インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

「るんるんパスタ」が怖い

Twitterで流れて消えていったのが気になって、Amazonで買ったらめちゃくちゃうまかった「るんるんパスタ」が怖い。ショートパスタを油で揚げて味付けしたものが小袋になってるものなんだけど、わたしがジャンクフードに求めているものすべてがある。ガリガリの食感、塩、油、ケミカルな味がたまらん。なんかわからんけどうまい。でもなんか身体によくなさそうな感じがビンビンする。

わたしはこのお試しアソートを買ったけど、これがまた意味がわからんくらいうまい。まず塩味、めちゃくちゃうまい。次にコンポタ。まさにコンポタ粉をまぶした感じの変哲もない味がうまい。そしてわさび。思ったよりちゃんとわさびのピリッと感があってうまい。そしてまたシンプルな味を求めて塩味に戻ってしまう……という恐ろしさ。

 

会社は京都にあって珍味などのおつまみの卸のようなのだけど、マジで情報がそれくらいしかない。関西の人にはおなじみの味なのだろうか。

www.sanko-foods.com

手のひらに乗るくらいの小袋になっているので、1袋食べて「このへんにしとこ……」と思いながらもう1袋食べてしまうのも怖い。もう「るんるんパスタ食べたいからビール買うか」まであるくらい怖い。たぶんどんなお酒にも合う感じがします。

今日はそんな感じです。

チャオ!

自分の人生に飽きたくない

いろいろ読みました。というかこのへんの話題、観測するメンツが似てきているので、もっといろんな人の文章を読みたい。みんなどこで書いているの。

どうせ俺らは早く死ぬ - phaの日記

生きに生きて40歳、俺らは結構長く生きた - シロクマの屑籠

『自由』が『虚無』と化した先の人生の生きがいについて(あるいは個人主義と共同体主義の狭間で) - 自意識高い系男子

いくつか読んだ感想をメモしておくと、わたしたち40代は、10代の頃に思っていたより長く生きたのだなあと思う。思春期をぎりぎりいっぱい延長できるほどもう若くはないし、喪ってしまったものも、たくさんある。

なにかに熱狂するエネルギーであったり、好き/嫌いに対する爆発的な感情みたいなものが年々なだらかになっていき、まさに「人生の秋」のような、しんみりした味わいが出てきたなあと感じる。

とはいえ、その喪失感にはまだ「みずみずしさ」があり、自由を持て余せるほどの健康くらいは、手元に残っている状態なのだろう。

 

わたし自身も離婚→再婚→妊娠・出産を経て、人生がSeason2に入ったなと感じていたこともあったし、確かになにかフェーズが変わった実感もある。人によっては、もっとこの変化が大きくて、子どもを持つことで「自分の人生の主役から降り、子どもが主役の人生の脇役になった」と意識が変わった人もいるだろう。

子どもを持っていなくても、仕事や人との関わりの中で、自分がメインステージに立つ時期は過ぎたな、と思うことがある、という話もよく聞く。最前線でバリバリ働く程の気力も体力もないし、むしろ後方支援として後進の育成に興味を持ったり、経験を活かす方に面白みを感じ始めたり、20代に混ざって夜の街で遊ぶのに、やや居心地の悪さを感じるときはないだろうか。正直、わたしはある。

 

以前、書いたように「人生がループしてきている」と思うことも多々ある。

悩みも苦しみも、だんだん似てきている。10〜20代の頃に感じていたことをまだ悩んでいるし、結局は人間関係とお金と健康のことでしか、足を止めて悩むことがないような気がしているのだ。

自分の書くものに飽きている - インターネットの備忘録

それでもわたしは自分の人生に飽きないために、なにかあるんじゃないか、ともがいている。子どもを産んだって自分の人生の主役はわたしだし、メインステージじゃなくたって、立派に歌い踊れるんじゃないか。自分の役目を果たせるんじゃないか。そんなふうに思って、その「役目」を探し続けているような気がするのだ。

 

