インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

『週刊じゃらん』さまにて小説「風に吹かれて 3人の私」を寄稿しています

2020年、いろいろありますがお元気ですか。だいぶ間が空いてしまいましたが、夫も娘も猫もわたしも元気にやってます。もう8月なのでお誕生日月なのですが、40回以上もお誕生日をやってると、いろんな思い出があっていいですね。

 

さて、『週刊じゃらん』さまにて小説が公開されているので、お知らせです。

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表紙はこちら!

アプリ内でしか読めないので、これを機にぜひダウンロードしてみてくださいませ。「九州」棚にてご覧いただけます。全3回、毎月第3木曜日に更新です。

週刊じゃらん|日本の行きたいが見つかるアプリ

 

ちなみにわたしは第2シーズンで、第1シーズン「風に吹かれて 彼と私」はあかしゆかさんが執筆されています。こちらもとても素敵な小説なので、あわせてどうぞ!アプリ内の「テーマから探す」の中から読むことができます。

 

今日はそんな感じです。チャオ!

「頑張りすぎ」は後ろめたさの裏返し?

久しぶりに寄稿しました!

cybozushiki.cybozu.co.jp

今回はサイボウズ式の特集に参加させていただきまして「そのがんばりは、なんのため?」について考えてみました。

テーマからは「無駄な会議や無駄な頑張り」を連想したのですが、あれ?そもそも無駄な頑張りって、なぜ発生するのだろう?というのが最初の発想でした。

そこから我が身を振り返ってみると、もしかしたら「頑張りすぎてしまう」というのは、自分の実力の足りなさが後ろめたくて、ついつい時間労働や無理をしてしまう方に比重をかけがちなのかも。でも、それって本質的な解決からは遠いんですよね、みたいなことを書いています。

ブロガーズコラムは連載が始まってからそこそこ長いんですが、間が空くこともありつつ、企画ベースで参加させていただいています。これからもこんな感じでのんびりした連載になるとは思うんですが、引き続き見守っていただけると嬉しいです。

 

感想などもTwitterでつぶやいていただけると幸いです!

今日はそんな感じです!

チャオ!

最近のこと(5月下旬〜6月上旬)

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娘、登園再開

緊急事態宣言が解除され、娘が保育園へふたたび登園しはじめた。やや人見知りをしているようだけれど、大泣きすることもなく毎日元気に帰ってくる。自宅保育でずいぶん言葉をしゃべるようになったので、保育園でうるさくしていないか心配だけれども、元気が一番だ。

仕事は引き続きリモートワークで、もしかしたらこのままオフィスを持たない会社になるかもしれない(いまは関連会社のオフィスに間借りしている)という。めっちゃ面白い。オフィスは持たないけれど、週に1回とか、2週に1回くらい集まって議論できる場はあるといいですね、という感じで話をしていて、ますます面白い。メンバーのことは大好きなので、オンラインでも議論や雑談が活発だけれど、たまに会って話せたら、もっと楽しいだろう。

リモートワーク万歳

20代の頃から満員電車が苦手で(得意な人はいないだろうけれども)あの狭い箱に押し込まれながら会社にたどり着くまでで、その日の体力を使い果たすような気がしていた。知らない人と身体を密着させるのも嫌だったし、以前、空いた車内でビジネス系の雑誌を読んでいたら、40代くらいの知らない男性に「生意気にそんなの読んでるんじゃねえ」と怒鳴られたことがあった。知らねえよ、と思ってそのときは車両を移動したのだけれど、あとから「見知らぬ人に言いがかりをつけられて怒鳴られる」というショックがじわじわと効いてきた。それ以来、ひとりで電車に乗るときは周りを見回し、常に遠慮がちに乗らなければいけないのが嫌だった。

通勤がなくなるだけで、就業前後の1時間ずつが空くのも良かった。余裕があれば早めに始業できるし、娘が休園した日や家事が立て込んでいる日などはその1時間でかなりのことができる。自分の身支度は簡易的で良くなったので、娘の食事を急かさなくて済むようになったのも嬉しかった。

帰宅ラッシュに揉まれることもなく、終業したらすぐに家のことに取りかかれるし、疲れていたら夕食の支度まで少し横になって回復を待っても良い。そういう意味で、今回の緊急事態宣言後、いわゆる「withコロナ」時代の働き方は、わたしに合っているように思う。

