インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

そんなに多くは抱えられない

娘を産んで半年が過ぎた。

半年が過ぎ、産後早々にフリーランスを店じまいし、昔いた会社へ呼び戻してもらった。フルタイムで復帰するのに伴って夫が兼業主夫になり、家を守ってくれている。ただそれだけの、まだ少し珍しいかもしれないが新しくもない形で家族運営を始めてみて思うのは、ほんとうに、ほんとうにわたしには抱えられるものが少ないんだなということ。

まず今の生活の最優先は、フルタイムの仕事だ。これがないと家賃が払えないし、家族を養えない。そしてフルタイム勤務であり業務の内容もまだ手探りなので、どうしても多くの時間を割かざるを得ない。その次に優先されるのが家族。今のわたしたち夫婦の中心は生後6ヶ月の娘で、彼女のために様々なことが回っている。そしてその次にやっと、夫婦ふたりと、自分一人の順番が回ってくる感じ。

そうして並べてみると、わたしにとっては等しく大事な事柄であっても、優先順位は厳としてある。それが悔しかったり切なかったりするけれども、とにかくやっていくしかないのだと思っている。

夫も「ずいぶん遠くへ来てしまった気がする」と書いていたように、わたしもずいぶん遠くへ来たなと思うようになった。独身時代は自由気ままに好きなだけ仕事をして、好きなだけ酒を飲んで、好きなだけ眠っていた。うまくいくこともいかないこともいろいろあったけれど、すべての判断は自分で好きなようにできたし、好きなように生きていた。

ところがどっこい、再婚してみて、子供が産まれてみたら、そうはいかなくなった。当たり前の話だ。なんといっても家の中に、こんなにもろく、不確実で、手のかかる、世界一かわいい生きものが登場してしまったのだ。否が応でも彼女の安全と安心と幸せを、何がなんでも整備してやらねばならぬという気持ちになっている。

そこには出産前に購入していた育児書にあったような、ふんわりとして優しく、甘やかな空気は思ったより少ない。そこにあるのは責任感と必死さで、どう公私のバランスを取っていくのかを日々絶え間なく考えさせられ、判断を迫られ、問い詰められているような気さえする。

「これは大事な娘を夫に任せてまでやる残業なのか?」「そこまでして大切にする人付き合いなのか?」

---そんな風に自分に問いかけることが増えた。

 

0歳児の時間は、あっという間に過ぎていく。下手すると朝、「いってきます」と声をかけて笑った顔が、仕事を終えて帰ってきたらなんとなく違って見える時すらある。それは大げさかもしれないが、そのくらいのスピード感で、刻一刻と娘は成長している。1秒も見逃したくない。けれど、彼女の安全で健やかな成長を守るためにはお金が必要で、わたしはそれを担保しなければいけない。なんというジレンマ!

同時にわれわれ夫婦の平穏や、わたしの心の安定も図らねばいけないので、自ずとやれることの選択肢は狭まってくる。娘はこれから離乳食で、保育園の選考にも入るし、どんどん思わぬ成長を見せてくるだろう。そのときわたしは、彼女の成長をしっかり守ってやれるだろうか?夫が安心して生活できる状態を、維持してあげられるだろうか?自信があるかといえば微妙なところだが、やれるのかと聞かれれば、やるしかないと答えると思う。

 

そのために諦めたり先延ばしにしたり手放したりすることが増えるのだろうけれど、残念がったり悔やんだりしても、こればっかりはどうしようもない。もう二度と同じものは手に入らない。それにその代わりに得たものが大き過ぎて、比べるのも意味がない。娘や夫が不在だったわたしの人生は、危うく楽しく刺激的なものだった気がするけれども、今のわたしの人生はまた違った色みを持ち始めていて、そのすべてが愛に基づいて蠢いている。戻りたくても戻れないし、もうどこにも逃げられない、というと聞こえは悪いが、つまりそういうことであり、それは決して悪い感じではないのだ。

 

とまあいろいろ書きましたが、娘はかわいいし夫は愛おしいし、びっくりするほどの愛が家には満ちあふれている。愛が満ちている、なんてことを自分で書く日が来るとは思わなかった。でも実際そうなのだ。親から与えられた家族の中で漂っていた愛は、残念ながら、わたしにとってはしっくりこなかった。でもそれは、今振り返ると、誰のせいでもなかったのだ。もちろんそれは我が家でも今後起こり得ることで、いつかわたしも娘に拒絶される日が来るのかもしれない。それでも試行錯誤を繰り返し、「我が家」というユニットの最も良き形を探り続けていくのだと思う。あれもこれもと欲張りつつ、ときに諦めつつ。

 

今日はそんな感じです。

チャオ!