インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

2019年5月から6月の日記

これは他愛もない日記ですが、かけがえのないわたしの人生の記録でもあります。

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これは友人たちと町中華飲みしたときのオムライスです。

娘、1歳をむかえる

めでたく1歳を迎えた娘と、母として父としての1歳を迎えたわたしたち、わけもわからず手さぐりで、まあ、なんとかやっています。

保育園に入れられたのは、大きかったですね。なんか同世代の子供とのふれあいで、成長速度にドライブがかかっているような気がします。ありがてえ。

夫、5月がお誕生日

あまり派手なサプライズもなく、皮の名刺入れと恒例のラブレターをプレゼントして、つつがなく終了。食べるかなあと迷いつつ、ケーキの手配を忘れたのが痛手。

でもプレゼントを受け入れてもらえてホッとしました。なんと彼は20代ラストイヤーということなので、どうなるのかしら…?

我が家で一升餅パーティ

ご存知ですか「一升餅」。子どもに餅を背負わせて歩かせ、その先にある「選び取り」の札を選ばせて、将来を占う、みたいなセレモニーです。

当日は我が家を解放してお客さんでギュウギュウになりつつ、楽しく過ごせました。楽しかったので、娘の誕生日にかこつけて、なんらかの飲み会を毎年やりたい。娘本人がやりたいのかはまだ分からないんですが、親がやりたいうちはやる、娘が「もういいよ」と言ったら単なる飲み会にするって感じがいいかなと思っています。

素敵な人々がうちへ来たる

今の家はわりと駅近なので、なるべく人をお招きしてくつろいでもらえたらいいなと思って飲み会にも解放しています。家飲みは安いし、遅刻気にしなくていいし、近くに小杉湯という銭湯もあるし…

なんか高円寺へ遊びに来たときの拠点ぽいかんじで、友だちが立ち寄ってくれたらいいなーと思う。

逆にお呼ばれもして最高

娘がいるので機動性は格段に落ちるのですが、まあ子どもがいる生活って思ったよりスローモーなんだな…というのを一緒に遊んで疑似体験してもらえると面白いかもしれません。

娘も乗り物の練習になるので、あちこち連れて行きたいな。

そんな感じで

娘と夫との生活を中心に生きていますが、仕事もしてますし日々も楽しいです。しかし娘、ほんとかわいいです。だがこのもろく、かわいく、やわらかい生き物を、本当にわたしはしっかり育てられるのだろうか……

 

不安ではありますが、やるしかないよね!

という勢い締めで今日はこんな感じで。

チャオ!

さよなら平成

平成が終わる

 平成はまるっとわたしの人生の中に入っている。昭和に生まれ、平成に子どもを産み、令和を迎えようとしている。3つの元号を生きるとは思わなかった。亡くなった祖父は明治生まれで、明治、大正、昭和を生き抜いて、じいちゃんはすごいなあ、と思っていたけど、その祖父と同じ状態になるとは。

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 昭和64年、昭和天皇崩御の発表があったときわたしは小学生で、お正月明けて間もない1月、テレビや新聞の騒ぎ方から、何かすごいことが起きたのだという程度にしか理解していなかった。覚えているのは頻繁に流れるニュース速報で、誰かの命が失われていく様子をこんな小刻みに見ることがあるのだろうかという、不可思議な気持ちだった。そしてやってきた平成とともに、わたしは10〜30代を過ごすことになる。

甘えるのを諦めた10代

 10代のわたしはとにかく「扱いにくい子」だ、と父親によく言われていた。2歳離れた妹は朗らかで明るく人当たりもいいのに、なぜお前はそんな頑固で聞き分けがないのだ、と比べて嘆かれた。自分でも自分の気難しさはわかってはいたが、どうしようもなかった。小学校の高学年にあがるころ、母親が入院がちになり、クラブ活動を辞めて放課後は家事をすることになった。当時は妹とあまり仲が良くなかったが、長女の責任感で、彼女に家事を負担させることはできないと思っていた。