週末は韓国語ばかり聞いている

週末の過ごし方でいうと、娘の保育園が休園中はただひたすらに疲れてぐったりとしていたけれど、6月に入って娘が登園し始めてからはかなり精神的に楽になり、ドラマ視聴や読書の余裕が戻ってきた。

ということで夫と『梨泰院クラス』と『愛の不時着』を観はじめた。

『梨泰院クラス』は2話まで観終えてから足踏みしてしまっているけれど、『愛の不時着』はハマった。チョロいほど感情移入して視聴していて、泣かせどころでまんまと涙をこぼしたりもしている。漫画の『鬼滅の刃』が最終回を迎えてしまい、熱中できるコンテンツがなくなったので、ちょうどよくそこにハマった感じだ。

www.netflix.com

www.netflix.com

またもう1つ、ハマりコンテンツとしてはhuluで『Nizi Project』を観ている。これはメジャーデビューを目指す若い女性たちが、特性評価の証となる「キューブ」獲得を目指してパフォーマンスの腕を磨くというオーディション番組なのだけれど、こちらも楽しく視聴している。女性たちの頑張りも美しいが、プロデューサーであるパク・ジニョン(J.Y.Park)氏のコメントがとてもスマートなのだ。

こんなふうに上司に評価されたら嬉しいだろうな、という言葉を的確に繰り出す氏の評価技術は観ているだけでコミュニケーションの学びがあり、そういう楽しみ方もしている。ASAYANなどのオーディション番組をあまり視聴してこなかったのだが、「推し」ているメンバーのランクが上がったり下がったりするのに一喜一憂する楽しみも知った。これは確かに楽しいし、応援し続けたくなると思った。

niziproject.com

あとは『クィア・アイ』の新シーズンが配信開始となったので、こちらも並行して観ており、とても忙しい。

www.netflix.com

仕事に没頭して固定しそうな視点を、エンタメで楽しく明るく引っ叩いて、新しい視野を投入してくれるコンテンツ供給者には、本当に頭が上がらない。

『もぐら本』、参加してます

そんな感じで、平日も週末も元気に、たまに元気がないときがあってもほどほどに暮らし、夫と娘となんとか幸せに過ごすことができているので、まあよしというところ。ほどほどのコツは無理をしないこと、我慢をしないこと。それから感情を口に出すことだと思う。いろいろ考えることも多いが、なんとかやっている。

文章の方もぼちぼち書いていて、紫原明子さん主宰の「もぐら会」の同人誌、『もぐらの鉱物採集 2020.01.22〜2020.03.29 あの人今、泣こうとしたのかな』に参加している。3.11前後で考えていたことを、あまり難しく推敲せずバーッと書いた、ホカホカの感情を寄せているので、興味があったらぜひ手に入れてみてほしいです。(増刷がかかったそうです。どうぞよろしく)

note.com

リンクだらけになってしまった。こうしていろんなものを参照して、日々を生きているのだな。また他にも文章が公開されそうなので、ご紹介できたら嬉しいです。

今日はそんな感じです。
チャオ!

水出しコーヒーをはじめました 2020

ここ数日で気温が上がりりつつありますね。
毎朝のホットコーヒーをアイスに変えたいなと思ったので、水出しコーヒーを始めました。

今までは娘を保育園に送ってくれる夫が帰り道に買ってきてくれていたのですが、保育園の送りもなくなり、毎回100円コーヒーを買うのもなあ、と思うようになりました。ゴミも出るしね。

ということで、まだ肌寒い間はハンドドリップでコーヒーを淹れていたのですが、いよいよ気温が上がってきたので、しまいっぱなしだった水出しコーヒーの道具を出してきました。 

これらの記事を参考にしています

www.thecoffeeshop.jp

www.dubstronica.com

ゆっくり抽出するタイプの水出しコーヒーは、部屋に香りが広がるのでとても良いです。上部のウォーターサーバーいっぱいに淹れたら、2人で飲むのにちょうどいい感じ。

朝、仕事を始める前にハンドドリップでホットコーヒーを飲んで、仕事前に水出しをセットしておき、仕事をしてお昼過ぎにはアイスコーヒーを。うちはあまり豆にこだわりがなく、いただきもの以外はイオンリカーの安いコーヒー豆なのですが、それでも美味しく出るのがうれしい。

お湯で出すよりカフェインや苦味が出にくいそうで、すっきりと飲めるのもいいですね。今度はバニラアイスを買ってきて、コーヒーフロートにでもしようと思います。

 

