触れずに今日を終えようかとも思ったのですが、総括の意味も含めて。
関連して書いたこと
地震・災害がおきたとき「しない」こと3つhttp://d.hatena.ne.jp/hase0831/20110311
一ヶ月たって思うことhttp://d.hatena.ne.jp/hase0831/20110411
自粛と不謹慎と被災後の心理的経過メモhttp://d.hatena.ne.jp/hase0831/20110405
二ヶ月たって思うことhttp://d.hatena.ne.jp/hase0831/20110511
大人の千羽鶴、1年続きましたhttp://d.hatena.ne.jp/hase0831/20120311
わたしたちは大人にならなければいけない(思想地図β vol.2)http://d.hatena.ne.jp/hase0831/20110915
災害時のこころのケア手引き
東京都福祉保健局が発行している「災害時の『こころのケア』の手引き」から引用です。
被災者の地域における心理的経過
1 茫然自失期(災害直後)
・恐怖体験のため無感覚、感情の欠如、茫然自失の状態となります。
・自分や家族・近隣の人々の命や財産を守るために、危険をかえりみず行動的となる人もいます。
2 ハネムーン期
・劇的な災害の体験を共有し、くぐり抜けてきたことで、被災者同士が強い連帯感で結ばれます。援助に希望を託しつつ、がれきや残骸を片づけ助け合います。被災地全体が暖かいムードに包まれます。
3 幻滅期
・災害直後の混乱がおさまり始め、復旧に入る頃
・被災者の忍耐が限界に達し、援助の遅れや行政の失策への不満が噴出します。人々はやり場のない怒りにかられ、けんかなどトラブルも起こりやすくなります。飲酒問題も出現します。
・被災者は自分の生活の再建と個人的な問題の解決に追われるため、地域の連帯感は失われる場合もあります。
4 再建期
・復旧が進み、生活のめどがたち始める頃
・地域づくりに積極的に参加することで、生活の再建への自信が向上します。
フラッシュバックは起こりえますが徐々に回復してゆきます。
・ただし、復興から取り残されたり精神的支えを失った人には、ストレスの多い生活が続きます。
(PDF注意)
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/chusou/video/leaf.files/saigai.pdf
※PDFのアドレスが、サイトリニューアルに伴い変更されていたので、更新しました
二年たって思うこと
一年目、毎月11日を「大人の千羽鶴の日」として、毎月2千円ずつ、赤十字社に募金するという地味な活動をしました。毎月11日に足を運んで募金をすることで、忘れないでいられるようにしたい、と願いました。
二年目、一度募金をお休みして、今後はどこに寄付するか、もしくは寄付以外の方法で役に立てることはないか、考えなおしてみよう、と思いました。
そして今、思うのは、被災者とわたしに大きな違いはなく、本当に普通に暮らしている人たち被害にあってしまったのは何の理由も責任もない、単に住んでいる場所が違っただけ、ということです。
被害者だからかわいそう、でもなく、他人のことだから知らねえよ、でもなく、わたしだって当事者であったかもしれないという謙虚さを持って、この国の一員として、お互いどうやって助け合えるかを考えるべきだと痛感しています。
個人で様々な活動をされている方を見ました。
行動力や決断力は素晴らしいとおもいますし、そうやって動ける人が動くことで、周りの人たちへもポジティブな影響を及ぼして、復興への大きな原動力になるのだろうと思っています。
ただ、どうしても気になるのが、「それは『助け合い』ではなく、一方的な『施し』なのではないか?」ということ。
少なくとも、首都圏にいるわたしたちに大きな生活の変化はなく過ごせています。
衣食住が保障され、安心して眠ることができています。
自分たちの安全安心が保障されている、そういう人たちが、そうでない人たちを助けようとするのは当然のことで、それを否定しているわけではありません。
ただ、「その行動は、第三者を意識し、自分をよく見せるためのパフォーマンスなのではないか?」「何かを一方的に施すことで、優越感に浸りたいだけなのではないか?」と疑問に感じてしまう人も少なくありませんでした。
「しない善よりする偽善」とも言います。
確かに、何もしないよりは、何かしたほうがいいのかもしれません。
ただ、その対象となる相手は、わたしたちと同じ日本人で、普通の人で、一方的に哀れみをかけられたり、施しを与えようとすることで礼を失する可能性もあるのではないか、と、常に自省しながら、また一年を過ごして行きたいと思います。
ひねくれてるかな?
でも、そう思ってます。