今でも妹は「わたしはお姉ちゃんに育てられたから」と言ってくれるが、実際のところ、大した働きはしていなかったと思う。しかし心構えだけは一人前で、母親の代わりに家庭を支えるのだ、という自負が強かった。早々に子供らしさを捨て、親に甘えることを諦めた。甘え方もよくわからないうちに誰かに甘えるのを諦めてしまったことが、後のわたしの生き辛さにつながったのかもしれない。

ともあれわたしの10代はほとんど母親に振り回されてきた。まだ存命だが母親と喧嘩する夢を今でもよく見るし、母親のようになりたくない、という気持ちで仕事や生き方を選んできたような気がする。

働きまくった20代

 そして20代、とにかく働いた。20代をずっと仕事に捧げた、というと語弊があり、実は20代前半まで、わたしは「早く結婚してお嫁さんになりたい」と思っていたのだった。ちぐはぐなのだが、母親のようになりたくない、と思いながら、父親に庇護され愛されている母親を、うらやましいと思っていた。わたしも誰かの最愛の人として守られたかった。付き合う人は全員「結婚を前提」としていた。気難しい人、優しい人、個性はバラバラだったが、みないい人で、いい男だった。

20代半ばまでで2回、婚約破棄をした。2回めの婚約をやめたのは、会社員兼バンドマンだった相手が「もう少し音楽をやりたいから、結婚を待ってほしい」という理由だった。婚約したあと、やっぱりもう少しバンドを本気でやりたい、諦めがついたら結婚しよう、と言われたとき、いいよ、待ってる、と返したものの、相手と結婚したい気持ちがスッと冷めたのがわかった。婚約者としてしばらく付き合い続けたが、結局、婚約を取りやめてもらった。理由をなんと伝えたかはもう覚えていない。ともあれ「もう無理だから」と言って双方の親を困らせた。相手方のご両親から「結納金を返してほしい」と言われ、いただいたのし袋そのままと引き換えに、元婚約者から受け取りのサインをもらったとき、もう結婚は無理かなと思った。

 そして20代半ばから、逃げるように仕事へ没頭することになる。それまで大したキャリアもなくフラフラとしていたので、派遣社員として当時急成長していたIT企業に潜り込み、すぐに社員登用の話をもらった。正社員になってからはITバブルの勢いもあり、働くのが本当に楽しかった。

いつも深夜まで残業していたし、金曜の夜は翌朝まで働くぞ!と言って夕飯をみんなで食べに行って大騒ぎした。職場の床で寝たこともあるし、誕生日も職場で3度迎えた。誕生日の夜、同じチームの仲間が会社近くの王将に連れて行ってくれ、「好きなものなんでも頼んでいいぞ!」とおごってくれた。10代以上に、青春だったと思う。自分で考え企画して提案したアイデアが採用されるのが楽しかったし、1億円以上の受注を自分の手で決めたときは、震えるほど嬉しかった。このころ出会った友人たちとは、今でも仲がいい。

結婚、離婚、破れかぶれの30代

 30代を迎え、友人の結婚式にもあらかた出席してみると、だんだん「やっぱり結婚してみようかな」と思うようになった。ならばといわゆる「婚活」を始めて、親の紹介で見合いもしたし、婚活パーティにも参加した。見合いも婚活パーティも実りはなかったが、「自分はこういう人と結婚したいんだな」という譲れない条件を洗い出すのには、非常に有効だったと思う。そうして周囲にも「婚活してるんですよ」と言って回っていたおかげか、最初の結婚ができた。

取り持ってくれたのは、近所の飲み屋のマスターだ。この結婚についてはブログで何度も書いているので割愛するが、元夫との生活は子ども時代をやり直させてもらうような、育て直しをしてもらうような結婚だった。相手からたくさんもらってばかりで、わたしからなにか与えられたのだろうかと未だに思う。残念な結果にはなったが、結婚を決めたことを後悔はしていないし、元夫のような人に出会えて、選んでもらえたことを今でも誇りに思う。

