インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

ゴルジェ・イズ・ノット・デッド/2021年山の日によせて

2021年8月8日。一般的に大きな話題でいうと東京オリンピック2020の閉会式が行われるこの日に、GORGE.INから新しい音源が公開された。

日本のトラディショナルなセレブレーション・デイである「山の日」。
2021年の今年はスポーティな理由から「8月8日」となった。


「808」という数値で我々が想起するのは、もちろんROLAND TR-808である。数々のテクノ/エレクトロ・ミュージックを生み出したドラムマシーンの名器だ。
ただし、TR-808のエレクトロニック過ぎる響きは、ゴルジェという音楽から誕生から数十年の歴史において不遇の取り合いを受けたと言わざるを得ない。

 

舞台は整った。
2021年、808、山の日。
この日において、「TR-808×山×ゴルジェは可能なのか?」という問いの答えを出すブーティストが集った。

out.gorge.in

このブログでは2013年にこのエントリーでゴルジェを取り上げて以来、断続的に記事を書いてきたけれど、この数年は言及することもなく令和を迎え、そしてオリンピックイヤーである2021年を迎えることとなる。

hase0831.hatenablog.jp

新しい未知の音楽ジャンル「GORGE」がかかるメインイベント「ヤマノヒクラブ」はここ数年、2019年・小倉で開催、2020年はコロナ禍を受けてオンライン上で開催というように、時間と場所を超えて活動の場を広げてきていたけれど、コロナ禍が拡大し緊急事態宣言下でもある2021年のサプライズは、音源のみのリリースとなったようだ。

これはゴルジェエヴァンジェリストであるhanali氏の福岡移住が関与しているとかしていないとか様々な憶測があるけれど、GORGE.inのメンバーが様々なライフイベントを迎えたりコロナ禍での配慮があったりと、気軽に集えなくなった影響もあるだろう。確かにTwitter上を騒がせていた「ゴルい」という言葉も最近ではすっかり鳴りを潜めたような印象がある。

 

では、ゴルジェは死んだのだろうのか?カルト的熱狂はやはりクローズドな環境で、夜のクラブで、閉じられたオンラインコミュニティで、人々の口伝てでしか伝播することはないのだろうか?

だとしたら、ゴルジェは死んだのか?山は死にますか?風はどうですか?空もそうですか?おしえてください。…とさだまさし防人の詩』を引用するまでもなく、山は死なない。風や空が死なないように、山は死なないのだ。

ゴルジェにはGPLというものがある。

Gorge Public License。

  • タムを使うこと
  • それがゴルジェだと言うこと
  • それがアートだと言わないこと

この三つに準拠すれば「ゴルジェ」である、というものである。

この原則に沿うのであれば、「これがゴルジェだ」と言ってしまえば、すべてはゴルジェになる。タムを使い、これがゴルジェだと言い、そして決して「これがアートだ」と言わないこと。それであればどんな楽曲も「ゴルジェ」として内包してしまうアメーバ的流動性は、様々な楽曲を「ゴルジェ」の中に取り込み、様々な音楽を、ひとつの「ゴルジェ」として飲み込んでしまう恐ろしさもある。

この定義で思い出すのは、村上龍『コインロッカーベイビーズ』で描かれる主人公「ハシ」と「キク」の関係だ。コインロッカーに嬰児で捨てられた「ハシ」と「キク」は孤児院で出会い、互いに依存関係となる。その関係性は「肉体と病気の関係」として描写される。

キクとハシは肉体と病気の関係だった。肉体は解決不可能な危機に見舞われたとき病気の中に退避する。(文庫版 P.11)

 ここで言われる「精神」というのは歌の才能に長けるが精神的な不安定を抱える「ハシ」のことで、「肉体」というのは優れた運動神経を持つ「キク」のことである。

ふたりは1人であるかのように、互いに依存し、「ハシ」が大きな声で泣いたり怯えて震えたり叱られていないのに謝ったりする時、「キク」は表情を変えずにいつまでも「ハシ」の回復を待った。

「肉体」=フィジカル(物的リリースや物理的イベントの開催)が解決不可能な危機に見舞われたとき、病気の中に退避するとしたら。イベントが開催されない間にも熱病的流行は我々の精神の中に深く静かに進行しているのではないだろうか?

