自己啓発本なんかによくある「他人を変えることは出来ないから自分を変えよう」みたいな言葉が、なんとなく腑に落ちないでいました。なんだかずいぶん乱暴だなあというか、相手に対して不満や怒りを抱いたとき、相手ではなく「そう感じる自分」がダメなのだ、と言われているように感じたせいかもしれません。
最近、教えてもらった言葉で、そのモヤモヤを解消するためのヒントになるかもしれない、と思ったものがあります。
O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.
アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーが書いた「ニーバーの祈り」という呼び名で知られている言葉だそうなのですが、大木英夫氏が日本語に訳されたものが以下です。
神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
「怒り」と「悲しみ」について、最近ずっと考えていて、怒ったりメソメソしたりすること自体の是非は別として、感情の動きとしてどうしても起こりうるものだとしたら、それらとどうやって付き合えば良いんだろう?というのをずっと探しています。
以前読んだ本に、
相手に対して感情が自動的に反応してしまうのを許しているということは、自分に対するコントロールを失っているということであり、言葉を換えれば、自分の感情は相手しだいでどうにでもなってしまうということになる。それはつまり、自分の感情をコントロールする力を相手に与えてしまっているということだ。
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という一節があって、自分の感情の主導権を相手に渡してしまっているから、他人の言動に振り回されたり過敏に反応してしまうのだろうなあと思っていたのですが、ではそうなってしまっていることを自覚した場合、どうしたらいいんだろう?という疑問への答えが、この言葉にある気がします。
変えられないものを受け入れる平静さと、
変えられるものを変えようとする勇気と、
その違いを見きわめることができる智慧、
この3つが揃って始めて、心に平穏が訪れるのかもしれませんね。