 40代を目前にして、ふたたび一人に戻り、残りの人生はもう「おまけ」だなと思った。仕事があったのが何よりありがたかった。経済的な自由は精神の自由を担保してくれる。また必死で働く日々に戻った。そこでもよき仲間に恵まれ、青春の日々を送った。会社帰りによく飲みに行き、社会をどうしていきたいか、どんなことを実現したいかをよく語り合った。チームの仲間で車を借りて、仕事帰りに温泉旅行もした。年齢層はバラバラだったが、みな夢があり、仕事が好きで、何よりいいやつらばかりだった。

しかし、仕事は充実していたが、どうしようもない寂しさに襲われることも多かった。楽しい日々の中でも、その思いは消えなかった。気難しい性格で、離婚歴があり、40代が目の前だ。とにかく「今日を生きよう」と思った。今日を生き、生きつないでいけば、場当たり的でもどこかへたどり着けるかもしれないと思った。人と出会い、酒を飲み、めちゃくちゃに遊んだ。その生活の中で知り合ったのが、今の夫だった。

再婚、出産、長生きしたい40代

 一回りも年齢が下の男性を恋愛対象として見るアラフォーは、割合少ないのではないかと思う。自信がないというより、鼻から相手はこちらを対象外としているだろうから、変な気を起こすと怖がらせてしまうだろう、と自制するからだ。わたしも最初はそうだった。出会って半年ほどはただの遊び仲間として過ごしたが、あるとき夫はわたしをちゃんと「女性」として扱っていることを知り、関係が変化していった。

お互いそれなりに葛藤はあったような気がするが、それ以上に一緒にいる楽しさが上回った。夜、眠る前に毎晩電話をしても、話が尽きることがなかった。ああ、この人といると楽しいな、素の自分でいられるな、と思ったらスルスルッと付き合いが始まり、当たり前のように結婚の話になって、子どもができ、今に至る。

 再婚して子どもがいる人生を歩むことになるとは思っていなかったので、非常に焦りもある。なぜならこちとら「おまけの人生」と破れかぶれになっていたのだ。離婚したあとは、何も将来のことを考えていなかった。なんなら40代のうちに死にたいと思っていたくらいだ。ところがどっこい、急に死ぬわけにはいかなくなった。というか少なくとも残り20年、娘が成人するまでは、なんとしてでも生きたい、と思うようになった。

人生ってどうなるか、本当にわからない。あんなに死にたくて、もう自分という人間から逃げたかったのに、そんなことを考えている暇がなくなってしまった。自分から産まれた娘は心底可愛く、自分を選んでくれた夫は本当に愛おしい。出産という経験もめちゃくちゃ面白かったし、夫婦というパートナーシップを作っていくのが、あらためて楽しい。死にたがっている場合じゃねえ、と思うようになった。

さよなら平成

 こうして七転八倒、七転び八起きの平成が終わろうとしている。なんだかでこぼこで、みっともないことだらけの人生だと思う。もっとスムーズに、凹凸なく安定して穏やかな生き方をする人もいるだろう。そういう人をうらやましくも思うが、自分の人生もこれはこれで面白いからいいか、と思っている。平成の終わりに痛感しているのは、「惨めでも格好悪くても、生きてさえいればなんか面白くなってくる」ということだ。結果オーライだからそんなことが言えるのかもしれないし、これから先の人生だって、まだ何も分からない。でも今まで何度も転んで立ち上がれたのだから、これからも、まあどうにかなるだろう、と思っている。

 

 付き合い始めたころ、夫に「あんまり長生きしたくないと思ってるんだよね」と言ったことがある。そのとき夫は「長生きしなよ。長生き、似合うよ!」と笑ってくれた。長生きって、似合う・似合わないがあるのだろうか?よくわからないけれど、似合うと言われたなら、それに従ってみようと思う。何しろ「おまけの人生」なのだ、どんなことがあっても、楽しんでいけるだろう。

 

 2019年までブログを続けてこられたのも、読んでくださるみなさんのおかげだと思います。猫も元気です。これからも細々と書き続けていきたいと思うので、今後ともどうぞごひいきに。

今日はそんな感じです。
チャオ!