アンダーグラウンドなクラブシーンで密やかにしかし熱狂的に広がっていた「ゴルジェ」が、その「フィジカル」な場を奪われたとき、その熱狂はどこに身を潜めているのだろうか?

それが8月8日、東京オリンピック閉会式のスタートとともに、名機として評価されるTR-808(ローランド社が1980年に発売したリズムマシン)と、スポーティな理由で無理やり移動させられた「山の日」、そして「ゴルジェ」が掛け合わさったからというシンプルすぎる理由でおこなわれた新譜リリースに、関係してはいないだろうか?

 

 インターネットで「ゴルジェ」という単語を検索し、どんな音楽ジャンルかを知ろうとしたとき、多くの人はわたしのこのブログに辿り着くか、わけのわからない記事の山に出くわして面食らうことだろう。

知ろうとすればするほどわけがわからなくなり、知ってしまうと逆に誰かにこれが何なのか説明することが難しくなる。それはゴルジェがアートではなく、もしかしたら音楽ジャンルだからでもなく、呪いだからだ、というのは考えすぎだろうか。

 

TR-808×山×ゴルジェという化学反応が何を生み出すか、または何も生み出さないか。
このアルバムが答えだ。

out.gorge.in

 解答のないこの投げかけは、先に引用したコインロッカー・ベイビーズの最後のセリフと重なる。

聞こえるか? 僕の、新しい歌だ。(文庫版 P.562)

2021年山の日。刮目してこの瞬間を目撃せよ。

そう問いかけられているように思えてならない。

子持ち40代女性コロナ禍での転職活動マジきつかった

今日、内定承諾書にサインした。

9月1日から新しい会社で働くことになるのだけど、転職活動、マジできつかった。エージェント経由の応募では、書類選考で落ちまくった。たぶん30社くらい落ちた気がする。もっとかな。書類で落ちまくっていた数週間はネガティブ思考に陥り「今のキャリアを維持することは諦めたほうがいいのかも」と思いつめていた。

結果として「行きたいな〜」と思った会社へリファラル(中の人から紹介してもらって面接に進む)でお話が進み、これを逃すかと全力で取り組んでいたらトントン拍子で入社が決まった。

でも、今回の転職がなんとかなったのは、30代のうちに種を蒔いておいたことがポツポツとつながったからだなという感じがしたし、実際そうだと思う。

わたしの周りには30代の友人が多く、将来ミドル世代で転職することに不安を感じている人もいるだろうと思うので、率直に備忘します。

40代での転職活動、甘く見てた

ここ10年は基本的に「誘われて転職する」パターンだった。なので今の会社を辞めると決めてから、久しぶりに求人サイトに登録したりエージェントと話をしたりするなどの転職活動をしたのだけど、まず情報が全然ない。

正確に言うと、いい事業をしている会社だなと思うところはたくさんあるし、そういう意味ではいろいろ知ってるんだけど、その会社がミドル世代にどういう期待をしていて、採用したいと思っているかが分からない。

わたしのキャリアはネットベンチャーのディレクター職がメインなので、自然と次の会社もそういう界隈で探していたのだけれど、一般的に表に出ている情報は20代〜30代前半をターゲットとしている求人ばかりで、40代ミドル層の求人はあまり表に出てこない。ミドル層をターゲットにした転職サイトもあるけれど、経営幹部とか、営業部長とかの求人が多く、どうもしっくりこなかった。

そもそもコロナ禍で新しい求人を控えている企業も多いという。あれ?なんか昔やった転職活動とはわけが違うな?と、ここで最初の焦りを感じ始める。

書類がマジで全然通らず、焦って対策を始める

人から誘われて入社することが多かったので、あまり気にしていなかったけど、社歴が多いことをネガティブに捉えるエージェントが多かった。あと、子どもがいてまだ保育園で、朝の送りや夜のお迎えがあることを気にする人もいた。