そして幸運なことに、その「役目」を与えてくれる仕事(会社)に出会えたことも、これに気づくきっかけになった。今までの経験を総動員してぶつからないと乗り越えられない課題に立ち向かえるのは、つらくもあるが、幸福だ。わたしのようなタイプは、手なりの生き方でいると、どうしても同じ場所をぐるぐる回っているだけのような気になるからなのだろうと思う。

そういう意味では、仕事という環境が常に新しい知恵の輪を与えてくれて、新しい問題を解き続けていることで、わたしはまだ自分の人生に飽きずに済んでいるかもしれない。

そう、わたしはまだ自分の人生に飽きたくない。

もうこれから新しいことにワクワクしないかもしれないし、ドキドキしたり、体温や心拍数がパッと上がって高揚するようなことには遭遇しないかもしれない。そんなふうに思いながら生きるには、思ったより人生って長いんじゃないか?思うほど簡単に寿命って来ないんじゃないか?と思うようになった。

 

不思議なのだが、そう思うのと同時に「死ぬこと」をとても身近に感じるようになり、明日死んじゃうとしたら、あれもこれもまだやってなかったな、やっておきたいな、と思うことが増えた。

身近な人で亡くなるのは年上ばかりだったのが、同世代や、ともすると年下がいなくなってしまうのもぽつりぽつりと増えてきた。Facebookで元同僚の訃報を知ることも少なくない。ああ、あんなにパワフルだった人でも、急に死んじゃうことってあるんだな、と実感するようになったからなのだろう。

 

だったらもうヤケクソでいろいろやってみるのもありかもしれない、と思っている。phaさんが紹介していたクリトリック・リスはわたしもずっと好きで、何度もライブに足を運んでいるが、そのスギムさんは1969年生まれ、52歳だ。

52歳のおっさんが、パンツ一丁でピコピコ音に合わせて歌い、踊り、それが誰かを感動させている。わたしも感動した中のひとりだけれど、誰かがヤケクソでも何かに全身でぶつかっている様子はなんとも言えないおかしさとカッコよさがあり、中年でないと出ない味わいだろう。

 

その様を感動する側にいくか、感動させる側にいくのか、どちらになれるかは分からないけれど、その感情のふるえは現実にあって、もしかしたらわたしにもできることかもしれない。そんなかすかな希望をもって、まだもう少し生きてみようと思っているのです。

今日はそんな感じです。

チャオ!

社会人にとってメンタルヘルスケアは必須スキルになると思った話

coralcap.co

メンタルヘルスの不調は、決して“もろい”人たちだけに起こる問題ではなく、一流の起業家であっても普通に経験することです。

メンタルヘルスは事業持続性に関わるCEOの重要スキル | Coral Capital

この記事と記事へのリアクションをみて、メンタルヘルスの不調についての認識が変わってきているのを実感した。ちょうど先日、ALL YOURSの創業者である木村氏が退任、というニュースを見て、創業者でも辞めていいし、辞められる組織というのはとても素晴らしいな、と感じていたところ。

 

わたしはスタートアップの立ち上げ期・もしくは第二次創業期のタイミングで入社することが多く、そうでなくても事業部立ち上げのようなフェーズ、みんなが躁状態でないと乗り切れないような状況に飛び込んできたので、その中で心身の健康を損なう人を自分含めて複数見てきた。

そういう状況に陥ったとき、つい自分を責めてしまう気持ちは分かる。もっとやれたのではないか、自分が至らなかったのではないか、と思ってしまうほうが、手元の情報で想像できる「ありえた未来」の可能性が広がるからだ。

でも現実問題、そこに手が届かなかったのであれば、それは「ありえない未来」として割り切ることが必要だとも思う。また、自分には「できない」ことが「ある」と正直に捉え、まわりに周知していくのも大切だと思っている。

以前、こんな記事を書いた。

cybozushiki.cybozu.co.jp

「弱み」を隠すのは、トラブルのタネを隠すこと

わたしたち(たとえタフな状況にたえまなく立ち向かう一流の創業者だとしても!)には誰でも弱くもろい面があり、どんな人でも、ふとした瞬間に心が折れそうになることがある。でもそれは悪いことではなく、だからこそ見える世界があるだろうし、気付ける痛みがあると思うのだ。