年末年始のこと’19

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年末年始のこと、この一週間についてを振り返りました。今年は日記も復活させていくぞ。

 

12/30 日曜 晴れ

近所の友人とランチで待ち合わせたら、旦那さんも一緒にやってきたので、流れでお昼からお酒を飲む。この街に長く住む友人夫婦は、最近越してきたわたしたちが街に馴染んでいるか心配してくれているようだった。おすすめの飲み屋をいくつか教えてもらい、そのうちのひとつに、このあと行ってみようという話に。すぐ夫にLINEして、買い物に出かける友人たちと一度解散。いったん帰ってきて、再度夕方から出掛けるも、このときのわたしの応対に夫が不満を感じたらしく、少し言い合いになる。険悪なムードのまま友人夫婦と再合流し、だらだらと年末年始の過ごし方などについて飲んでしゃべって、穏やかに解散。しかし帰ってきてからも口論が続き、リビングと寝室でそれぞれ頭を冷やし、夫から和解の言葉があったので決着。「言わなくても普通わかるでしょ」を撲滅したい。

12/31 月曜 晴れ

昨日の喧嘩の後腐れもなく、起床してからサーッと大掃除。寒いけど窓を開けて換気すると気持ちがいい。猫は掃除機が嫌いなので、寝室でおとなしくしていた。クリスマスから出しっぱなしだったクリスマスツリーをしまうかどうするか話したけど、年明けまでイルミネーションが付いているところもあるしと、そのまま出しておくことに。午後からは年越しそばにのせる天ぷらを買いに出て、高円寺「天すけ」に並ぶ。海老天とかき揚げを購入。かき揚げには海老がごろごろと入っていて豪華だった。海老だらけだけど、夫婦どちらも海老好きなので、よしとする。そのまま商店街をぐるりと散歩して、年末のソワソワした感じを楽しんだ。夕方からは年越しムードで、紅白を観ながらお酒を飲んで、だらだらとインターネットをして、お蕎麦を食べて、ふたりで楽しく年越し。お蕎麦はおいしくできました。よかった。

1/1 火曜 晴れ

頼んでおいたおせちとビールでお正月らしく整える。あとお雑煮。お雑煮に入れる餅を電子レンジで加熱しようとしたら、説明書きをよく読んでいなかったせいで焦げ臭い何かが仕上がってしまった。怖かった。二度目は説明書き通りにしたのでうまくいきました。食べ終わったあと、せっかくだし、初詣ついでに近所を散歩することにして、娘をベビーカーに乗せ意気揚々と出かけたものの、近所の神社はすごい行列で早速断念。どこもこの行列だろうし、どうせお詣りしないけど、もうひとつ別の神社にも行ってみようと足を運んで、行列を確認したあとまたぶらぶらと散歩。本当にお天気がよくて気持ちがよかった。記憶にあるお正月っていつも晴天だなと思う。神社に行ったとき娘を抱いて夫に写真を撮ってもらったのだけど、撮った写真を改めて見返したら日差しが眩しかったせいか娘が妙な表情をしていて、とても可愛らしかった。夜、眠るため電気を消したあと、この間の喧嘩で謝りきれなかったことを夫に話す。いい歳して素直になれないときがまだあるので、暗くて顔が見えないほうが言いやすいことがあるのだ。