時間の自由になる夫が代わりにやってくれるので、そこは柔軟に対応できます、と言っても「子どもがいる40代女性」のくくりに入れられて、時短じゃないと無理ですよね、と言い切られてしまうのはつらかった。リモートならフルタイムでもいけます、と言っても、難色を示されたりもした。

あと、マジで舐めてたな自分、と思って反省しているのだけど、職歴書の見直しが甘かった。前々回くらいの転職でレビューしてもらった職歴書に、最近の職歴を追加しただけで、全体を通してのストーリーが描けていなかったと思う。

要するに「キャリアに一貫性があり、フレキシブルに働けると理解しているのは自分だけ」という状態になっていた。柔軟に働けることは面接でアピールすればいいけれど、職歴書には載せられない。そのためにも「強い職歴書」を作らねばいけなかったのに、そこをサボっていた。

今振り返ってみれば「この書類じゃ落ちるよな〜」と思うけど、久しぶりすぎてピンと来ていなかったのだ。

自己紹介にはストーリーと背骨を通すのが重要

あまりに落ちまくるし、30代のときのようにあちこちから声がかかるわけでもない。さらにコロナ禍で人との交流が減っているので、転職意欲を伝える機会もほぼなかった。これはいよいよマジで対策しないとやばいかも、と思い、改めて自分の自己紹介を見直した。

40代で社歴が多いと、説明することも多くなり、定型文での自己紹介が難しくなる。「新卒で◯◯を経験し、キャリアアップを目指して転職、現職では◯◯として△△の業務を担当しています」みたいに端的に言えないので、もっと俯瞰で見た自分のキャリアをストーリーとして描き、背骨を通したプレゼンをする必要があった。

20年前、新卒で入った会社で身につけたスキルなんて陳腐化しているし、自分がアピールしたいのもそこではない。でも社会人として最初に選んだ仕事には自分の本質が現れているとも思うので、省かないけれど説明もしすぎない、もっとも重み付けするのは直近の仕事だけど、そこまでの積み重ねもちゃんと伝わるようにする、みたいな感じで自己紹介を改善して、練習していった。

なのでエージェントから「ちょっとこれ提案ズレてない?」と思う求人が来ても、話してみてくれるならなるべく会って、自己紹介の練習を重ねた。

リファラルには全力で飛びついた

上記の理由と同じで、あまりマッチしていないんじゃないかな?と思うポジションでのリファラルが来ても、断らずにどんどん会うようにしていた。

話していくうちに「あー、やっぱり合わないかな」と思っても、相手のリアクションで自分のキャリアのどんなところが企業の採用担当にとって興味をひくのかが分かるし、いつどこでどんなめぐり合わせになるか読めないのだから、基本、全力でアピールすることにした。

結果、正社員として迎えるのは難しいけれど、単発のライティング仕事があれば依頼したい、みたいな感じでつながることもあったりで、何がどう転ぶかはわからないなと思った。

とはいえ、リファラルでもまず書類選考から……という企業もあったし、「カジュアル面談です」と言われたのにいきなり「志望動機は?」と聞かれてガックリ来ることもあった。スカウトとして連絡が来て色々対応したのに「すみません、やっぱりもっと若い人を採ります(意訳)」と言われてムキーッとなったこともあった。

要するに、30代のときの転職よりむちゃくちゃ時間がかかった。コロナ禍で派手に採用しているところが少ないというのもあるし、マネジメント制度の見直しタイミングで、ミドル世代の採用まで手が回らないという会社もあったように思う。

「40代の転職は、準備に時間と金をかけろ」

そんなこんなで諦めかけていたところに、薄い交流のあった人からFacebook経由でお声をかけてもらう。その方も転職したばかりだ、というその会社は、1年以上前、人づてにカジュアル面談で訪問したことがあった。

事業にも会社にも好意を持っていたので、再度カジュアル面談から……という話になったのだけど、人気企業だというのも知っていたので、半ば諦めモードだった。

しかしカジュアル面談でいろいろ話を聞くうちに、懸念だったポイントがクリアになり、現場的には育児と仕事の両立も当たり前、自由に柔軟に働けて当たり前、という感じだった。むちゃくちゃ良い会社じゃん、と感じ、この会社に入りたいな〜と思うようになった。

 

