飲み会のプロトコルについて個人的なスタンスの表明
このTweetがそこそこRTされているので、まとめておこうと思います。
このプロトコルに沿っておけばこのクソ野郎はよ死ねやと思ってる相手にも敬意っぽいものを示すフリができるの?マジ楽じゃん!使う使う! チートシートじゃん!という感じで飲み会マナーのこと覚えてるしそういうの知るの面白い
— はせ おやさい(GORGE.IN) (@hase0831) 2016年8月5日
マナーの話で思い出したけど、年若く起業したり
— はせ おやさい(GORGE.IN) (@hase0831) 2016年8月5日
独立した人がフェーズ変わるときにぶつかる壁、普段は接しない50代・60代の人と話すときのプロトコルが分からなくて大人とやりあえない、というのがあるそうなので、そういう人たちのゲームがどういうルールで動いてるのか覚えといて損はないと思う
トピックは3つです。
- 飲み会にプロトコルがあるのは事実
- それに則って行動するのは馬鹿馬鹿しく、煩わしくもあるが合理的でもある
- ただ、それを再生産していかないというのが未来を作る我々の役目
です。以下でそれぞれについて書きます。
続きを読む20160806
暑い中、自宅の家事を片付けて、久しぶりの実家へ。4月ぶりなので、少し間が空いてしまいました。
4月下旬から、いろいろと忙しかったり自分の環境が変わったり落ち着かなかったけれど、少しずつその前の生活に戻れつつあり、今回の実家もその一環のように感じられます。いつも通りの会話と、いつも通りの時間を過ごして、両親と夕食をとり、手土産のおやつを食べながらオリンピックを観たりしています。
両親は早く寝てしまうので、ひとりになったら軽くお酒と、持ってきた本を読んで寝るつもり。穏やかな夜。
それでは。
母とわたしの本棚
母は思春期の頃、大変な読書家だったようだ。わたしが物心ついたとき、家には本がたくさんあったが、彼女は夫と何度か家を建て子供たちを成人させて嫁として送り出す過程で、かなりの冊数の本を処分したらしい。というか、たぶんそうだと思う。わたしが中学生のときまで住んでいた家には大きな本棚があり、そこには無数の書籍が詰め込まれていたのに、いま帰る実家には本当にささやかな本棚しかないことから、勝手にそう予測している。実際のところは知らない。雄弁で活発な父の後ろに隠れ続けていたせいか、母はあまり自分のことを話さない。
いま、母の、というか、両親の持つ本棚はとても控えめで、料理の本やちょっとした実用書のみが収められているだけなので、母という人の読書の嗜好を辿るすべはない。
実家に帰ると、基本的に家事を手伝うか、めったに観ないテレビを両親と観て、彼らと「ただ過ごす」時間を設けるのだけれども、高齢な彼らは夜が早く、かつ、朝も早いので、昼寝もする。両親と時間を過ごすために帰ってきたのに、当の本人が寝てしまったら当然ながらわたしは手持ちぶさたになる。本当なら自分の趣味とは異なる本棚の本を読み散らかして過ごしたいところだけれど、それは叶わず、父が長いことかけて整理している子供時代からのアルバムを覗き見して、母や父の若い頃の写真を眺めて時間をつぶす。
海や山やスキー場や、親戚の家やらあちこちで肩を並べて写る若い両親は知らない人のようだ。その写真たちだけが、若い頃の父と母の人となりをなぞる手がかりとなる。
母は表参道だったか、とにかくそういった都心エリアでキーパンチャーをしていたらしく、若い頃はなかなか華やかな生活を送っていたらしい。40年(!)も前のことだから、どこまで本当の話なのかは、定かでない。どこの家庭でもよくある「お母さんは若い頃、モテたのよ」という話のひとつだと思うけれど、今こうして写真をみてみると、確かにそれなりに美しい人だったように見える。色白だったり清楚な顔立ちというような分かりやすい美しさではないけれど、笑顔が快活で、魅力的な人ではあったようだ。