1/2 水曜 晴れ

朝、娘の授乳で起きたあと二度寝。その間に夫は小杉湯の朝風呂に出かけていたらしく、干支タオルをもらってきていた。おまけでわたしには銭湯錠のキーホルダーを買ってきてくれた。「欲しいなあ」と言っていたことをちゃんと覚えていてくれて、とてもうれしい。ふたたびお雑煮とおせち。餅が足りなくなったので、夫がサッと買いに出てくれて頼もしかった。夜、何もしないまま終わるのはもったいないということで、慌てて出かけ、散歩をして、ファミレスで晩ごはん。昔から夜のファミレスが好きで、和洋中デザートぜんぶそろっているし、ドリンクバーは楽しいし、この世のすべてがここにある、という気がする。隣のテーブルもお子さん連れで、男の子だったのだけど、赤ちゃんが気になるようでこちらをチラチラと見ていた。そのあと変顔をしてみせてくれて、元気でよろしい感じであった。帰ってきてからは、家で「グレイテストショーマン」を鑑賞。音楽がかっこよかったので、映画館で観たかったな。会社員に復帰してからというもの、平日に体力を使い果たすので、土日でどこかに出かけたり会社帰りで映画を観たりということが本当にできなくなった。今年は少しずつそういうことも取り戻していきたい。育児との兼ね合いもあるから難しいんだけど。

1/3 木曜 晴れ

今日はわたしが小杉湯の朝風呂へ出かけ、バタバタと支度をして、娘を連れわたしの実家へ。といっても在来線を乗り継いで1時間程度なので、帰省というほどでもない。実家に向かう前に、わたしが学生の頃よく行ったお寺へ初詣をしに立ち寄る。ものすごく広いお寺なので、夫にベビーカーを押してもらい、ゆっくり参詣。途中、家族3人揃った写真が撮りたいね、という話をしていたところ、同じように家族で写真をとろうとしているファミリーを発見したので、夫が「撮りましょうか」と声をかけ「その代わりうちもシャッター押してもらっていいですか」と頼んで、お互いフフフッとなる。微笑ましいひととき。そのあと3人で自撮りも試みたけど、笑えるほど下手くそだった。わたしには自撮りの才能がない。実家では両親に娘を見せて抱っこしてもらって、パソコンのセッティングもしてあげて、まあ親孝行できたかなという感じ。両親のことは尊敬しているし感謝もあるんだけど、母が入院がちで家にいなかったぶん子供時代を早くに強制終了させられたという恨みがあったり、父が理想の生き方像を押し付けてきて今のわたしを強く否定してくることがあったり、昔から気が合わないなと思っている。それは今もあまり変わらないんだけど、わたしには夫がいてくれるし、親はもう変わらないと思うし、もはや仕方がないことなので、今くらいの程度の距離感でうまくやっていければいいなと思った。帰り、チェーンの居酒屋に入りお疲れさまのビール。地元を歩きながら夫に「ここで学生のときこんなことがあった」と思い出を話すのが楽しかった。

1/4 金曜 晴れ

毎日晴れてて最高。昨日の実家詣での疲れが出たので、昼までゆっくり過ごし、午後から訪ねてきた友人と昼酒。友人は娘がまだ産まれたてのちっちゃいときに会ってもらっているので、再び娘を抱っこしてもらうと、そのサイズ感に笑ってしまう。娘の体重も倍以上に増えたし、成長したなあと思う。遊びに来てもらったものの、大したおもてなしもできず、出前の寿司と持ってきてもらった日本酒を開ける。わたしにはおもてなしの才能もないと思う。お酒を飲んで、友人が持ってきてくれたかまぼこをアテに「あいのり」最新話を観たりNetflixにあった古いM-1を観たりして、だらだらと過ごした。いっときは友人と夫と3人で朝まで飲んで、そのまま昼まで飲んで夜また合流して飲んで、友人の家に泊めてもらって翌朝からまた飲んで、というアホみたいな遊び方をしていたので、またアホみたいな遊びができる日が来たらいいなと思う。お酒をアホみたいに飲まなくてもいいので、末長く仲良くしてください。友人は同棲する恋人が体調を崩しているからと早めに帰った。友人が帰ったあとは酔いが回ってしまい、夫が娘をベビーベッドに運んでくれたのを機に一緒に寝てしまう。起きたらだいぶいい時間で、ほぼ終盤に差し掛かっていたナウシカを観て、水をがぶ飲みして就寝。ナウシカ、何度も見ている印象のわりに、正確なお話の筋を知らない気がする。