ここでこの記事を目にして、あっ、そうだよな、と気付く。

zunzun428blog.hatenablog.com

つまりは30代後半40代の転職は、

「自分を信じるな。準備にめちゃくちゃ時間と金をかけろ」

ということなんですよ…。

ここ大事なので、100回くらい読み返してほしい。

本当に本当に、自分は自分のキャリアに自信を持って、ありのままでいけると思っていても、そこを信じずに、準備に時間と金をかける。これに尽きると思う。

わたしは幸いに金をかけずに済んだけど、これに気付くまで、すごく時間がかかってしまった。たぶん半年以上転職活動をしていたと思う。この期間、経済的にも不安でしんどかったし、精神的にもしんどかった。

必要であればキャリアコーチングなどに金を払って、第三者の目から自分のキャリアを客観視するほうがいい。そのほうが時間を少し短縮できるのではないかと思う。

エピソードを取捨選択し、物語を作ろう

ということでカジュアル面談を経て「絶対にこの会社に入りたい」と思ったところで、職歴書と自己紹介を全部やり直すことにした。

まず自分のキャリアを振り返って、わたしはこういう人で、こういう人生を歩んでいて、こういうことができる、そして、こういうことがしたい。それをいかにわかりやすく言語化して伝えるかの練習をした。

自己紹介は、長くても3分だと思う。3分でわたしのこの20年を、相手が理解して納得し「この人と働きたいなあ」と思えるような形で説明しなければいけない。ここはめちゃくちゃ時間をかけて考え、ある結論に至った。

具体的には、「1社目ではこういうことをして〜」という説明方式を捨てた。

「学生時代に何を学び→それを社会でどう活かそうと考えたか→それをどう発展させてきたか→そのスキルを貴社でどう活かしたいと考えているか」というサマリで語るようにして、各社であげた実績は、聞いている側を飽きさせないためのエピソードとして入れた。

はっきり言ってわたしの20年を3分で語るのは無理だ。でもこうしてブログを書くように、相手が興味を切らさないようエピソードを取捨選択し、話す流れを作ることはできる。そうやって自己紹介を練り上げて、思い入れがあっても引きが弱そうなエピソードは捨てまくり、濃厚特盛みたいな自己紹介を作った。

その自己紹介を裏打ちできるように、職歴書も始めから書き直すことにした。これは結果的に良かったように思う。

職歴書に自分の実績を書いて、そこから自己紹介を起こそうとすると、どうしても読み上げっぽくなってしまう。そうではなくて、まず自分の物語を描き、その詳細説明として職歴書を作っていくことで、読み通せるものになったと思う。

 

最終的な見直しには、こちらのnoteも参考にした。

note.com

note.com

今回わたしは時短での転職ではない(スーパーフレックス制なので)けれど、パイが少なく、求職者から人気のあるところでも戦える職歴書の書き方、という意味ではとても参考になると思うので、ぜひ一読してみてほしい。

「そういえば……」で運命は変わる

こうしてなんとか面接を突破し、内定承諾まで至ったわけだけれども、何がどういうご縁をつなぐかって、本当に本当にわからないなと思った。

今回の転職でいうと、わたしの活動を見てくれていた人が「そういえば……」と思い出して声をかけてくれ、転職活動で四苦八苦していたところ「そういえば……」と読んだ記事を思い出して対策を見直し、なんとか内定にこぎつけることができた。

転職はタイミングや運も大きい。でもその運を掴むための準備は、自分がしておかないといけないんだなと思う。わたしがずんずんさんの記事を読まずに(読んだとしても)対策せずボーッとしていたら、今回のリファラルもチャンスを逃していたと思うし、準備万端であっても、そもそもお声掛けをしてもらえなかったら、面接のチャンスにもたどり着けなかったのだ。

そういう意味では、3年前に書いたこの記事のような意識で動いていてよかったと思う。

cybozushiki.cybozu.co.jp

このときは「個」として活動するために、やった仕事の広報活動はちゃんとしたほうがいい、という思いでいたけれど、実際に3年たって、その活動が実ったのが味わい深い。

入社する前からあれだけど、会社が事業転換をして自分の方針と合わなくなったり、自分の家庭の状況が変わったりして、また仕事を変える必要があるかもしれないのだ。そのためにも、自分が今こういうことをしていて、こういう活動に興味がある、というのは、今後も引き続き周りの人にアピールしておいたほうがいいのかもしれない。