ここで冒頭の話に戻るのだけれど、少なくともわたしが社会人として仕事を始めた頃に比べて、はるかにメンタルヘルスの問題は身近に、カジュアルになってきている気がする。それは時代の変化かもしれないし、多様性に富んだ生き方の普及による気づきがあったからかもしれない。わたしたちは工業製品ではなく、個別に生きている、でこぼこのある人間なのだ。当たり前のことなのだけれど、そのことを「言ってもいい」状況になってきたのを、嬉しく思っている。

では、そんなでこぼこのあるわたしたちがどうやって働き、生きていくかというのを考えていくと、弱さが「ある」という前提でタフな状況をどう乗り越えていくか、自分をどうセルフケアしていくかが社会人としての必須スキルになっていくのだろうと思っている。

時間をどうコントロールするかのTipsのように、メンタルヘルスケアをどう施していくかの様々なTipsがたくさん広まり、共有されたらいいなと感じている。時間はすべての人に平等だけれど、様々な時短・時間捻出テクニックで乗り越えられることもあるように、人間としてのでこぼこを、それぞれの人がどう乗りこなしているかを知るのは多くの学びがありそうだ。

投資家がメンタルヘルスを重視すれば、起業家は安心して予防や対応に取り組むことができます。起業家がメンタルヘルスを重視すれば、その会社の社員たちも長期的に安定したモチベーションとパフォーマンスの素地となるメンタルを構築できるようになります。

メンタルヘルスは事業持続性に関わるCEOの重要スキル | Coral Capital

そのためにこういった情報が発信されるのはとても素敵なことだと思うし、メンタルヘルスケアについて偏見のない投資家や起業家、経営者や働き手が増えるのは、良い連鎖を生むと思う。

 

ということで、最近の個人的おすすめコンテンツを置いておきます。

www.netflix.com

もしあなたが会社で従業員に対し何らかのケアを提供したいと考えているなら、こんなサービスもあるので検討してみてほしい。(手前味噌ですみません)

smart-sodanshitsu.co.jp

体験談はこちらからどうぞ。

note.com

つまらなくて美しい、ありふれたわたしの人生

jp.quora.com

10代の頃、母親と同じような人生は絶対に歩みたくないと思っていた。

専業主婦で2人の娘を持ち、働きに出るのはパートくらい、常に家に居て、子どもと夫の帰りを待つ。母親の口から父親や生活の愚痴が出るとき、それが冗談めかしたものであったとしても、幼いわたしにとってはとても心がざわつくもので、聞いているのが本当にいやだった。

自分にしかできないことを。世界を変えるような何かを。

そんなことを夢見て、学んだり働いたりしてきたけれども、実際、凡人である自分ができることには限度があって、それを認めるのにだいぶ時間がかかったように思う。結婚もそうだった。最初の結婚は、まだなんとなく夢を見ていた。結婚は生活なので、夢を見たままではうまくいかず、離婚した。そうして今の夫と出会い、自分の足の置き場のようなものが分かってからは、ぐんとパートナーシップが楽になった。

わたしは頼りなくてだらしない、ただひとりの女で、それを苦笑いでサポートしてくれる夫にたびたび小言をいわれるくらいが、ちょうど良かった。働き方もそうだ。フリーランスや時短勤務も経験したが、やりすぎてもやらなすぎても無理で、なんとなく「ここがちょうどいいな」という働き方があり、それは誰かと比べなくてもいいことだった。

結婚して離婚して、再婚して子どもをもうけ、会社員として働き、家族を養う。経済的に頼りない夫を支えるくらいのことはできるが、それ以外はからきし駄目で、我が家のハウスキーピングは夫なくして成り立たない。家事も仕事もフルパワー!というハイスペックなワーキングマザーには、到底なれなかった。

そんなことを考えながら今に目をやると、転職してもうすぐ3ヶ月、ほぼフルリモートで、毎日同じような日々を過ごしている。朝、娘を保育園に送り出してから始業し、あくせく働き、終業したら慌てて夕食の準備にとりかかる。家族で食事をする。まだ幼い娘をお風呂に入れたり寝かしつけたりしていると、あっという間に22時で、たいしたアウトプットもインプットもできないまま、インターネットを漠然とさまよって、眠りにつく。

