インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

それより僕と踊りませんか

 読みました。

zuisho.hatenadiary.jp

 以前こんなことを書いた通り、わたしは誰かが書いたものを読むのが、本当に好きです。

hase0831.hatenablog.jp

なぜかというと、そこにはその人の生活があり、人生があり、たとえその表現に作為があったとしても、その作為を含めて、その人自身がそこにあらわれているからです。

生まれて死ぬ一生で出会える人の数は限られていて、そのうち深い部分の話まで出来るようになる人なんて、ほんのわずかです。こんにちは、はじめまして、と部屋のドアをノックして、怪しい者じゃないんです、あなたのことを知りたいんです、と説得して中に入れてもらうだけでもそれなり大変なのに、さらにその奥にある部屋に大切にしまわれている何かを見せてもらえるなんて、そうそうない。

でも、ブログや何かに書きつけられた言葉というのは、少なからずその大切な何かをあらわしていて、実物に触れさせてもらうことが叶わなくても、それがどんなかたちをしているのか、そっと見せてもらうことができるのです。そうして誰かの大切なものに触れたとき、わたしは自分の大切なもののことを思います。その人がその大切なものをどんなふうに大切にしているかを知ることで、わたしがわたしの大切なものをどう大切にしているかを自覚します。その自覚・再確認を経ることで、あらためて自分の愛の有り様を知ったり、気付いたり、見つけたり、またさらに誰かに伝えたくなったりします。その作業が、何より楽しいのです。

 

なので、「ブログに限らず、いろんなひとが自分の好きなことを書いてくれたらいいのになあ」と常々思っているのですが、それは同時に「石を投げつけられるかもしれないけど、こっちは楽しいよ、一緒に舞台に上がろうよ」と言って恥ずかしがりやな友人の腕を引き、無理やりステージに引っ張りあげてしまっているような罪悪感も抱えます。石を投げつけられても楽しいよ、大丈夫だよ、痛くないから、気にしなきゃいいんだよ、と説得するのは簡単ですが、痛覚の敏感さは、人ぞれぞれ。わたしだって痛がりです。何度も石をぶつけられて「あ、この程度なら死なないんだ」がわかって、やっと少し大丈夫になった程度なので、今でも「石をぶつけられる」こと自体は、本当に嫌です。石じゃなくたって、あ、嫌だな、と思うことを書かれるのは、嫌いです。痛くなくたって、嫌なものは、嫌なんですもの。

でも、それでも書いて伝えること、伝わること、伝わった先で新しい何かが起きることが楽しいのは、まぎれもない事実です。こういう複雑な気持ちは、誰かに恋をしてしまって、嫌なところも嫌いなところもいっぱいあるし、たくさん傷つくかもしれないのに、なんでわたしはまだこの人のことを好きなんだろう、と自分にがっかりするのと、ほんの少しだけ似ています。やめておけばいいのにね。でも、残念ながら、それでも大好きなんです。だからもう、仕方がない。

でもその「大好き」や「楽しい」を、「嫌い」や「つらい」が上回る日だって、きっとある。やたら眠たい日や、おなかが空いて元気がない日もあるし、機嫌が良くないときだって、あるある、超ある。そんなときは、サッと離れちゃえばいいんです。「やめます」って言わないかぎりは、続けてる、ってことでいいじゃないですか。「書き続けられないし、途中で飽きちゃうから、ブログを始められない」という相談をされると、必ずそう答えています。3日ぶりにでも、1年ぶりにでも、3年ぶりにでも、5年ぶりにでも、また書き始めることができたら、それはやめてない、ってことでいいじゃないですか。

嫌だな、と思ったら、誰になんの気を使う必要もなく、離れちゃっていいと思います。そしてまた「ああ書きたいな」と思えたら、いつでもまた戻ってくればいいんです。そしたらケンカして飛び出していった恋人を迎え入れるようにそっと「おかえり」って言うし、またあなたの書いたものが読める楽しみが戻ってきたことを、ひそかに喜びます。

 

ああくたびれたな、と思ったら、わたしもここから離れて、そのへんを散歩でもしてきます。散歩をして素敵な景色を見て、ああ書きたい、これを伝えたいと思ったら、また、戻ってきます。散歩どころじゃない大冒険をしてくるときもあるかもしれないけれど、嵐に巻き込まれてずぶ濡れになっても、こんなすごいものを見たよ!楽しかったよ!と伝えに来ます。だからあなたも、そうしてください。

 

ともあれ、わたしはここにいて、あなたのことを待っていますよ、というのが少しでも伝わるとよいのですが。では、またね。

今日はそんな感じです。
チャオ!

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