最後に

ということで長かった転職活動を振り返ってみたけれど、本当に大変だった。大変だったけれど、自分のキャリアを見通せてすっきりしたし、好きな相手と両思いみたいな感じで転職することができるのは、本当にうれしい。

あと20年とか30年とか働く上で、また社会情勢が変わったり、わたしの興味軸が変わったりで、会社を移りたいときが出てくるかもしれない。そういうときに、不満を言いながら同じ会社に居続けるのではなく、自分のキャリアに自信を持って、新しい場所を選べるようにしていたい。

そういう視点からも、今回の転職活動で描くことができたわたしの物語というのは、意味があったように思う。この物語に継ぎ足し継ぎ足しで、秘伝のタレのように、また新しく素敵な物語を作っていこうと思っている。

新しい場所を選ぶ、というのは本当に大変だ。それは独立かもしれないし、また転職することかもしれないけれど、そのときそのときの納得感を大切にしていきたいなと思う。

「納得はすべてに優先する」

本当にそうだと思う。

 

今日はそんな感じです。

チャオ!

自分の書くものに飽きている

結局みんなキャッキャウフフしたかっただけなのか - phaの日記

読んだ。そう言われればそうかもしれないし、それはあとからくっついてきたおまけのようなものだと言えばそんな気もする。

ブログを熱心に書いていたときのモチベーション、いま思い返すと「誰かに読まれる」ということは間違いないんだけど、その「誰か」は他でもない自分自身だったのではないかと思う。

自分が考えたり経験したことを言葉にして外に出し、冷静に読み返すことで得られたものがたくさんある。それは自分の視点だったり思考の癖だったり、要するに「自分を他人として眺められる方法」で、個人的に人生を生き抜く術として有効だった。その方法を身につけることでたくさん救われたし、同じ視点をもつ人と意見を交換するのは、とても楽しかった。

まとまった文章を書くのって難しくないか?

一方で、この増田に書かれている内容も、よくわかる。

素人同士が長文で意見ぶつけ合って何が生まれんだよ

ブログでトラックバックを送り合うというのは、議論がものすごく発展する、というよりは、それぞれがそれぞれの考えを持ち寄って見せ合って楽しむ、というのに近かったかもしれない。そのぬるさが心地よかったし、見知らぬ人の「自分はこう思うんだけど」がじんわりと集まってくるのは、楽しかった。

それを「キャッキャウフフ」と表現するならそうなのかもしれない。でもその「キャッキャウフフ」に参加するには、自分の中から言葉を絞り出して文字に落としていかなければいけない。ブログでの意見交換というのは、それを踏み越えられる人同士だったから通じる何かがあったようにも思う。

 

じゃあお前は何で今も旺盛に書いていないんだよと言われると苦しい。特にわたしはツイッターとブログが合流したタイミングでブロガーとして少し注目してもらえたこともあり、ツイッターでの短文発信が主流になったから、ブログのような長文発信が下火になったとも感じない。

最近自分で思うのは、人生がループし始めているなということ。悩みも苦しみも、だんだん似てきている。10〜20代の頃に感じていたことをまだ悩んでいるし、結局は人間関係とお金と健康のことでしか、足を止めて悩むことがないような気がしているのだ。

結婚して離婚して、また結婚して子供を産んだだけだから、これから親の介護や死、大きなお金の移動やトラブルを経験していく過程で変わっていくかもしれないとはいえ、何かを感じてブログに書こうと思ったとき、過去の自分がすでにそれを書いていたりする。

そして今の方がテクニック的に当時よりは少しマシな対処ができるようになっていても、芯の部分は大きく変わっていないので、あまり言いたいことも変わっていなかったりするのだ。