なんてありふれた人生だと思う。

だが、わたしにとってはつまらなくありふれたこの生活が、何より美しい。

母親も、きっと同じだったのだろう。毎日は忙しく、苦しいことや悲しいことを乗り越えて、夫と家庭を守っていくのは簡単なことではない。実際、わたしの反抗期はすさまじいものだったと思うし、何度も両親と衝突した。それでも大切にされた記憶は、わたしの中からなくならない。その思いがいま、同じように子育てをしている自分を支えてくれているのだ。

 

これが生活なのだ、と思う。母親の生き方も、わたしの生き方も、それぞれの生活だ。生きた時代や価値観が違っただけで、母親も同じように、必死で生活を営んでいた。それは傍からみたらありふれてつまらないものかもしれないけれど、かけがえのないものだ。

生活は消費されず、大切に研磨され、輝きを増す。日々は人生という石を磨くための「やすり」のようなものだ。たくさんこぼれおちていくものもあるけれど、よく見ると小さくぴかぴかと光っている。

わたしの石はセレブやお金持ちと違って、ささやかな輝きかもしれないが、こぼれおちたものも含めて宝物で、誰にも渡したくないと思う。こうやって何かを大切にし、それを胸に抱いて年を重ねることが、生きていくことなのだと感じている。

 

大切にする「何か」は家族でもいいし、もちろん自分自身だっていい。誰に否定されるものではないし、見せびらかすものでもない。ああ、大切だなあ、としみじみ思いながら、日々によってそっと磨いていけばいい。

そんなふうにして、これからも生きていければいいなと思っている。

今日はそんな感じです。チャオ!

株式会社SmartHRに入社しました。または所属をあきらかにすることの功罪について

2021年9月1日より株式会社SmartHRに入社しました。コミュニケーションデザイングループに所属し、1人目のディレクターとして働くことになります。

今まで所属企業を明かさずに活動してきて、基本的に良い面ばかりだなと思っていました。所属企業の印象で自分のイメージを左右されることもないし、発言に気を使う必要もなかった。

そしてわたしが親しんでいたインターネットという文化は基本的に匿名(というかハンドルネーム)で、わたしはこのハンドルネームだけでどのくらいのところまで行けるのかを試してみたかったというのもあります。

でも今回の転職でいろいろと思うところがあり、何よりSmartHRっていい会社だな〜、こういういい会社もあるんだって知ってほしいな〜と感じたので、経緯とともに入社エントリを書いてみようという所存です。

なぜSmartHRに入社したのか

かんたんにまとめると3点です。

  • プロダクトに愛着を感じられたから
  • 働きやすさのサポートレベルが異様に高いと思ったから
  • 面接の体験が非常に良かったから

まずSmartHRがなんの会社かというと「全国4万社以上が登録するシェアNo.1のクラウド人事労務ソフト」をSaaSで提供している会社です。ということで前職に入社したときに雇用される側としてSmartHRを利用する場面があったのですが、本当に楽だった。

以前いた2,000人規模の大企業では、入社の際に3センチくらいある紙の書類が送られてきて1枚1枚目を通し、必要なものと不必要なものを振り分けて署名捺印して返送しなければならず、ペーパーワークが苦手なわたしは非常に苦行だったのですが、それがオンラインで完結してしまう、という体験は素敵なものでした。

わたしはインターネットを使って人の困りごとを解決したい、あわよくば生活の中に何か素敵なものを提供したい、という信念のもと20年くらい働いていました。なのでこの製品すげえ!こういう体験いいよね!と実感できていたSmartHRは、すでに面接前からプロダクトへの好意を持っていたのでした。  

働きやすさの面でいうと、オープンにされている会社紹介資料にもあるように、コアタイムなしのフレックス制、入社日にいきなり15日の有給付与(通常は「働き始めた日から6ヶ月以上」「期間中継続して8割以上出勤」した時点で10日の付与)というのは強力で、3歳の子どもを育てながら就労しなければいけない身としては、こんなありがたいことはないと思います。

