インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

「発言に責任があるか」と「発言に責任を持つか」は別

【随時更新】やまもといちろう ×イケダハヤトの #ブログ論争 書き起こし - NAVER まとめhttp://matome.naver.jp/odai/2136575303313320601

暗澹たる気持ちになる会談風景でした。
みなさまおつかれさまでした。


何しろしち面倒臭いことになっている火中の栗を拾ってイベントという形にし、場を価値あるものにしようと会話に介入した結果、なぜか「司会うぜー」ととばっちりdisりを受けることになった徳力氏に心から同情申し上げます。
論者のパワーバランスがあまりにも悪すぎた。本当におつかれさまでした。


タイトル。

  • 「何かを発言するのであればその内容には責任を持つべきだ」
  • 「自分のブログで誰かの人生が変わってもボクのせいじゃない」

の平行線が最後まで収束しなかった感がありました。

見ていただけなのに、なんだか悲しくなってしまったというか、この2つはぜんぜん別の問題なのに一緒になっちゃっていて、「そうじゃないだろ」「ちがうだろ」とオトナ2人が諭そうとするも気持ち届かず、みたいな消化不良感があったので、自分でも文字にしてみようと思います。


自分が発信した情報を誰かが信じて、それを実行したとします。
それがうまくいかなかったからといって、自分のせいじゃない。責任を感じる必要はない。
もちろんそうです。ささいな発言の責任を追求され、そのことを恐れて何も発信できなくなる社会なんてイヤです、わたしも。


それはそれとして、じゃあどんな内容でも発信していいのかというと、そういうもんでもないだろ、と思うのです。バタフライエフェクトをなめんなよ、と。


もし本当に「自分の発言を誰かが信じて、実践したりするわけがない」と思っているのであれば、それは本当にかわいそうなことだと思います。何のために文章を書いているんでしょうね。適当に書くたび文字数当たりでチャリン!とお金が入ってくるからやってるだけ、と思っているなら、それでもいいのかな。
それは結局、メッセージを伝えているわけではなく、キーボードを連打して文章っぽいものを組み立てて、それをいっぱいバラまくことで小銭を稼げればいいというスタンスの違いにつきるのだと実感しました。


考えてみると、これって表裏一体というか、自分が覚悟をして発言した内容でないと、誰かの人生を変えるような重さが出ないというか、誰かに届くことはないから、仕方がないことなのかもしれません。
わたし自身が、自分が書いたものに「辛かったときに救われた」「励まされた」とリアクションをもらって嬉しかったし、そうやってどこかにいる誰かの励ましになればいいと思って、色んなことを覚悟して書いています。こんなネットのすみっこで書いてるようなブログでさえ、わざわざ面倒くさいステップを踏んで、お礼のメールをくれる人がいるんですよ!
泣けるじゃないですか。自分も同じように、誰かが書いたものに救われたり励まされたりしたことがたくさんあったから、インターネットって素晴らしいなあって思っているし、わたしも同じように誰かに返したいと思っていたので、なおのことです。
じわりじわりとそういうリアクションをもらえることが増えてきて、願って書き続けていたことが報われた、と感じることが増えました。それが本当に嬉しいから、しんどくても書き続けられているんだと思います。


そして、影響力のある人たちはみんなそういう「誠実さ」みたいなものを持っているんだと、勝手に信じて、買いかぶってしまっていたんですね。自分の未熟さを、反省しました。


発言に責任を持つ。それをやる・やらないは個人の自由です。
やらなくてもいいし、そういう人もいるんだろうと思います。ただそれだけのことで、責任なんか持ちたくないよ、という人の書くことをマジメに読むのはもうやめよう、ただそれだけのことだった、と諦めがついた会談でした。


わたしは終わった後になんだか悲しくなっちゃいましたが、みなさまはいかがでしたか。


<追記>
最後に起立して礼しなかったことが叩かれてるっぽいですが、それやると「履歴書は手書きであるべきおじさん」的な精神論厨というかなんかよく分かんないレベルに議論が落ちちゃうので、ちょっと冷静になってもいいと思います
自業自得とはいえ針のむしろ上に出てきてダンスした直後だし、単に慣れの問題もあると思うので……。