この文章を書こうと思い立ったきっかけは、そんなふうに魅力的だった彼女が結婚をし子供をもうけたあと、友人に向けて書いた悩み相談の手紙を読んでしまったことがあるのを思い出したからだ。当時わたしは小学生で、筆まめな母は、よくほうぼうと文通をしていた。専業主婦で時間もあっただろうし、本来、話し好きな人だったのかもしれない。変わり者の弟ふたりをもつ長女でおっとりした彼女は、今もあまり口を開かない。会話より、文章のほうが自分を表現しやすい人だったのかもしれない。ともあれ、電話台の引き出しにしまってあったものをうっかり読んでしまったその手紙には、父への不満が書き綴られていて、自分の両親は仲良し夫婦だと思っていた自分としては、とてもショックを受けた。ただ大人になってから振り返ってみると、不満のない夫婦なんていないし、両親はその後なんだかんだでずっと仲がよかった。それに結果的に、母が父への不満を綴ったあの手紙を友人にあてて出すことは、なかったのかもしれない。そうでないと、わたしが引き出しで見つけてしまった理由の説明がつかない。
その後、母は身体を悪くして入退院を繰り返すようになり、わたしの子供時代もそこで終わりを迎えた。母の代わりに家庭を整えながら、専業主婦として父に養われ、不満があっても行くところがないとこぼしていた母のようになりたくない、と強く思うようになった。自立したい、自分で自分を養えるようになりたい、どこへだって自分で行けるようになりたいと思って、必死に働いた。うまくいかなかった結婚を解消し、自分の食い扶持くらいは自分で稼げるようになって、いびつではあるけれど、自分なりに母とはまったく別の人生を歩めているぞ、と思っていた。なのに、手紙のことを思い出してしまって、愕然とした。書かれていた不満の内容は、わたしが離婚を決意した理由と、非常に似ていたのだ。あれ、こんなところで合流しちゃったか、と思った。それぞれの配偶者(1人は元)の名誉のために、具体的な内容は書かない。けれど、その内容を思い出した瞬間、ああ、お母さんもそうだったんだ、わたしもそうだったよ、わかるよ、と思った。母もまた、わたしと同じ、弱くてさみしい、ただのひとりのかわいそうな女だったのだ。
アルバムあさりにも飽きて、期待せず覗いていた両親の本棚の中に、きれいな包装紙でくるまれたハードカバーが1冊あった。「すてきなあなたに」、大橋鎮子のエッセイだ。客間の畳の上に寝そべって読んでいたら、母がやってきて「なに読んでるの?」と聞いた。
「『すてきなあなたに』だよ。これ、わたしも同じのを、文庫本で持ってるよ」と答えたのに、耳の悪い母はそれを聞き逃したのか「いい本でしょう。持って帰ってもいいわよ。あげるわ」と言った。母は自分が大切にしていた本でも、あなたは本が好きだから、と、すぐわたしにくれてしまう。子供たちの成長に合わせて家の中を都合するため、行き場をなくして処分された、母が愛読したたくさんの本のことを思った。「わたしも文庫本で同じの持ってるって言ったじゃん。これはお母さんのなんだから、ここに置いておくよ」と答えると、そう、と言って薄暗くなってきた客間に電気をつけ、部屋を出て行った。
母には母の本棚があり、わたしにはわたしの本棚がある。そしてそこに同じ本がしまってあることを、少しだけ嬉しく思う。
今日はそんな感じです。
チャオ!
ひとりの男の登場で、わたしの季節が区切られていく
という台詞を何かの小説で読んだ気がするのだが、なんの本だったのかはすっかり忘れた。
ただそれを読んだときの感覚だけははっきりと覚えていて、それはわたしも同じように感じたことがあるからだ。男に限らず、音楽でも映画でも演劇でも、それを知る前と知った後のわたしは、決定的に違う。知ってしまったら知らなかった頃には戻れないし、知らなかった頃には知ることで自分がどう変わるかなんて、想像もつかなかった。
「悪い芝居」という、京都を拠点として活動する劇団がいる。
それまでまったく演劇に親しんでこなかったが、信頼できるある人のおすすめをきっかけに初観劇と至ったのだけれども、彼ら、もっというと、主宰の山崎彬さんとの出会いが、わたしの季節をはっきりと区切ってしまった。
そんな彼らの最新本公演「メロメロたち」を観た。
赤坂レッドシアターは今年で3回めで、仕事以外の用事で赤坂に足を運ぶ機会があるなんて思ってもみなかった。悪い芝居は演者が楽器を持って演奏し歌うスタイルなので、歌う場面と芝居の場面がシームレスだ。なのでギターなど演者自身が持ち運べるもの以外は常にステージ上に楽器が設置されているのだけど、今回の「メロメロたち」はその中でも特にドラムセットが前面に配置されていた。それは劇場に入った瞬間にわかったので、あれ、いつもとちょっと違うぞ、と思いながら席についた。