お題「#おうち時間

オーブントースターを買ったのでニコニコしている話

オーブントースターを買った。とはいえバルミューダとかそういう高級なやつじゃなく、お手頃価格の、5,000円くらいの品だ。

振り返ると、ここ10年くらい、ずっとオーブントースターが欲しかった。が、置く場所がなく、ずっと見送ってきたのだ。電子レンジは持っていたし、電子レンジにオーブン機能がついていて、トーストも焼ける、という機種だったので、トーストくらいいつでも焼ける状態にはなっていたせいもあった。

だが、どうしてもオーブントースターへの憧れがあった。ジーッと目盛りをひねるだけのシンプル構造。チン、という安っぽい音。オーブンレンジでござい、という、どっしりとした重厚感の電化製品にはない、「ただ加熱するだけ」というシンプルな構造からくるおもちゃっぽさ。ああ、オーブントースターがほしい。何よりわたしは、カリカリサクサクに焼けたトーストが大好きなのだ。

しかし、食パンを焼いたものなら、いくらでも外で食べられる。実際、トーストを求めて、ルノワールのモーニングタイムに通りかかったら必ず入っていた時期もあった。でも、あれはまた別の食べ物だ。ふわふわのパンにうっすら上品な焼色がついたパンもまたおいしい。だが、わたしが食べたいのは、実家の朝食に出てきた、8枚切り(うちは8枚切り派だった)の食パンをそっけなく焼いた、きつね色というにはちょっと濃いような茶色がフチからグラデーションになった、カリカリの単純なトーストだったのだ。

 

トースト愛の前置きが長くなったので話を戻す。ここ最近の我が家は、このたびのSTAY HOMEにより在宅時間が増え、食事のバリエーションに窮してきた。特に朝食は、前日の残りものと保温しておいたお米と味噌汁でなんとかしのぐのだが、いまいち気乗りせず(そもそも自分で作って自分で食べているのだから、すでに翌朝にはその食べ物自体に飽きているのだ)かといってホットクックのような大物に手を出して、万が一使いこなせなかったときの後悔に耐えられる気がしない。

という中で、「1万円以下の予算で、献立のバリエーションが増え、手軽に調理できる何かがほしい」と思い巡らせた結果、「それって、オーブントースターなんじゃない?」という結論に行き当たったのだ。

過去、欲しい気持ちが高まった機会は、数え切れないほどあった。が、なぜか今まで検討するに至らなかったのだ。しかし、今回は違った。比較サイトを見て、それぞれの機能を調べ、予算の中で、ルックスと機能のバランスが良さそうなものをチョイスする。今まで億劫で億劫で仕方がなかったこの作業を難なく乗り越え、めでたく運命の1品と巡り合うことになった。仕事を終え、家事に取り掛かるちょっとの間の時間を使えば、こんなに簡単に見つかったのに、なぜ今までこれができなかったんだろう。

振り返ると、今までだって「欲しい」という気持ちと、購入するため費用は揃っていた。が、そのとき足りないものがあった。心の余裕だ。

新しい家電を迎え入れるに際し、スペースが有り余っているほど広い家ならまだしも、あれをあっちへ動かしたらこれの行き場がなくなる、というように、余白のやりくりをしなければいけない我が家において、新参者を受け入れるのは一大事だった。何しろ一人暮らし時代から、それぞれの家電はなんとなくそれぞれの場所に収まっており、引っ越すたびにその組み合わせの強度は増していた。なので、その配置を変更する、というのは、日々の生活の動線を変える新しいパズルに取り組むようなもので、心の余裕がなければ、とてもできなかったのだ。

ヨドバシドットコムの購入ボタンを押したあと、あまりのあっけなさに、そのことを悟った。そうか。今のわたしには、心の余裕が、あるのか。たった5,000円のオーブントースターを迎え入れるだけで、目からウロコが落ちたような気がした。

 

さてさてオーブントースター購入に伴って新しい棚を増設し、中身も配置し直した。サイズもバッチリ測ってスペースを空け、さあオーブントースターを受け入れるだけ、になった棚を見て、心がウキウキした。果たしてオーブントースターは想定より1日早く、昨日の夜ヨドバシエクストリーム便で我が家へ到着し、見事、予定通りの位置へ収まった。準備は万端。明日の朝にはトーストが食べられるぞ、と思うと、台所を通りかかるたびニコニコしてしまう。夫にも「こんなに喜ぶならもっと早く買えばよかったな…」と不思議がられる始末だった。

