インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

20160911

朝晩の空気の涼しさに秋を感じた日でしたね。

題名のない音楽会」ご覧になりましたか?ジェフ・ミルズとオーケストラの共演は、とてもゴージャスで、セクシーでした。録画しとけばよかったな。さてクラブミュージックつながりの話題、このエントリを読んで、わたしも「アフターアワーズ」とても好きなので、わっ!と思いました。

stein.hatenablog.com

「アフターアワーズ」はガール・ミーツ・ガール、ある女の子がDJ/オーガナイザーの女の子と出会い、それをきっかけとしてクラブカルチャーに触れていく、という物語です。クラブでお酒を飲んで踊って笑って朝まで遊んで地上に出たとき見える朝日まぶしい繁華街の空気や、音や映像や新しい人との出会いの可能性が転がっている夜遊びのワクワクする感じが詰まっています。

わたしはいわゆる「クラブ」に初めて行ったのが遅くて、二の足を踏んでいたのですが、1回だけ友人のVJの手伝いで、ボタンをポチポチするだけのVJをやらせてもらったのが楽しさを覚えたきっかけ(作中のエミちゃんと同じですね!)でした。

以来、知り合いのDJを見に行く程度ですが、夜中に大きな音で好きな音楽を浴びる楽しさとか、酔っぱらってあちこちで起きるハプニングのワクワクとか、身体は疲れているんだけど頭は冴えていて、ひとけのない繁華街の妙に清涼な感じにまだ帰りたくない!と思ってしまう感じとか、そういうのが読み進めていくうちにバーッと思い返されました。

2巻が楽しみです。 

それでは。

20160910

朝、やや酔いが残り寝不足の頭を長風呂でなんとかして、よろよろと立川まで。

人狼、というパーティーゲームを昔よく遊んでいて、ひさしぶりにやりたいな、と思っていたところ、初心者歓迎のゲーム会があるよとお誘いいただいたので、行ってきたのでした。

 

何ゲームか遊んだあと、不調で耳鳴りが激しくなってしまい、外の風に当たったり館内を散歩したりしたのですが、どうにも快復せず。寝不足はダメですね。人の話し声をキャッチできなくなり、耳が痛いな、というのが始まってからは急速に頭全体がガンガンと痛みはじめて、最後まで楽しめませんでした。残念。今度は体調を万全にして臨みたいです。

でも人狼、久しぶりでしたが楽しかったです。暖かく迎え入れてくださったみなさま、ありがとうございました。重ね重ね、不調が悔やまれる……。最近なんだか眠りが浅く、眠くても眠れないので、どうにかして改善せねば……。

 

そちらもどうぞご自愛くださいね。

それでは。

20160909

金曜日でした!

夜、ずっと一緒にチームを組んでいた仲間の送別会があり、思い出のお店を予約して、みんなで行きました。卓球台があるお店なので、試合して負けたらテキーラショット!というバカバカしい遊びをして、爆笑して夜中まで過ごしました。(わたしが一番たくさん負けて、一番たくさん飲みました)喪われた楽しい時間を残念に思わなくて済むように、目先のバカバカしさだけを楽しむように、みんなしてたいそう笑って、酔いました。

わたしたちは最強で最高のチームだったけれど、それでもうまくいかなくなるのは組織の中に所属する限り、仕方のないことでした。チームの解散は、わたしたちの責ではない。振り返れば、あれもこれも、そこここにわたしたちが築いたものがあり、組織の礎になっている。そのことだけが、プライドを今も支えてくれています。

「あのとき怒鳴られたのマジで怖かったっす、でも、あれがなかったら今のオレはないっす」「そうだよ、あのときのあんたはほんとひどかった!今はずいぶん変わったけど」と、思い出話をして、ああ、怒鳴ってしまうだなんて、あのときのわたしは、そんなに必死だったんだな、と笑いました。規模が大きすぎてまったくコントロールできない仕事に全員必死で取りかかって、一緒にやっつけた過程で、いろんな顔を見て、見せました。家族にすら見せたことのない顔もあったかもしれません。そんなことを思い返し、きっかけが仕事だったとはいえ、むしろ、仕事だったからこそ、わたしにとっての彼ら彼女らは、家族とも恋人とも親友ともまた違うけれど、一生大切にする、大切にしたい人たちになったんだろうな、と思ったのでした。