これはかなりつまらないことで、自分でも「こいつ毎回似たようなこと書いてるな」と思うのはうんざりする。もちろん寄稿など求められて書く文章で似たようなことを書くぶんには違和感はない。でもここのブログはわたしの現住所のようなもので、過去の履歴も見ることができ、何よりそれを1番知っているのは自分なのだ。自分で自分の書くものに飽きている。長く住んだ家のようなもので、あれもこれもわたしが自分で探して選び、置いたものだらけだ。心地よいし安心するが、新鮮な刺激はない。これがわたしが書く頻度を落としてしまった理由なのではないかと思う。

とはいえ、新しくわたしを知ってくれた人に過去の履歴を参照するよう強制するわけにもいかない。今の自分が自分の人生で1番経験豊かなのだとしたら、それを書き残さない手はないとも思う。そう思いつつ、日々の子育てやら仕事やらに追われ、自分のための文章を書く時間をあとまわしにしてしまっているのは、やはり「飽き」が大きいような気がしているのだ。

 

何か新製品を見つけてレビューしたり、ノウハウをシェアするタイプではなく、自分の中で煮詰めた考えを文章にしていくタイプのブロガーは、この問題にどう対処しているのだろう。そう思ってネットを彷徨っても、ピンとくるブログに出会えなかったり、そもそも彷徨う時間が取れなかったり、書かない言い訳は山ほど出てくるので、それは次までの宿題としておこうと思う。

 

今日はそんな感じです。チャオ!

blog.hatenablog.com

猫と子

2013年に猫を引き取ってから、もう8年になる。体も小さく、目と足の悪い子猫はなかなか貰い手がつかなかったようだ。が、最終的には我が家に腰を落ち着けた。その後、わたし自身が離婚をしたり、再婚をしたり、海のそばへ引っ越したり都内へ戻ったり、妊娠して出産したりと、慌ただしい人生を送っていた間も、猫はずっとわたしの家にいた。

心配していた片目の濁りは生活するぶんには困らず、弱々しかった後ろ足はすっかり丈夫になった。たいした病気もせず、今年で8歳になる。雄猫だからなのか、体格がどっしりとしており、なんだか貫禄がある。そういう生き物が我が家をうろうろして、妊娠で腹が出っぱったり突然現れた赤子に振り回されているわたしを求めて、にゃあにゃあと鳴く。

 

さて一方の子は、今年で3歳になる。猫を連れて再婚した夫との間にできた娘は、高齢出産で産んだせいか、めっぽうかわいい。2歳になる前に入れた保育園は大正解で、保育者や同じクラスの子どもたちの影響を受け、子はぐんぐんと成長を見せた。

ふにゃふにゃと柔らかくただ泣くだけだった生き物が、歌ったり踊ったり、生意気な口を聞くようになったのだ。これは本当にものすごい成長で、わずかにあった「子を預けて働くこと」への罪悪感は、あっという間にふきとんだ。

 

さてこの子と猫との関係はというと、一定の距離感を保ちつつ、猫のほうが子に寛容に対応している印象である。赤子は容赦がないので、ソファの上でくつろぐ猫の隣に座らせたりすると、むんずと毛を掴んで大喜びしている。

猫はじっと何かを考えるようにしばし硬直したあと、するりとどこかへ行ってしまう。毛を掴まれて嫌なわけがないと思うのだが、後から来た生き物へ、それなりに配慮をしているのかな、と感じることもある。

 

その1人と1匹の間に、最近ちょっとした変化があった。

娘が猫に餌をやることを覚えたのだ。

 

親が両方とも、決まった時間になると何やらザラザラと音のするものを皿の上にあけて猫を呼んでいる。猫はいそいそとそれを食べている。その様子が楽しそうに見えたのか、あるとき「ザラザラッ」という聞き慣れた音に驚くと、子が猫の餌を皿に出してやっていた。

猫には決まった時間にごはんをあげることにしているから、これからは黙ってあげちゃだめだよ。そういうと子は神妙な顔をしてうなずいたが、それ以降、猫に餌をやろうとすると「◯◯ちゃん(自分のこと)があげるの!!!」と言って怒るようになった。

 

量さえ加減して渡せば、皿にごはんをあけることくらいは任せてもいいだろう。そう思って、時間になると「猫にごはんあげたい人!」と呼びかけるようにした。呼びかけられた子は「はい!」と立ち上がり、猫の餌場へやってくる。やってきて、ザラザラとごはんを皿にあけたあとは、対して興味も示さず自席へ戻る。

 

あれ?もしや、子は猫に餌をあげたいのではなく、この「ザラザラ」がやりたいだけなのでは?