1/5 土曜 晴れ

お正月ムードは終わり、単なる土日という感じの街並み。パン屋に出かけ、コーヒースタンドに寄り、公園でお昼ごはんを食べた。子供たちが鳩を蹴散らしながら駆け回っていて、うちの娘も遠くない将来あんなふうに元気に走り回るのかなあ、それともおとなしく砂場でひとり遊びするのかなあ、などと夫と話す。わたしの年齢的に娘はおそらくひとりっ子になるので、年の近い友人が多くできたらいいし、わたしたちが死んだあと、わたしたちのことを話せるよう、従兄弟たちとも仲良くしてほしい。夫と娘のことを愛しているし心の底から大切に思うけど、よほどのことがない限りわたしのほうが先に死んでしまうはずなので、お金に限らず、少しでも多くのことを彼らに遺していければいいなと思う。前の結婚がだめになって、いろんなことに絶望して、「残りの人生はもうおまけだな」という感じでいつ死んでもいいやと思っていたけど、今は本当に死にたくない。本当に死にたくないし、幸せってなんなのか、自分でもまだよくわかっていないけど、それでも夫や娘が「幸せだ」と思える瞬間をひとつでも多く用意したいと思った。人生は何があるかわからないけど、まあなんとかやっていきましょう。

 

海外に出るわけでもなく、家を中心に地味に過ごしたどうでもいいような一週間でしたが、たくさんの大切にしたいことが詰まった一週間でもありました。年末年始なんてただのカレンダー上の切り替わりでしょ、なんて見方もできるけど、そういうことを言い訳にしてこんな時間が持てるなら、それはそれでいいじゃんと思う。早くまた次の連休が来ないかな。

今日はそんな感じです。

チャオ!

「良いお年を」って言いたい

すっかり年の瀬ですが、いかがお過ごしですか。わたしは明日が年内最終出社日、諸々の手はずを整えて、大掃除と納会だけ参加しに行くくらいの心積もりでいます。

2018年は振り返るべきことがたくさんありすぎて、むしろ何も振り返らず行こうかと思うほどでした。何より娘の誕生はめちゃくちゃにスペシャルな出来事で、分娩室に入ったときのことは鮮明に思い出せるのに、同時にあれはもはやいつのことだったか、ものすごく遠くに感じる、という不思議な感覚を覚えています。

その後は慌ただしく会社員に復帰して、夫が専業主夫になったり、夫婦でイベントに登壇するなど、「ふたりでこの家庭をどうしていくか」についてたくさん考えた、悩ましくも楽しい1年でした。(このことについては年明けに別の場所で詳しく書かせてもらう予定です)

 

さてタイトル、明日有給を取って本日が年内最終出社、という人もちらほらいて、今日だけで複数回「良いお年を」の挨拶をしたのですが、改めていい言葉だなーと思います。「良いお年を」「良いお年をお迎えください」と口にするとき、今年の「ありがとう」と来年への「よろしく」、そして「来年も良い一年になりますように」という願いが込められている気がして、なんだか好きだなあと思うのです。

そして最近、好きだなあと思ったもうひとつの言葉が、忘年会で投げかけられた「お変わりありませんか」でした。一定期間の付き合いがありつつ、お互いの近況は報告し合う必要がある程度の距離感って、素敵じゃないですか。他者を通じて自分の状況を第三者的に把握する、という意味でも、なんだかハッとした問いかけだったのでした。

娘を妊娠して以降、すっかり出不精になり飲み会に参加する回数も激減したのですが、それでも付かず離れずで近況を聞きあえる他者がいてくれるというのは、ありがたいことだと思います。わたしも誰かに「お変わりありませんか」と尋ねて話を聞きたいし、わたしのことも聞いてほしい。そういうゆるやかな付き合いを、細く長く続けられるといいな。

ということで、今年はあまりブログを書けなかったのですが、いつでもわたしはここにいるし、あなたのことを思っていますよ、ということが書きたかったのでした。良いお年をお迎えください。そしてまた来年もよろしくどうぞ!

