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インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

2015年に読んだ本、忘れられない本 #読み終わった本リスト Advent Calendar 2015

 2015年は「死」にとらわれた1年でした。

 死について考えること、死にたいと感じること、諦めてしまいたいと思うこと。遠い世界のものであった「死」が、自分の生きている道の先にあるものだと実感できるようになったのかもしれません。そんな2015年に読んだのが、この3作です。

「星への旅」吉村昭
「岸辺の旅」湯本香樹実
「父と暮らせば」井上ひさし

「星への旅」吉村昭

星への旅

星への旅

 

 集団自殺をするため集った若者たちを描いた表題作「星への旅」の鋭利さはいうまでもなく、それ以外の作品も、心に深く深く刺さりました。冷たく硬く鋭いメスで、身体を切りひらかれていくような、身体の内側に風が吹き抜けていって、自分の肉体のどうでもよさを、乾いた外気にさらされるような、そういう作品集でした。

 水しぶきにぬれた岩が、急速に目の前にせまってきた。岩はいやなんだ、岩はいやなんだ、痛いからいやなんだ、圭一は身もだえし、顔をしかめた。
が、岩に叩きつけられる瞬間はなかなかやってこなかった。長い時間が流れたように思った。岩肌がせまった。かれは、岩を避けるために手を伸ばした。
 指先から掌へと、岩の粗い肌がふれてきた。岩の表面をぬらした海水の冷たさも鮮明に感じとれた。磯の濃い匂いが、鼻腔の中一杯にひろがった。

星への旅

こんな場面をよく描こうと思ったなという感嘆と、その想像力、描写に、ただひたすら、打ちのめされました。わたしたちは死ぬその瞬間まで生きていなければいけなくて、どんなにいろんなことを感じられたとしても、死が訪れたほんの一瞬後に、その感覚は、この世からすべて消えてしまう。なんて恐ろしい、さみしいことなんだろう。そう思うと、手が震えました。これ以外の作品もすべて素晴らしく圧倒的で、読み終えるまで、一瞬も気が抜けない一冊でした。

「岸辺の旅」湯本香樹実

岸辺の旅 (文春文庫)

岸辺の旅 (文春文庫)

 

 失踪してしまった夫と、その妻が彼の死後の道程をたどる物語です。ファンタジーのような設定ながら、ただ淡々と、夫婦が様々な街を訪れ、人と関わっていく。その過程を通して、夫についての知らなかったことを、残された妻が見つけていく。死者=夫を見送るための物語と読むこともできますし、わたしはこの「旅」を通じて、妻がもう一度、生まれなおすための物語のように感じられました。

 皮膚の膜をくぐり抜けたい。腕も脚も、どれが自分のものだかわからなくなっているのに、まだもどかしい。まだ隔たっている。汗に湿った敷布から逃れるように、畳の上に背を滑らせる。隔たりを越えてどこまでも行こうと、私は川を渡っている。橋もない、舟もない川を渡っている。橋もいらない、舟もいらない、ただ水に押し流されそうになりながら川を渡っている。川は川そのものが隔たりなのか、隔たりを埋める水が川なのかーーーどこへも行けない。戻ってきてしまう。このまま押し流されても同じこと。でもいっしんに、夕方の馬たちのように渡っている。

岸辺の旅 (文春文庫)

夫婦になり変容した愛は、どういった着地をするのだろうか、と考えたことがありました。ただの他人であった男女が家族になり、関係を構築しようとしたとき、男と女であること、また、共同体を営むパートナーであること、そのふたつは、どうしたら両立できるのだろうかと。

関係性、役割、使命、そして年齢。夫婦、という最小の共同体は、最終的に、どんな形になるのが、最も幸せなんだろうか。わたしは未だにその答えがわからないし、わからないまま死んでいくのだろう、とうっすら感じています。

「父と暮らせば」井上ひさし  

父と暮せば

父と暮せば

 

 本作だけ戯曲です。2015年は、人生で初めて能動的にお芝居を観ようと思って足を運んだ年でした。芝居でしか表現できないもの、というのを実感し、興味を持てたのは幸いでした。その中ですすめられた有名作で、映画化もされています。終戦後の広島、原爆で父親を亡くした主人公は、自分だけが生き残ってしまったことに負い目を感じて生きています。 

竹 造 おまいは病気なんじゃ。病名もちゃんとあるど。生きのこってしもうて亡うなった友だちに申し訳ない、生きとるんがうしろめたいいうて、そよにほたえるのが病状で、病名を「うしろめとうて申し訳ない病」ちゅうんじゃ。(鉛筆を折って、強い調子で)気持はようわかる。じゃが、おまいは生きとる、これからも生きにゃいけん。そいじゃけん、そよな病気は、はよう治さにゃいけんで。
美津枝 (思い切って)うちがまっことほんまに申し訳ない思うとるんは、おとったんにたいしてなんよ。
竹 造 (虚をつかれて)なんな……?

父と暮せば

 「岸辺の旅」と同じように、主人公は、淡々と死者である父と会話します。死、という出来事は、とても暴力的に、目の前の人との関係を終わらせ、無力さを思い知らせてきます。喪失は深い傷を残しますが、その傷も抱えて、この先も生きていかなければいけない。回避不能な困難に向き合わなければいけないとき、死んだ人をよりしろに、自分の心を代弁させ、ときに自分を擁護させた経験は、少なくない人があるのではないでしょうか。

わたしは未だに、心のなかで亡くなった祖母に話しかけることがあります。大人になってからの会話はさほどなかったのにも関わらず、です。自分の中の祖母、というのは、一つの偶像となり、心の支えになっていて、わたしを肯定し慰めてくれます。言葉少なな人だったし、大人になってからさほど自分のことを話した記憶もないので、完全にわたしの脳内補完で自分に都合のよい祖母像が仕上がっているのですが、そうでもしないと、とてもつらくて、生きていくことを諦めてしまいそうになるからです。

この戯曲では、主人公が様々なトラウマと向き合い、乗り越えるための過程が、会話、という形式をとって描かれています。もしかしたら、作中の「おとったん」は、主人公のことを、恨んでいるかもしれない。ゆるしてくれないかもしれない。それでも、残された主人公はどうにかして生きていかなければならないし、自分の中にくすぶる恐れや自責をねじ伏せなければ、やっていけない。

戯曲の最後、主人公は父の背中に「おとったん、ありがとありました。」と言います。このセリフにわたしは、それでいい、そうして生きていけばいいんだ、と、肯定されたように思えました。

最後に

 ということで、今年読んだ忘れられない作品3作でした。
ちょっと暗い感じになってしまいましたが、死を肯定して初めて生きることができる、という、ありふれたことを再確認したこともあり、この3作を選んでみました。

そして、この3作は、いずれも自分で見つけてきたものではなく、それぞれ、わたしのことをよく知る人が教えてくれたもので、そのこともまた、2015年のわたしを表しているような気がしてなりません。2016年もそんな1年になるといいなー、と思った次第です。

 

このエントリは「#読み終わった本リスト」のアドベントカレンダーの12/1分として書かれたものです。本日時点でまだまだ空きがあるので、ご興味あれば、ぜひご参加ください!

振り返りまくってたら年末感が出てきた!

 

 今日はそんな感じです。
 チャオ!