インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

まとめサイトにあがる美談に対しての違和感

ゲーセンで出会った不思議な子の話http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4077578.html

風俗行ったら人生変わった 完結http://hamusoku.com/archives/6301603.html

風俗嬢だけどおまえらがきた話するhttp://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51691964.html

ゲーセンで出会った不思議な子の闘病生活を支えたり、風俗で出会った女の子が苦労人でいい子だったから借金をうまいことして悪者の手から救ったり、お客さんとして出会った相手に過度に入れ込んで付き合い始めたりと、みんな人生波乱万丈ですごいなーと思うのですが、あれがフィクション/ノンフィクションに限らず、拭えない違和感があります。


相手の気持ちが置き去りっていうか、書き手の気持ちだけがグイグイ来て、「実話だとしても(むしろ実話ならなおさら)相手を美化しすぎじゃね?」という感じ。


もしゲーセンで偶然出会った不思議な女の子が闘病生活に入ったからといって、大学を休学して看病しに通いつめたりするのって、彼女は本当に嬉しかったんでしょうか。


デリヘルや風俗に「自ら望まず」身をやつした女性にとって、本当に必要なのは「超展開でその状況から救ってくれる誰か」だったんでしょうか。


自分の余命が残り僅かで、誰かと恋をして、その彼が自分の未来を犠牲にしてまで尽くしてくれたとして、本当に彼のことが好きだったら、そんなの喜べないですよね。
ちゃんと大学に行って、友達も作って、自分がいなくなった世界でも、ずっと楽しく幸せに過ごして欲しいじゃないですか。
「キミがいなくなった世界に意味なんてない」って言われて、嬉しいなんて思わないです。自分がいなくなっても、本当に好きな相手にはずっと幸せでいて欲しいし、もし新しい恋をしたらうまくいって欲しい。ずっと一人でいたら、心配で成仏できない。


また、自分の無知で借金を背負わされたとして、それを誰かが介入して解決してくれたとしても、本質的な解決にはなっていなくて、ふたたび同じ過ちを犯す可能性はあるわけで。
「そんなのボクがついているから大丈夫!」って思うのかもしれませんが、それって逆に「ボクがいないとキミはまた同じ過ちを犯すかもよ、キミはボクなしじゃ何もできないんだよ」って見下していることになりませんか。


自分に起きたことを文章にしてみることの大切さとか価値はすごく分かるのですが、もしああいった話が実話だとして、そういうことも振り返って考えてみてほしいなーと思ったりしたのでした。


あとどうでもいいですけど昼間に及川光博ライブDVD鑑賞会を催していただいて、解説付きでずっと観ていたらこの時間になっても未だ多幸感に包まれて世界に優しくなれそうな気持ちになっているので、みなさんも見たらいいと思いました。