インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

「叱ってくれるひと」はいますか?

読みまして。

ちょうど「ない仕事の作り方」に感銘を受けていたところに来た対談記事だったので、イヤッホウという感じで読みました。

以前、JR中央線の「荻窪」という駅に住んでいて、そのとき読んだ、なにかの本に「みうらじゅん糸井重里から『中央線沿線に住んでるとブレイクしない』と言われて、中央線沿線から引っ越した」と書いてあるのを読んで、これはと慌てて三軒茶屋へ引っ越した思い出があるのですが(余談)、タモリにおける赤塚不二夫のように、みうらじゅんには糸井重里がいたんだなあ、というのが伺える対談でした。

ちなみに前述の対話は都市伝説かもしれないのであしからず。

 

対談自体はものたりないような、もっと聞きたいと思わせる余地をたくさん残した状態で終わってしまっていますが、いいなあ、というのは若かりし頃のみうらじゅんさんを、糸井重里さんがしっかり叱っているんですよね。それは怒鳴ったり上から押さえつけたりするわけではなくて、とても冷静に「それはだめだ」を示してくれている。

みうらじゅんさんが漫画より文章を頼まれるようになったとき、糸井重里さんが言ったこと。

みうら
 漫画を描かなくてすむから
 文章はとても楽で、
 当時のぼくはものすごく得意げだったんです。

 ある日、糸井さんに新宿のサウナに
 誘っていただいたとき、
 いつものように騒いでたら、糸井さんがとつぜん真顔で
 「みうら、いま、文章書いてるんだって?」
 と声をかけてくださいました。
 「あ、そうなんですよ。書いてるんです」
 と応えたら、
 「うん、おまえ、ダメになるな」
 と。

みうらじゅん+糸井重里 もともとなかった仕事をやっていた。 - ほぼ日刊イトイ新聞

それにはちゃんと理由があって、

糸井
 みうらは絵が描けて字が書ける。
 それがすごく大事だった。
 漫画をやめちゃったら、
 人の都合のいいとこで役に立つような
 ライターになっちゃうから、
 それはおもしろくないと思ってた。

みうらじゅん+糸井重里 もともとなかった仕事をやっていた。 - ほぼ日刊イトイ新聞

と、見ぬいていたんですね。

糸井重里さんの「ダメになる」という言葉が怖くてみうらじゅんさんは必死に漫画を描き続け、映画にもなった名作「アイデン&ティティ」を発表するわけですが、本当にうらやましい信頼関係だなと思いました。

ここでみうらじゅんさんが糸井重里さんの言葉を「しらねーよ」と思って楽な文章の方に流れていたら今の彼はないでしょうし、糸井重里さんが「まあこいつはしょうがねえな」と思ってなあなあにしていたら、あの名作が生まれることはなかった。
そこにはきっと「この人のセンスはすごい」という信頼がお互いの軸にあって、それを伝えることを諦めなかったから今があるんだなあ、と思うと、わたしにそんな人が今まで何人いてくれただろう?と、思わず過去をふり返ってしまいました。

 

年を重ねるごとに叱られることが減って、叱ることのほうが増えていくのはちょっぴり気楽でいいけれど、寂しくもありますね。

耳の痛い話でも、逃げずにちゃんと話してくれる友人を大切にしていこうと思ったのでした。

 今日はそんな感じです。

チャオ!