単身社員にもメリットは大きいと思いますが、子育てしていると子どもの急病やケガなどで突然休まなければいけなかったり、朝ちょっとだけ遅れたい…お迎えで30分だけ抜けたい…みたいなのが頻発します。

そういうケースにも柔軟に対応するよ、という気概を感じて、うわーここいいな、ここなら時短制度なしでも働けるじゃん!と強烈に思いました。(ちなみに入社後1年は時短制度が使えません、みたいに在籍年数で制限をかけられる会社もまだ多い)

speakerdeck.com

最後の「面接での体験」なんですが、以前エントリーで書いたように、今回の転職活動では書類で落ちまくり面接でも職歴の多さや在籍歴の短さばかりを突っ込まれて、過去じゃなくてこれからの話しをさせてくれよと辟易していました。

hase0831.hatenablog.jp

そこへSmartHRでの面接は基本「どんなことができますか?」「これからどんなことがしたいですか?」というような、「現在」および「未来」の話が中心だったので、非常に印象が良かったのです。

また特徴的だったのが「前職の給与を聞かない」という面。正確には「現年収・希望年収を聞かない」というポリシーで採用しているという変わったやり方をしているのですが、これが個人的にはとても良かったです。

blog.shojimiyata.com

わたしは前職では立ち上げ期の超スタートアップにいて、イレギュラーな勤務体系&超時短という変わった働き方をしており、勤務時間の短さと会社のフェーズに応じて給与も前々職に比べると低めでした。(ちなみにそれでも充分検討いただいた額です!)

なので次の転職で「現年収がこれくらいなら、次はこれくらいで……」みたいに引きずられて低めの年収提示になるのは厳しいなと思っており、そういう意味では「現年収は聞かない。希望年収も聞かない。期待している役割にいくら払えるかだけでオファーします」というのは非常にシンプルで気が楽で、同時に「このくらい期待されているんだな!」と気持ちが引き締まるという意味でも、とても良かったです。

あと人事の人に「子育てしながら働いてる人ってどんな感じなんですかね〜」とポロッと伝えたところ、すぐに現場の働くママとの雑談面談を組んでくれたのも、めちゃくちゃ嬉しかったです。そういう細かく素早く動いてくれることが全般的に多く、候補者をとても大切にしてくれる企業なんだなと感じました。

で、ここから本題。

なぜいままで所属企業をあきらかにしていなかったか

これはインターネットという魑魅魍魎が跋扈するフィールドで活動する上で本名や所属を明らかにするのは相手に攻撃の材料を与えうるということでもあり、自衛のために公開しないという意図があったのですが、また1つ別の理由があったりもします。

わたしがブログを始めた前後、イケイケの上場ベンチャーから、友人が経営する小さな会社に誘われて移ったのですが、そのとき別の友人からこんなことを言われました。

「今まではお前の名刺を欲しがる人が列をなしていたかもしれないけれど、それはお前が会社の価値を背負っているから。転職して、何のネームバリューもない会社に移ったお前の名刺には何の価値もなくなる。その価値を作るのはお前だ」

酔ってたのでうろ覚えですが、まあこんなことを言われまして、なんかすごく悔しかったんですよね。わたしはわたしの実力や価値があって、会社なんて関係ない!と息巻いていたんですが、まあ実際は彼の言う通りでした。アポが全然取れなくなる(時間をもらえない)とか、ちょっとした相談に乗ってもらえなくなるとか。

そういう悔しい思いもあり、◯◯社の△△さん、というのから自由になった場所で、自分の意見や文章だけでどこまでいけるんだろう?と思ったのがブログを始めたきっかけのひとつだったりもしました。

そんな思いでブログを始めて13年、いろいろありましたが「はせおやさい」名だけで仕事をさせてもらえることも増えたし、ここでわたしがどんな企業に所属していたとしても「◯◯社のはせさん」と色眼鏡で見る人はごく一部だろう、という自信がついたのだろうと思います。

