「仕事に真面目で一生懸命やる人ほど、積極的にサボる日を作らないと、手の抜き方が分からなくて倒れちゃうよ」と心配され、アドバイスをもらった。ご自身の経験から「俺は毎月1日、絶対にこの日は何もしないって決める日がある。しかも営業時間中に。スケジュールが立て込んだら土日関係なく働いてるんだし、そうやって自分で決めないと、サボれないんだよね」と言っていた。
ユーモアのある方だったので、「ズル休みの日」と言っていた覚えがある。
元々優等生気質なので「ズル休みなんてしていいのか!」と目からウロコだったけれども、今思うと彼もきっと同じ気質で、そういう自分を分かった上での「ズル休み」だったのかもしれない。
「昔の自分」を知る人と会う
実はこれが一番効いたかも。わたしは実家の家族でした。
中学時代に引越しをしたことや、両親と折り合いをつけるのがうまくなかったせいで地元にあまり思い入れがなく、未だに年に数回レベルでしか帰らない親不孝娘ではあるけれども、やはり実家に帰ると「娘」としての自分を思い出す。
思春期を迎えて以降の思い出しかない地元でも、久しぶりに歩けば自分の学生時代を思い出すし、その頃なにを考えていたか、どんなことが楽しかったかが蘇ってくる。その頃に感じた純粋な「楽しさ」が今のわたしの基礎にあると思うし、ワガママなので、キツくても楽しくないと仕事も続けられない。でも実務に追われるとなかなか思い出せなくなって、気持ちがパサパサになる。
その連鎖が爆発を引き起こしたのだろうと思うので、定期的に自分は何が好きだったか、社会や仕事を知らなかった頃どんなことを考えていたか、会社で求められている役割ではない・元々の自分はどんな人間だったかを確認する作業が絶対に必要だなと思う。
わたしにはたった1人の妹がいて、彼女の存在も大きかった。「仕事でカツカツになってるときのお姉ちゃんは、あまり好きじゃなかった」と言ってくれたことは衝撃的で今のスタンスに大きな影響を与えていると思う。
確かに当時は、余裕がなくて家族に対して刺々しかった気がする。折り合いをつけるのがうまくなくても、家族のことはやはり大事で、その家族に「必死でしがみついている仕事」を否定されるのが辛かった。なので必要以上に攻撃的になっていたように思う。
大好きな妹にそんなことを言わせないために、ちゃんと意識的に余裕を持って生きていかねばと思うようになった。
こんな感じかな
この一連のエントリは自分の過去と向き合う作業だったので、1本書くたびにすごく疲れました。このエントリもすごく疲れたけど、未来を見て書くことができたので、良かったなと思います。
元記事になったsuniさんへ、エントリがホッテントリ入りしたとき、御礼とささやかな支援になればとamazonのウィッシュリストから贈り物をしました。朝ぽちって、夕方に届き、その夜にはsuniさんから御礼のメールが来て、インターネットは時間と距離を越えて人をつないでくれるんだなと感動しました。
なんだかんだでわたしは働くのが好きで、楽しいし、離れてしまったけれども一緒に仕事をしたメンバーへの尊敬と感謝は変わっていません。
ネガティブな経験を告白することで、今まさに頑張っている人たちを否定したように受け止められるのは悲しいなとあれこれ補足を書いてしまいましたが、自分が好き・楽しい・面白いと思えるならどんどんやればいいし、ああもう嫌だと思うなら投げ出してもいいと思います。
変わっていくきっかけになった友人や家族の言葉や行動がたくさんありますが、1つ1つを備忘していくと枚挙に暇がありません。
ただ、「これでいいのかな」と不安になると、夫からもらった「人間はただそこに存在するだけで素晴らしい。何かを成し遂げなければいけない、何かを与えなければいけない、ということはなく、その人の存在自体が唯一無二のものなんだから、あなたはただそこに存在するだけで素晴らしい。」という言葉を思い出すようにしています。
最後のろけっぽくなった!でもマジです。
ではそんな感じで!