そしてついに今朝。わたしは自宅で、自分のオーブントースターで8枚切りの食パンを焼き、朝食にした。初めての「焼き」だったため加減がイマイチで、上半分はやや焦げた状態に近い色になってしまったが、食感は求めていたもの、そのものだった。

トーストだ!これだ!これだよ!と思いながらあっという間に食べ終えて、今はオーブントースターで作れるメニューのレシピを物色している。

 

ただオーブントースターを買っただけの話で2,000文字も費やしてしまったがまあいい。久しぶりに心の余裕を得られたウキウキを書き残さざるを得なかったということに免じてこのまま公開してしまおうと思う。

ちなみにうちのオーブントースターはこれです。 

タイガー オーブン トースター ホワイト やきたて KAK-A100-W Tiger

タイガー オーブン トースター ホワイト やきたて KAK-A100-W Tiger

  • 発売日: 2017/08/21
  • メディア: ホーム&キッチン
 

お題「#おうち時間

育児をしながらのキャリア形成には限界があるのか?

二元論で分類されてきた女性のキャリア

緊急事態宣言が延長され、保育園休園も延びる見込みが強くなってきた。こうなってくると、自分の手元の問題、つまり育児と仕事のバランスに悩む時間が増えてくる。

わたしは20〜30代、ずっと仕事をしてきたものの、「バリキャリ」というほどの学歴や職歴があるわけではない。遅いキャリア形成のスタートに慌てて、ハードワークとスタートアップ企業へ潜り込むことで経験を近道し、なんとか40代の今でも仕事にありつけている。そういう状況だ。

一方、わたしが取り得たルートのもうひとつであったのが「ゆるキャリ」の道だった。40歳を目前に子供を妊娠したとき、わたしは大企業に所属しており、このまま在籍していれば産休・育休はしっかり取れる見込みだった。だが、育休から復帰したときの想像ができなかった。

見聞きする範囲でいうと「子育てする母親を差別せず仕事を任せる」という名目のもと、実際は家族や夫のサポートをフル活用して働く女性の姿があった。それが難しいのであれば、「ゆるキャリ」として時短でアシスタント的な業務に就くのが現実的なところだ。

言い換えると、実家や親戚のサポートが得られないのであれば、「マミートラック」に乗らざるを得ない未来しか描けなかった。そしてわたしは当時の会社を辞め、何か他の働き方がないか、探すことにした。

「フルキャリ」という概念

会社員を一度降りて、いち求職者になり、自分の求める働き方で求人を探してヒットするのは、「ママでもキラキラ!」「扶養内で稼ぐ!」というような「ゆるキャリ」案件ばかりで、違和感があった。

子供がいてもいなくてもわたしの過去のキャリアは変わらないし、積み上げたスキルがゼロになるわけではない。なのに、「ママ」になり、保育園のお迎えなど時間制約が発生しただけで、急に違うカテゴリへ突っ込まれる。この分断はなぜなんだ、と思っていた。

その後、個人プレーで孤独への耐性と自律が求められる業務委託という働き方に限界を感じていた頃、現在の会社と出会った。そこで教えてもらったのが「フルキャリマネジメント」という本だった。

 周囲のサポートを受け「バリキャリ」として仕事を極めるか、キャリア形成を諦めて「ゆるキャリ」としてバランスを取っていくのか、の2択しか見えていなかったわたしにとって、「これは今のわたし自身だ」と思えるアンケート結果がたくさん並んでいた。

この本では、仕事も生活も「Full」に取り組みたい女性のことを「フリキャリ」と定義している。5000人を超える対象者への調査によると、半数以上の働く女性が「仕事も生活も意欲的に取り組みたい」と答えているのだという。まったく同感だと思った。

わたしが取るのは「バリキャリ」でも「ゆるキャリ」でもなく、「フルキャリ」なのだ。迷っていた感情に落とし所が見えたら、自分の進むべき道も見えてきた気がした。

育児をしながらのキャリア形成には限界があるのか

そんなこんなを経て現在、スタートアップ企業で時短勤務をしているが、母親をやりながらのキャリア形成に限界はあるかどうか?という問いに答えはまだ出ていない。なぜならわたしもまだキャリア形成の途中だと自認しているからだ。

40代、昔の自分の価値観で考えると、ほぼキャリアは形作られており、ここからのキャリアチェンジや働き方のシフトは仕事人としてのスローダウンを意味するのだと思っていたが、これが違った。人生80年、約60年間を働くのだとしたら、まだまだ自分のキャリアを積み上げていく必要がある。幸か不幸か、労働年齢も延びている。