そう思わないこともないが、ほんのたまに、餌を食む猫のとなりにしゃがんで、その様子を観察する微笑ましい風景もある。背中を丸めて餌を食む猫と、同じように背中を丸めてその様子を観察している小さな娘。なかなか悪くない風景である。

うちの猫があと何年生きるかはわからないし、わたしも何歳まで生きるかはわからないけれど、まあこの1人と1匹の間に何かが生まれたり生まれなかったりする様子を眺めることはできるだろう。

 

人生にひとつ楽しみが増えた、と思う。子の成長も楽しみだし、猫の変化も楽しみだ。家に生き物がいる、というのは、そういう小さな楽しみの積み重ねが増える、ということなのかもしれないな。そんなことを思ったのでした。

 

今日はそんな感じです。
チャオ!

20201225

  • 7時半起床。
  • 朝起きて、娘にクリスマスプレゼントを渡す。
  • というか「サンタさんが置いていってくれたよ!」というテイで渡す。
  • メインのプレゼントよりおまけのシールブック(100円ショップで買った)に食いつきがよく笑ってしまった。
  • 昼ごろ、チキンの下ごしらえをしておく。
  • 通院後、買い物を済ませ帰宅してチキンの準備。夫がスパークリングワインと白ワインを買ってきてくれた。
  • Mステを観ながらワイワイ晩ごはん。
  • 晩ごはんはローストチキン、きのことじゃがいものソテー、サラダ、バゲット
  • 無事クリスマスを迎えたので、日記は年明けまでまでお休みしようと思う。
  • みなさまよい年末年始をお迎えください。
  • クイックジャパンの最新号に夫が構成をした対談が載っているので、よろしければぜひ。
クイック・ジャパン153

クイック・ジャパン153

 

20201224

  • 8時起床。
  • 午前中、仕事で嫌な知らせが届いたので何もかも嫌になり、昼も夜も外食。材料は買ってあるので、クリスマスのごちそうは明日作ることにした。
  • 外食帰り、ケーキを買ったら娘がどうしても持ちたい、というので持たせたところ、天地をひっくり返す勢いの落とし方をして笑ってしまった。
  • ちなみにそのあともう一回落とした。
  • 帰宅後、崩れたケーキを食べ、口直しにいちごを出し、「サンタさんがくるよ」と言って寝かしつける。
  • クリスマス、子供のためという口実で親が親っぽいことをやるイベントな気がする。なにしろ子供の驚いたり喜ぶ顔を見たいのだ。
  • 娘へのプレゼントは明日の朝に渡す予定。楽しみ。

20201223

  • 8時起床。
  • 夫とお昼を食べに出たら、ご近所さんと偶然会って立ち話。こういうの、最近なかったな〜。
  • 彼女がもうすぐ出産なので、うちの子のお下がりをあげたときに手紙を入れたのだけど、手紙の返事を書いたので、今度また取りにきて!という話をしてバイバイした。
  • 年内最後の歯医者。まだ小さい虫歯があるので、年明けまで治療を持ち越してしまった。歯医者は頻繁に通うべき。反省。
  • 晩ごはんは娘のリクエストでオムライス。あとは昨日の残り物と、ブロッコリーを蒸したもの。
  • 午後にスーパーへ行ったら、鶏肉のコーナーのケースがバンバン空になっておりクリスマスを感じた。あと、いちごが200円ほど値上がりしていた。
  • かまぼこはまだ98円。お正月に向けてそろそろ値上がりするかな?
  • Netflixで映画『RBG 最強の85才』を観た。元気の出る映画だった。
  • ギリギリで届いた娘へのクリスマスプレゼントをラッピングして、押し入れに隠した。渡すのが楽しみ。
RBG 最強の85才(字幕版)

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  • 発売日: 2019/12/03
  • メディア: Prime Video