インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

狂気はバランスする

 映画「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」などを手掛けた映画監督の大島渚(おおしま・なぎさ)氏が15日午後3時25分、肺炎のため神奈川県藤沢市の病院で死去した。80歳だった。連絡先は大島渚プロダクション。告別式を行うが日取りなどは未定。喪主は妻で女優の小山明子さん(こやま・あきこ、本名=大島明子=おおしま・あきこ)。


 1954年に京大法学部を卒業後、松竹大船撮影所に入社。主に大庭秀雄監督の下で助監督経験を積み、59年「愛と希望の街」で監督デビュー。若者の渇いた心情を荒々しく切り取った「青春残酷物語」(60年)などが若い世代に支持され、篠田正浩氏、吉田喜重氏らとともに「松竹ヌーベルバーグ」の旗手と呼ばれた。


大島渚さん死去 80歳、「戦場のメリークリスマス」|日本経済新聞


ご本人の人柄と作品は別物として、巨星墜つ、というニュース。
このニュースを見て真っ先に思い出したのが野坂昭如氏との殴り合い映像でした。

子供の頃みてたテレビでさかんに取り上げられて、「大人でもこんなふうに殴りあうんだ…」と幼心に刻まれたのですが、今、改めてみてみると、奥様である小山明子さんの落ち着きっぷりがすごい。


こんな間近で成人男性が殴りかかってくるのを目撃したら、ひるんで逃げてしまってもおかしくないのに、「あらあらオホホ」くらいの感じで二人の間に割って入るその度胸と余裕。
そして献身的に介護した夫を見送って(15日)、そして翌日(16日)に自身の舞台が初日を迎えるというめぐり合わせ。

 映画監督の大島渚さんが肺炎のため80歳で死去して一夜明けた16日、17年に及ぶ献身的な介護を続けてきた妻で女優、小山明子(77)が、都内で主演舞台の初日を迎えた後、会見した。大島さんの最期の言葉は、自分を呼ぶ時の「ママ」だったことを打ち明けた小山。涙ながらに「無事に舞台を務めたわよと言いたい」と今は亡き夫に向け、女優として再び力強く踏み出すことを誓った。(サンケイスポーツ


小山明子、気丈に舞台…大島さん最期の言葉は、自分を呼ぶ時の「ママ」|- MSN産経ニュース


なんかもうひたすらすごい。
そういう時代、そういう星のもとに生まれた人たちなんだな…と身震いしました。

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