 

今日はそんな感じです。

チャオ!

少しずつ積むのだ経験値を

本日

犬山紙子・劔樹人夫妻も登壇! “共働き”をテーマにしたイベント「りっすんお茶会」を開催します - はたらく女性の深呼吸マガジン「りっすん」

でした。ご参加くださったみなさま、運営のみなさま、ありがとうございました!

短い時間での登壇でしたが、さまざまな問いかけを受けて我が家なりの問題解決とか、経験談みたいのをお話させていただきました。

 

ご一緒した犬山紙子さん劔樹人さんご夫妻は役割分担と個性の違いが明確で、お互いを尊敬しあっていることが伝わるとっても素敵なご夫婦でしたし、仁田坂さんご夫妻はご夫婦でまったく別業種なのに、ベースにあるお互いへの愛情をエンジンにテクノロジーやサービスの力を借りて合理的にコトに当たっていてカッコよく、めちゃ勉強になりました。

そのほかにも懇親会で何人か、何組かのカップルとお話させていただいて、みんなそれぞれ悩んでいるんだなあ、それぞれがそれぞれの工夫を持っているんだなあと思って、めちゃくちゃ楽しかった!

登壇でお話させていただいたように、「共働き」は「夫婦」というユニットのフェーズのひとつでしかありません。なので、過去のロールモデルや親世代の価値観にとらわれず、旦那が専業主夫になったり、ふたりともフリーランスになったりと、ガンガン「我がユニット」の幸福の最大化のためにいろんな方法を試すのがいいのだろうと思います。そういう「いろんな方法」のひとつとして、うちの夫婦の話が役に立ったら嬉しいな〜と思いました。

 

イベントは日曜の日中だったので、娘をベビーシッターさんに預けて出掛けたのですが、夫とふたりだけで出るのも久しぶりで楽しかったし、娘はシッターさんと仲良くやってて、頼もしかった。娘を預けて出掛けるのは初めてで、罪悪感とかあるもんかなあと思ったけど、わたしは意外と大丈夫でした。というかそもそもプロに来てもらうので安心だし、息抜きにもなったので良かったです(ちなみに我が家はキッズラインのお世話になりました)。

キッズライン | ベビーシッターマッチング・病児保育/一時保育

イベント終えてみて、まだまだ経験したりないこともあるし、やってみたいこともあるなと実感します。それにはさまざまな挑戦が必要で、今回のイベント登壇もそのひとつでした。そうやって挑戦してみることで経験値がたまり、できることが増えたり、できないことが分かったりしていくんだろうと思います。

なんというかうちは夫婦としても親としてもまだ経験値不足で、手探りなことがたくさんあるものの、こうやって経験を積んで、それを文章にして、そこでまた何かを得ることができたらいいなあと思っています。拙い登壇者ではありましたが、お付き合いくださったみなさま、ありがとうございました。イベント登壇のお誘い、夫婦ともども、引き続きお待ちしています!

 

今日はそんな感じです。

チャオ!

そんなに多くは抱えられない

娘を産んで半年が過ぎた。

半年が過ぎ、産後早々にフリーランスを店じまいし、昔いた会社へ呼び戻してもらった。フルタイムで復帰するのに伴って夫が兼業主夫になり、家を守ってくれている。ただそれだけの、まだ少し珍しいかもしれないが新しくもない形で家族運営を始めてみて思うのは、ほんとうに、ほんとうにわたしには抱えられるものが少ないんだなということ。

まず今の生活の最優先は、フルタイムの仕事だ。これがないと家賃が払えないし、家族を養えない。そしてフルタイム勤務であり業務の内容もまだ手探りなので、どうしても多くの時間を割かざるを得ない。その次に優先されるのが家族。今のわたしたち夫婦の中心は生後6ヶ月の娘で、彼女のために様々なことが回っている。そしてその次にやっと、夫婦ふたりと、自分一人の順番が回ってくる感じ。