わたしは少なくとも娘が成人するまでのあと20年を、社会人として稼いでいきたい。しかも、家族との時間を最優先事項としながら。もしかしたらまた個人事業主に戻るかもしれないし、この情勢で「会社員」という働き方がナンセンスになり、全員がフリーランスとしてプロジェクト型で仕事に関わっていくようになるかもしれない。

疫病が働き方の改変を推し進めていくのであれば、いち労働者としてはその波に乗るしかないのだ。40代になってからのキャリアチェンジやワークスタイルの変更は、正直しんどい。でもこの変化も、前向きに受け入れていこうと思う。

もし現時点で「調子はどう?」と聞かれたら「上々だよ」と答えるだろう。それは自分のキャリアを活かし、家庭とのバランスを取ることができる会社との縁に恵まれたからだ。転職や就職は縁がすべて、とはいえ、黙って座っているだけで縁は紡がれない。そして自分で掴んだ縁であればあるほど、自分に自信が持てるのではないか。そしてその自信が、自分のキャリア形成のさらなる後押しをしてくれるのではないか。

まだまだ育児をする労働者としての道は長く、たまにうんざりするときもあるけれど、楽しいことだってたくさんある。「フルキャリ」のようにそれを後押ししてくれる概念もどんどん出てきている。

辛いこともあるけれど、辛さを感じるとき、新しい痛みが生まれ、痛みを解決するために様々な事業が生まれる。つまり、チャンスがこれからたくさん生まれるのかもしれない。(そうだと思っていないとやってられない、という面もあるが、)今はそんなふうに考えている。

じわじわ疲れてきている

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自宅保育になり2週間が過ぎた。たぶん、そのくらい経ったと思う。そのくらい記憶が曖昧で、1日を乗り越えるだけで精いっぱいだ。保育園に通わせていたときは大変ながらも楽しみだった土日が特別ではなくなり、在宅勤務のおかげでルーティンが固定された平日よりバランスの取りにくい、悩ましい日になってしまった。

そんな愚痴はいいとして、本当にじわじわと疲れが溜まっているのを感じる。正直に言うと、出産直後よりきついかもしれない。出産直後は眠れない、数時間おきに授乳がある、不慣れな育児でストレスが溜まる、などの要因はあったけれども、それでも日に日に前進している実感があった。出産直後、「3ヶ月と同じ悩みは持たないよ」とアドバイスされたことがあるが、本当にその通りで、頻繁に授乳があり大変だなあと思ったらあっという間に離乳食になったし、離乳食で悩んで四苦八苦していたらあっという間に普通食になる、というように、終わりが見えていた。終わりが見えていれば、この辛さが期間限定だと分かっていれば、一人っ子保育の我が家はなんとかなった。

しかし今はそうではない。緊急事態宣言がいつ解除されるか分からないし、そもそも解除されても保育園の休園が終わるとは限らない。そんな些末なことに不平を漏らしている状況ではないことは分かっているけれども、終わりがない辛抱というのは思いのほか、心にくる。心に余裕がないと生活も楽しめないし、常に息苦しい気にもなる。

終わりのない辛抱を耐える術をわたしは知らない。どんなに辛いプロジェクトも、人間関係も、仕事であればいつか変化せざるを得なかった。しかし生活はそうはいかない。毎日のことだし、メンバーの顔ぶれが大きく変わることはそうない。その上でがっちりと制限がかけられているのは、生きる上での礎に重しがかかったような息苦しさだ。これをみんなどう乗り越えているのだろう。好きなものを制限され、公園の遊具を封鎖され、友達とも会えなくなった娘のストレスはいかばかりか。

大人だって好きなものを取り上げられるのはつらい。せめてこの時間を楽しもうとしているけれども、その無理やりな前向きもいつか破綻するだろう。

しかし、こうやって泣き言を言い、若い頃のようにのほほんと生きていられればよかったと思って音を上げそうなときもあるけれども、今日、娘におやつをあげていたらふと「オイシイネ」と笑ってくれたのを見て、絶対に乗り越えるぞと思えた。

そういう小さいけれども確かな幸せを感じることでまだ何かやれるような気がするし、こうして文字にすることでわたしは生き延びてきた。だったら、また文字にして乗り越えていければいい。そう思いながらこの文章を書いた。