感傷的な日記になってしまいました。まだ酔っているような気もします。元気を出さなければ。みなさまも、どうか楽しい週末をお過ごしくださいね。

それでは。

20160908

台風の気配もありつつ、なんとかお天気は持ったようで。何よりです。昼間に少し雨に降られた程度で済みました。

最近、どこで働くか選ぶ上で、大事にしていることは何ですか?と聞かれてハッとしました。とっさにその場で思いついたことを答えたのですが、意外にこれはわたしの価値観の本質かもしれないと思ったのでメモしておくと、もっとも重要視するのは「誰と、どんな人と働けるか」で、これは経験則として、優秀な人と一緒に働けるのは未来につながる何よりの報酬だと思っているから。その次に「その会社やサービスがどんな未来を作ろうとしていて、それに共感できるかどうか」。これは働く上で様々な辛いこと、迷うことにぶつかったとき、迷わないための指標として。そしてその次が「期待されている役割とそれに対してバランスする報酬・条件かどうか」だなあ、と思ったのですが、まあこれもあくまで理想論ということで。

でもたまにこういうことを考えて、いつ聞かれても答えられるように準備しておくのは良いかもしれない、と感じました。

 

夜は楽しみにしていたお食事へ。

個人的に会うのは初めてだったので、正直すこし緊張していましたが、賢く美しく魅力的な人との会話はとても楽しく、幸せな時間でした。

良い一日だったな〜!と思いながら、よく眠れそうです。

それでは。

20160907

日差しのある場所はまだ暑いですが、だいぶん湿度が落ち着いて、過ごしやすさを感じる頃合いになりつつあります。

夜は友人のお店に立って、寄ってくれた久しぶりの人に会ったり、即興でお腹にたまりそうなごはんを作ったりと、穏やかな日でした。人と話すのはやっぱり楽しいですね。やや話し足りない気もしましたが、それもまたよし。またお待ちしています。

それでは。

20160906

暑かったですね。なかなか秋がやってこず、少し歩くだけでまだ汗ばむ気温です。

夜、今年初めての梨をむいて食べました。

買ってきて割とすぐに食べてしまったので、もう少しちゃんと冷やしておけば良かったかな〜と思いましたが、それでも季節のくだものを店頭で選んで食べるのは、良いものです。くだもののことを「水菓子」と呼びますが、今年初めての梨はその言葉がしっくりくるおいしいもので、季節の移り変わりを実感できました。

秋はどんなことをして過ごそうかな。

それでは。

あやふやなままでいい

 飲んだ酒の名前が最近、ぜんぜん覚えていられない。
さほど酔っているわけではないと思う(思いたい)のだけれど、すすめられて飲んだワイン、焼酎、日本酒、ウイスキー、様々なおいしいお酒の名前が、次の日になると、すっかり忘却の彼方にいってしまう。

その瞬間に限って言えばはっきりとよく覚えた(つもりだ)し、名前の由来などを聞いて「へえ」と感心したりもしている。ラベルを眺めながら「そんな由来だなんて、素敵だね」、などと同席者と話して、類するエピソードを挙げて会話を楽しんだりもしていて、これは忘れないだろうと思っていても、よくて2〜3日、ひどいときには寝て起きると、何もかも忘れている。おいしかったからあれをまた頼もう、と思っていても、出てくる言葉はああなんだっけ、あの数字の書かれたラベルの、赤い、あのワイン。
 
昔のわたしは、こうではなかった。お店で酒をすすめられたら、真面目にラベルの文字をメモしたり必死に暗記をして、次行ったときにまた頼もうと心に誓っていた。そしてそれを生真面目に何度か繰り返して、覚えた気に入りの酒の名前がいくつかあったはずだった。下北沢の割烹で飲んだあの日本酒、新宿御苑のビストロで飲んだあのワイン、代々木上原のバーで飲んだあのウイスキー。どれもおいしかったし、楽しかった夜のはずだけれど、今となってはもうすっかり名前が思い出せない。