なぜ所属をあきらかにすることにしたのか

これは最初に書いたようにSmartHRいい会社だよ〜というのを表明したくなった、というのと、わたし自身が20年働いてきて、そろそろ社会人人生の折返し地点に来て、考えが変わりつつあるから、というのが大きな理由です。

20年働いてきて、思ったことが3つあります。

  • 自分のやった仕事のアピールは、ちゃんとしていく必要がある
  • それはオフラインの場に限らず、オンラインの場でも重要
  • さらに今後のキャリア(転職も含む)において、オンラインでの発信は必須になってくるのでは

ということ。

cybozushiki.cybozu.co.jp

この記事でも書いたのですが、やはり自分という個人がどんな仕事をしていて、どんなことをやったのかのアピールというのは、常にしておくと良いことがあるし、今回のようにお声掛けしてもらえるチャンスを増やしていくきっかけになりうるんですよね。

特にこれからは東京の企業以外からもお声掛けがあるかもしれないし、副業として関わることでわたしの能力がなにかの役に立つこともあるかもしれない。

であれば、ごく身近な人に向けてだけ「転職しました〜」と報告するだけではなく、インターネット上にも「こんなことしてますよ〜」をログとして残しておくのも重要なんじゃないかな、というふうに考え方が変わってきています。

みたいなことを考えていくにつれ、実験として、所属をあきらかにした上で、仕事や思ったことについてのびのびと書く、というのを両立できないかな、と思うようになりました。

「SmartHRのはせさん」として仕事について発信することで、会社とわたし自身、両方のいい面をアピールしていけたらいいな…と思いますし、そういう仕事ができるようにしていかなければ、という自分への宿題でもあります。

また、SmartHRも社内報をオープンにしているくらいのオープンさなので、そこに影響されている面もあるかもしれません。いずれにしろ、オープンにしてもいいかなと思ったタイミングに乗ってみるのは、そろそろやってもいいかな、と思っています。

note.com

ということで長々と書きましたが、まとめるとこんな感じです。

  • いい会社なので、入社したことを公開したくなった
  • 自分の名前で仕事ができるようになって、自信がついた
  • 今後のことを考えて、思い切って実験してみたくなった

これが功を奏するかは分かりませんが、いずれにせよ与えてもらった役割を全力で果たすべくやっていこうと思っておりますので、あらためてどうぞよろしくお願いいたします〜!

 

採用情報はこちらにまとまっていますので、ご興味があればぜひ!

smarthr.co.jp

今日はそんな感じです。

チャオ!

俺の屍を越えてゆけ

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丸まる猫(2021ver.)

本日お誕生日を迎えました。

もう人生の折返し地点を過ぎたのだ!と思う気持ちと、まだもう半分あるの!ヒェ~という気持ちの両方があり、大変。

 

直近でいうと、この間エントリーにもしたのですが、転職します。マジ大変だったけど、素敵な会社にご縁ができてよかった。気持ちは焦りましたが行動は焦らなくてよかったな〜と思っています。めっちゃ嬉しいです。

hase0831.hatenablog.jp

明日には入社エントリーを公開予定。今度は所属をオープンにして働こうと思っているので、その心構えを書きました。

 

あとは娘が無事に3歳になり、七五三の前撮りをしてきました。七五三、いろいろ見ていると「満3歳」でやるとかやらないとか諸説あり、本当は昨年やっても良かったのですが、コロナ禍でどうしていいか分からなかったので延期してしまっていたのを今年やった感じです。秋にちゃんとなんかお参りみたいなのをやる予定。

 

子どもが産まれると、行事ごとって思ったより多いな〜というか、きちんとやろうと思えば思うほど、たくさんやることが出てきます。なんだこりゃっていう行事もある。お食い初めとかね……うちはやりませんでしたが……。(一升餅はやりましたね)コロナ禍で人と集まりにくくなり、わたしの祖父母も全員他界して、親戚づきあいも減ったので、やるモチベーションが上がらなかった、というのもあります。

 