そうして並べてみると、わたしにとっては等しく大事な事柄であっても、優先順位は厳としてある。それが悔しかったり切なかったりするけれども、とにかくやっていくしかないのだと思っている。

夫も「ずいぶん遠くへ来てしまった気がする」と書いていたように、わたしもずいぶん遠くへ来たなと思うようになった。独身時代は自由気ままに好きなだけ仕事をして、好きなだけ酒を飲んで、好きなだけ眠っていた。うまくいくこともいかないこともいろいろあったけれど、すべての判断は自分で好きなようにできたし、好きなように生きていた。

ところがどっこい、再婚してみて、子供が産まれてみたら、そうはいかなくなった。当たり前の話だ。なんといっても家の中に、こんなにもろく、不確実で、手のかかる、世界一かわいい生きものが登場してしまったのだ。否が応でも彼女の安全と安心と幸せを、何がなんでも整備してやらねばならぬという気持ちになっている。

そこには出産前に購入していた育児書にあったような、ふんわりとして優しく、甘やかな空気は思ったより少ない。そこにあるのは責任感と必死さで、どう公私のバランスを取っていくのかを日々絶え間なく考えさせられ、判断を迫られ、問い詰められているような気さえする。

「これは大事な娘を夫に任せてまでやる残業なのか?」「そこまでして大切にする人付き合いなのか?」

---そんな風に自分に問いかけることが増えた。

 

0歳児の時間は、あっという間に過ぎていく。下手すると朝、「いってきます」と声をかけて笑った顔が、仕事を終えて帰ってきたらなんとなく違って見える時すらある。それは大げさかもしれないが、そのくらいのスピード感で、刻一刻と娘は成長している。1秒も見逃したくない。けれど、彼女の安全で健やかな成長を守るためにはお金が必要で、わたしはそれを担保しなければいけない。なんというジレンマ!

同時にわれわれ夫婦の平穏や、わたしの心の安定も図らねばいけないので、自ずとやれることの選択肢は狭まってくる。娘はこれから離乳食で、保育園の選考にも入るし、どんどん思わぬ成長を見せてくるだろう。そのときわたしは、彼女の成長をしっかり守ってやれるだろうか?夫が安心して生活できる状態を、維持してあげられるだろうか?自信があるかといえば微妙なところだが、やれるのかと聞かれれば、やるしかないと答えると思う。

 

そのために諦めたり先延ばしにしたり手放したりすることが増えるのだろうけれど、残念がったり悔やんだりしても、こればっかりはどうしようもない。もう二度と同じものは手に入らない。それにその代わりに得たものが大き過ぎて、比べるのも意味がない。娘や夫が不在だったわたしの人生は、危うく楽しく刺激的なものだった気がするけれども、今のわたしの人生はまた違った色みを持ち始めていて、そのすべてが愛に基づいて蠢いている。戻りたくても戻れないし、もうどこにも逃げられない、というと聞こえは悪いが、つまりそういうことであり、それは決して悪い感じではないのだ。

 

とまあいろいろ書きましたが、娘はかわいいし夫は愛おしいし、びっくりするほどの愛が家には満ちあふれている。愛が満ちている、なんてことを自分で書く日が来るとは思わなかった。でも実際そうなのだ。親から与えられた家族の中で漂っていた愛は、残念ながら、わたしにとってはしっくりこなかった。でもそれは、今振り返ると、誰のせいでもなかったのだ。もちろんそれは我が家でも今後起こり得ることで、いつかわたしも娘に拒絶される日が来るのかもしれない。それでも試行錯誤を繰り返し、「我が家」というユニットの最も良き形を探り続けていくのだと思う。あれもこれもと欲張りつつ、ときに諦めつつ。

 

今日はそんな感じです。

チャオ!