客電がまだついていて、人の出入りもあるタイミングで演者の一人がステージに上がり、ドラムセットに座る。え、何かのパフォーマンスかな、と思う。そういえば初めて観た「スーパーふぃクション」でも、劇場スタッフの開演前案内かと思ったらすでにお芝居が始まっていたという演出があり、そういう感じかな、と思っていた。
ところが客電もついたままの状態で、最初の一音が鳴り、刺さった。打楽器特有の鋭い音で、身体が震えた。というか、しびれた。全身の筋肉がバチンと硬直して、一気に引きこまれた。戦時下の中学生。戦闘訓練。少女ふたりが銃を持ってステージを走り回り、その中に強烈な輝度をもった日常があわられる。水筒のお茶、ビビッドな色のリュックサック、細い首に不似合いなヘッドフォン、ふたつに結わいた髪の毛、ひらり翻る制服のスカート、素直になれない、下品なことばかり言う男子、大きなケースをつけたスマホ、意味も理由もない電話と会話、ふたりだけにしか分からないお約束、これだけあれば、きみだけいれば、それでいいのに、それでいいのに、という熱望と、好きすぎて好きすぎて、いっそ殺してしまいたいという激情。
そんなふうにして、ある少女ふたりの恋にも似た友情が展開され、場面は切り替わる。少女のひとりが夢中になっている、ある伝説的バンド、「メロメロ」。最初の一音を叩いたのは、そのドラマーだった。解散してしまったバンド「メロメロ」のドラムであった彼と、彼のもとに日参する音楽ライターのやりとりから、バンドの物語が広がってゆく。
内戦激しい日本国内を舞台にして、バンドと少女たちの物語は近づいては離れ、また近づき、あるとき交錯する。巨大な破壊の中で死が少女とバンドのボーカルを結びつけ、物語は次の展開へ進む。少女の銃弾がバンドのボーカルを撃ちぬいて、バンドのボーカルは全身を火に包まれた。なんという不幸。でもここからがわたしの好きな悪い芝居で、ものすごいスピードで価値観が表・裏、べろんべろんとひっくり返され続け、混乱に巻き込まれていきながらも、その最中、常に愛情と肯定が絶え間なく、バケツいっぱいの水を浴びせられ続けるように劇場内へ満ちていき、わたしたちはその中に浸される。
浴びせられ続ける愛情と肯定に涙が止まらないまま、物語は終焉を迎える。その過程で繰り返し繰り返し発せられる言葉、「ライフ・イズ・ラブリー」。ビューティフル、ではなくラブリー、Love-ly、なところが胸に刺さった。
美しくなくていい、人生はただ、かわいいのだ。
それで、いいのだ。
主宰であり作・演出である山崎彬さんの存在につきた。全員が魅力的だったけれども(NMB48・石塚朱莉さんの鋭利な愛くるしさは、ものすごかった!)、彼が舞台に出てきた瞬間、全身の神経が彼を指し示して動かなくなる感じがあった。ものすごい輝きと、虚無があった。
ある人に「カリスマにはある種の虚無があって、ブラックホールみたいに、いろんな人を吸い込んでいっちゃうんですよ」と教えられたことがある。まさにブラックホールのように、ぜんぶを吸い込んで吸い尽くしてしまうように彼はそこにいた。そして同じだけの膨大な愛情と肯定を、わたしたちに与え続けてくれていた。底があまりにも見えなくて、それがこわくてこわくて、震えるほどだった。
そんなふうにして客電がついて、千秋楽というラッキーなタイミングなこともあり、舞台からの自撮りに観客席から参加をした。泣きはらした目の化粧を直すこともできず、まだ陽がでていて生ぬるい赤坂の街に押し出された。人と会う約束があったけれど、どうしようもならなくて近場のファストフードに入り、冷たいアイスティーを頼んで飲んだ。どこにでもあるお店のどこにでもあるアイスティーは、うすいレモンの味がして、愛すべき日常がそこにはあった。わたしの中でまたひとつなにかが区切られ、人を待つ間、呆然と赤坂の街を眺めていた。
わたしの人生の季節は、山崎彬さんの登場によって区切られてしまった。
より多くの人がこちら側にくればいいのに、と思っている。
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タイトル、ブコメで教えてもらいました。ありがとうございます!