でもいろんな行事ごとの由来を調べていると、本当に昔は子どもが死にやすく、毎年を生き延びられただけでも、それはそれはめでたかったんだなと言うことがわかります。後付けの理由かもしれないけど、それでも「健康であれ」「長生きであれ」という祈りをビシバシ感じる。そう思うと、わたしも娘をしっかり守っていかねばという気持ちになって、引き締まりますね。(あとこの「娘」という呼び方も、これでいいのか迷わないこともないのですが、それはおいおい考えるということで……)

 

七五三の前撮り、けっこうなお金もかかるし自己満足だよな〜と思っていたのですが、娘は意外と楽しみにしていたようで、自分で選んだ和装とドレスを着て、ちゃんとお化粧してもらった姿は、とっても嬉しそうでした。子どもを産むのも育てるのも自己満足で、子ども側の都合おかまいなしにいろんなことを進めざるを得ないので、なんか「悪いね」という気持ちもあるんですが、その中でもしっかり自我を育み、あれが好きでこれはイヤ、をはっきり表明してくるようになったのはすごく面白い。成長〜!という感じがします。

 

あと夫との関係も、だんだん「両親」というロールが増えてきた気がします。友だちから恋人に、恋人から夫婦に、夫婦から両親に……という感じで二人の関係性が増えていくのは面白いです。そして子どものこれからについて話し合うとき、おのずとわたしたち夫婦の「これから」も語らざるを得なくなる。生活のこまごましたこともそうですし、どういうふうに生きて死ぬか、どうしたいか、みたいなことを話し合う機会が増えたので、こうして人間ってレベルアップしていくんだな〜というのを実感した1年でした。

 

執筆のお仕事も続けています。でもやっぱりわたしの軸足は会社員で、働く一人の人として考えたり感じたことを発信していきたいなと思っているので、ライターとかコラムを書く人としてそれだけでやっていくことはなさそうだな、と思っている2021年の夏でした。引き続き、お話をいただいて、お役に立てそうと思うものは引き受けていきたい所存。

 

あれですね、今年の誕生日エントリーを書くにあたり、過去の文章を読み返したんですが、暗いね。暗い。鬱々と考えてばっかりな人生ですが、それを書き残すことで誰かのためになれば嬉しいという気持ちは変わっていませんので、みなさんどうぞ俺の屍を越えてゆけという感じでひとつ、引き続きよろしくお願いいたします。猫も元気でやってます。猫はもう8歳だよ〜!

 

今日はそんな感じです。
チャオ!

ゴルジェ・イズ・ノット・デッド/2021年山の日によせて

2021年8月8日。一般的に大きな話題でいうと東京オリンピック2020の閉会式が行われるこの日に、GORGE.INから新しい音源が公開された。

日本のトラディショナルなセレブレーション・デイである「山の日」。
2021年の今年はスポーティな理由から「8月8日」となった。


「808」という数値で我々が想起するのは、もちろんROLAND TR-808である。数々のテクノ/エレクトロ・ミュージックを生み出したドラムマシーンの名器だ。
ただし、TR-808のエレクトロニック過ぎる響きは、ゴルジェという音楽から誕生から数十年の歴史において不遇の取り合いを受けたと言わざるを得ない。

 

舞台は整った。
2021年、808、山の日。
この日において、「TR-808×山×ゴルジェは可能なのか?」という問いの答えを出すブーティストが集った。

out.gorge.in

このブログでは2013年にこのエントリーでゴルジェを取り上げて以来、断続的に記事を書いてきたけれど、この数年は言及することもなく令和を迎え、そしてオリンピックイヤーである2021年を迎えることとなる。

hase0831.hatenablog.jp

新しい未知の音楽ジャンル「GORGE」がかかるメインイベント「ヤマノヒクラブ」はここ数年、2019年・小倉で開催、2020年はコロナ禍を受けてオンライン上で開催というように、時間と場所を超えて活動の場を広げてきていたけれど、コロナ禍が拡大し緊急事態宣言下でもある2021年のサプライズは、音源のみのリリースとなったようだ。

これはゴルジェエヴァンジェリストであるhanali氏の福岡移住が関与しているとかしていないとか様々な憶測があるけれど、GORGE.inのメンバーが様々なライフイベントを迎えたりコロナ禍での配慮があったりと、気軽に集えなくなった影響もあるだろう。確かにTwitter上を騒がせていた「ゴルい」という言葉も最近ではすっかり鳴りを潜めたような印象がある。

 

では、ゴルジェは死んだのだろうのか?カルト的熱狂はやはりクローズドな環境で、夜のクラブで、閉じられたオンラインコミュニティで、人々の口伝てでしか伝播することはないのだろうか?

