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インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

改札にて

 ホームに滑り込んだ電車から降りて、改札へ向かう。階段を降りる足元に気をつけながら改札に目をやると、迎えに来た人がスマートフォンを片手にわたしを待っているのが見える。わたしは彼の家に一人で行ったことがまだない。雨の日も晴れの日も、朝も晩も、道順はすっかり覚えたというのに、必ず改札まで迎えに来てくれるからだ。自分を待つ誰かを駅の改札に見つけるのは、とてもいいものだな、と思う。と同時に、子供の頃のことを思い出す。

子供の頃に住んでいた家の最寄り駅はとても小さく、改札が1つしかなかった。父は毎日同じ時間の電車に乗って帰ってきて、毎日同じ時間に家のチャイムを鳴らした。チャイムが鳴って、父が家の鍵を開ける音が聞こえるのと同時に、母とわたしたち姉妹は玄関へ駆け出し、帰ってきた父を迎える。「おかえりなさい!」と元気よく叫びながら父のカバンを持ち、スーツのジャケットを受け取ろうとする。受け取ったジャケットからは、父の匂いがする。整髪料と、もしかしたらコロン、大人の男性というのは少し臭いけれど、この匂いを嗅ぐと父が帰ってきたのだ、と実感できる。スーツを脱いだ父は部屋着に着替え、母が整えた食卓につき、テレビを消して家族全員で両手を合わせる。せーの、で「いただきます」を言う。そういう日常だった。

父は黒くて長い折りたたみ傘を持っていて、それをいつも通勤用のカバンに入れているのをわたしは知っていた。知っていたけれど、雨の日には妹と連れ立って、傘立ての長傘を持ち、最寄り駅まで父を迎えに行った。最寄り駅まで、子供の足でおそらく10分程度かかったと思う。家を出て、魚屋の角を曲がって駅へ向かう。駅に行くまでに大きな道路をひとつ渡る。雨の中、車のヘッドライトに雨粒がぴかぴかするのを眺めながら、信号を待つのが好きだった。信号が変わると妹を促し、片手を高く挙げて横断歩道を渡った。総合病院の角を入り、タバコ屋の自動販売機を右目に見て、怒ると怖いピアノの先生が住んでいるマンションを遠くに見ながらまっすぐ進むと、あの小さな最寄り駅が見えてくる。駅の改札の右手には踏切があって、カランカランと音が鳴ると、もしかしたら父の乗る電車かもしれないと思って小走りになる。改札は1つしかないから、父を見逃すはずはない。
電車が停車しドアが開くと、わあっと人が降りてくる。スーツの人、学生服の人、スーツの人、スーツ、スーツ、スーツ。父の姿がみとめられないとがっかりして、そのまま改札横の柵にもたれかかり、人の顔を眺めて待つ。妹が遠くまで行かないよう目を配り、たまには手を握りながら、また踏切が鳴るのをじっと待つ。電車が到着してドアが開き、ふたたび人が降りてくる。人波の中に知った顔を見つけると、向こうもこちらに気付いたようで、笑顔になる。父はわたしたちの姿を見つけると「おう」と右手を挙げて合図をしてみせる。わたしたちは、お父さん!こっち!こっち!と手を振って、父が小さなわたしたちを見失わないよう精一杯アピールをする。父は準備のいい人なので、おそらく電車の中ですでに取り出していた折りたたみ傘を通勤カバンにしまい、わたしがうやうやしく手渡した長傘をさして、わたしたちを両手に従えて家路を急ぐ。妹は父親っ子だったので、恥ずかしげもなく父の手にぶら下がっているけれど、わたしは「おねえちゃんだから」という気負いから自分一人で傘をさし、父の隣を歩く。それでも車のヘッドライトに照らされるスーツ姿の父は格好よくて、一緒に歩けるのがうれしかった。もうごはんできてるよ、おかあさんが待ってるから、早く帰ろう、と父に言うと、頭をぽんと撫でてくれた。雨の日はそういう日常だった。

あの頃、雨の日になると必ず自分を迎えに来る娘たちのことを、父はどう思っていただろうか。携帯もポケベルもない時代で、駅まで来て待たれていたら、おちおち寄り道もできない、と思った日はなかっただろうか。自分の足元にまとわりつく娘たちを、煩わしいと思ったことは、なかっただろうか。自分ひとりの、自分だけの時間を持ちたいと願った瞬間は、なかっただろうか。そんなふうに思ったこともあったが、わたしたち姉妹が父のお迎えに行かなくなってだいぶ経つし、今さらそんな話をするのも気恥ずかしくて、面と向かって聞いたことはない。それでも自分が大人になっていく過程で、父がどれだけ自分ひとりの時間を家族のためだけに充ててくれていたかを知るようになったし、それがどれだけ幸せなことかも、今なら理解できる。そしてわたしも、誰かが改札で自分を待っていてくれる喜びを知るようになった。つまりそういうことだった。

改札まで迎えに来てくれる人は、必ず改札まで見送ってくれる。改札を入ってすぐに振り返ると、その人はまだそこにいてくれる。じゃあね、と言って手を振って、ホームまで辿り着く前にまた何度か振り返る。だいたいは振り返るわたしを見送る人の姿を数度みとめることができるけれど、日によっては人の波に阻まれて、見えなくなる瞬間がある。

もしかしたらもう背を向けて、改札を離れてしまっているかもしれない、と思いながら、それでもわたしは振り返る。きっとそこにいてくれる、と信じられること、それ自体がわたしにとって必要な「何か」なのだからだと思う。

今日はそんな感じです。
チャオ!

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