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今日はこれ
「努力すれば夢は叶う教」の人たち
こういうのって個人的な感覚なんですけど、努力を前向きに捉えられるかどうかつて、自分の上の世代がどう生きてるかが影響するよなと思っています。
努力すれば夢は叶う教信者の世代って、きっとまだ「努力すればそれなりに報われた経験がある」んですよね。
それは必ずしも良い大学に行けるとか田園調布に家が建つとかだけではなく、大人になったらこうなりたいなあ、に近付けた実感を持てるというか。
うちの両親の世代もそうで、若い頃に「これから先は景気がよくなるしかない」みたいな空気の中でしか過ごしてきてないから、頑張れば就職できるし家も車も買えるし子供も2〜3人は持てるのになんで頑張らないの?みたいなことを素で言われて、わーこれはコミュニケーションできねえなあと思ったりします。
それと同じで、「報われることが前提で努力する人」もしくは「努力することを求めてくる人」って、報われることが当たり前な環境もしくは期待できる環境にいるんだろうなーと感じます。
それはなんというか価値観の相違なので、「お前の中ではそうなんだろうよ」と思って流すしかないんですけど、それとはまた別の話で、「報われないなら努力しても意味がない」みたいのは違和感がある。
見返りを期待してやるならやらないほうがマシ
見返り前提の何かって不毛っていうか不確かすぎて、そもそもやる意味がない気がするし、見返りがないからやりたくないと思うなら、それは無理してまでやんなくていいことなんじゃない、という感じ。
だってごほうびを期待して頑張ったのにごほうびがなかったら、ガッカリするじゃないですか。嫌なことガマンしたのにさらにガッカリするとか、何それつらい。
ただ、大人になったら生きて行かなきゃいけないんで、主に生活費を稼ぐために働く等やりたくないこともしなきゃいけないけど、それはまた努力とは違うというか、なんか、義務っていうか、仕方ないことですよね。
なので、まあ生きてくためにやんなきゃいけないことはやるとして、それだけでかなりダルいのに、さらに努力するとかってやりたいと思ってる人じゃなきゃ無理だし、まあ押し付けられて「そうだよね!やらなきゃ!」と思って奮い立てる人はやったほうがいいと思うんすけど、いやならやんなくていいし、やらない理由を説明する必要もないんじゃないかなー。みたいなことを思いました。
最後にまた親世代の話に戻るんですけど、景気がよくなる一方だったとはいえ、あの世代って「身の丈を知る」ことが当たり前だった人がまだ多かった気がします。
身の丈に合った理想を持って、それに向けて努力すれば、結果的に叶いやすいわけで、そういうのもあったんじゃないかなー。
となると、この議論ですれ違うときってもしかしたら「努力した先にあるゴール」にズレがあるのかもしれないですね。
今日はそんな感じです!
チャオ!