だとしたら、ゴルジェは死んだのか?山は死にますか?風はどうですか?空もそうですか?おしえてください。…とさだまさし防人の詩』を引用するまでもなく、山は死なない。風や空が死なないように、山は死なないのだ。

ゴルジェにはGPLというものがある。

Gorge Public License。

  • タムを使うこと
  • それがゴルジェだと言うこと
  • それがアートだと言わないこと

この三つに準拠すれば「ゴルジェ」である、というものである。

この原則に沿うのであれば、「これがゴルジェだ」と言ってしまえば、すべてはゴルジェになる。タムを使い、これがゴルジェだと言い、そして決して「これがアートだ」と言わないこと。それであればどんな楽曲も「ゴルジェ」として内包してしまうアメーバ的流動性は、様々な楽曲を「ゴルジェ」の中に取り込み、様々な音楽を、ひとつの「ゴルジェ」として飲み込んでしまう恐ろしさもある。

この定義で思い出すのは、村上龍『コインロッカーベイビーズ』で描かれる主人公「ハシ」と「キク」の関係だ。コインロッカーに嬰児で捨てられた「ハシ」と「キク」は孤児院で出会い、互いに依存関係となる。その関係性は「肉体と病気の関係」として描写される。

キクとハシは肉体と病気の関係だった。肉体は解決不可能な危機に見舞われたとき病気の中に退避する。(文庫版 P.11)

 ここで言われる「精神」というのは歌の才能に長けるが精神的な不安定を抱える「ハシ」のことで、「肉体」というのは優れた運動神経を持つ「キク」のことである。

ふたりは1人であるかのように、互いに依存し、「ハシ」が大きな声で泣いたり怯えて震えたり叱られていないのに謝ったりする時、「キク」は表情を変えずにいつまでも「ハシ」の回復を待った。

「肉体」=フィジカル(物的リリースや物理的イベントの開催)が解決不可能な危機に見舞われたとき、病気の中に退避するとしたら。イベントが開催されない間にも熱病的流行は我々の精神の中に深く静かに進行しているのではないだろうか?

アンダーグラウンドなクラブシーンで密やかにしかし熱狂的に広がっていた「ゴルジェ」が、その「フィジカル」な場を奪われたとき、その熱狂はどこに身を潜めているのだろうか?

それが8月8日、東京オリンピック閉会式のスタートとともに、名機として評価されるTR-808(ローランド社が1980年に発売したリズムマシン)と、スポーティな理由で無理やり移動させられた「山の日」、そして「ゴルジェ」が掛け合わさったからというシンプルすぎる理由でおこなわれた新譜リリースに、関係してはいないだろうか?

 

 インターネットで「ゴルジェ」という単語を検索し、どんな音楽ジャンルかを知ろうとしたとき、多くの人はわたしのこのブログに辿り着くか、わけのわからない記事の山に出くわして面食らうことだろう。

知ろうとすればするほどわけがわからなくなり、知ってしまうと逆に誰かにこれが何なのか説明することが難しくなる。それはゴルジェがアートではなく、もしかしたら音楽ジャンルだからでもなく、呪いだからだ、というのは考えすぎだろうか。

 

TR-808×山×ゴルジェという化学反応が何を生み出すか、または何も生み出さないか。
このアルバムが答えだ。

out.gorge.in

 解答のないこの投げかけは、先に引用したコインロッカー・ベイビーズの最後のセリフと重なる。

聞こえるか? 僕の、新しい歌だ。(文庫版 P.562)

2021年山の日。刮目してこの瞬間を目撃せよ。

そう問いかけられているように思えてならない。