ただ代わりに、その酒を飲んだ夜の感情は鮮明に記憶されるようになり、今はそればかりを思い出す。しかし残念なことに、最近はそれすらも思い出してはまたすぐ忘れてしまうようになった。何かきっかけがあるたびにその感情を思い出し、交わされた言葉や夜の記憶の甘さに、ふたたび、みたびと浸っている。そうして冷凍保存と解凍を繰り返していくうちに、しまいには思い出のディティールが消え失せて、感情の温度だけが胸に残る。

バカみたいにそれを繰り返していたら、そのときと同じ酒を頼んだとしても同じ夜が来ることが二度とないのをわたしは知るようになった。ふと思うのは、わたしは酒そのものが好きなのではなく、酒が提供される場でのみ許される、くつろいだ空気であったり甘やかな時間であったりが好きなのかもしれないということ。そしてその時間を共有できる相手がいれば、間に置かれるのはどんな安酒でも構わないのだろうということ。そしてそのすべてを、またすぐに忘れてしまうのだろうということ。

だったら何も覚えていなくていいし、覚えている必要もない。
それはなんて気楽なことだろう。

 そんなことを考えながら、予約してもらった洒落たビストロで、メニューの一番上から順に様々なグラスワインを頼んで愚にもつかないバカな話をしていたとき、最近すぐにいろんなことを忘れてしまって、具体的に思い出のエピソードを話そうと思っても、何もかもがあやふやなんだよね、と言うと、相手はわたしの好きな粗野な口ぶりで、マジで、それは、やばいね、と笑った。

目の前の相手とは「あやふや」という単語がしっくりくる関係を長いこと続けていて、自分が無意識にその単語を選んだことが、なんだかおかしかった。彼の気分も、考えていることも将来設計も、何もかもがいつもあやふやだ。そこにわたしの存在はない。彼の世界に未来や他人、という概念は、そもそも存在するのだろうか。彼が見ている世界は、常に今と自分しかなく、その瞬間その瞬間でがらりと気分が変わる。今日は右、明日は左、さっきは上で、今は下。あちこちぐるぐると振り回されて、生真面目なわたしは彼と同じ方向を見ていようとずいぶん努力をしたけれど、どだい無理な話だと解ってからは、もうすっかり諦めてしまった。

グラスワインを飲み干して、そういえば、と彼がつぶやいた。
あやふや、で思い出したけど、こんな歌詞の歌があるよ。

はっきりさせなくてもいい
あやふやなまんまでいい
僕達はなんとなく幸せになるんだ

どう、と聞かれて、へえ、知らなかった、いい歌だね、と言うと、相手が「だろ」と得意げに笑う。

あやふやなまんまで、なんとなく幸せになる。
そっか、それでいいのか、と思うと、心がすうっと軽くなった。

いずれにせよ、いま目の前で気分よくワインを飲んでいる男の名前もいつか思い出せなくなるのかもしれないと思うと、なんだか身軽な気分になった。実際、わたしはきっとすぐに忘れてしまうのだろう、だってすでに今この瞬間に飲んでいるワインの名前ですら、もう忘れてしまっているのだから、何をかいわんや、だ。

二度と戻らない今日のことも、いつか必ず思い出になるし、どんどん思い出を乗り継いで、振り返らずただ取り出して眺めるように何度も思い出す。冷凍保存を繰り返したみたいに出来事がぐしゃぐしゃになったら、今ここにあるこの感情の印象だけが残るのだろう。

そうしてあやふやな感情だけが積み上がり、ふかふかのベッドのようになったら、そこに横たわって眠ればいい。きっと素敵な夢が見られるに違いない、と思うと少し楽しみに感じられ、理屈や正しさや、何もかもがどうでもよくなった。そして目の前には、ただこの人と一緒にいたい、というあたたかい感情だけが残る。

 

何もかもがあやふやなままで、あやふやなままでいいから、ずっとこのままでいられればいいと思った。