インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

あなたがわたしに魔法をかけてくれる

 心を許せる数少ない友人たちと、そのうちの一人の家でしたたか酔ってくつろいで、酔った勢いで手近にあった本の文章を、朗読する機会がありました。文章を目で追いながら、その場で自分の声に変換していく作業は、楽しかった。酔いも手伝って、自分の声が上顎の骨を微細に揺らすのが心地よく、思ったより長く朗読をしてしまいました。

子供の頃、国語の授業が大好きでした。順番に指名される教科書の朗読を心待ちにしていて、初見でよどみなく読み終えて、褒められるのが、嬉しかったのです。
でも、ある時から自分の顔や形や声の音、それらの造形全部が好きではなくなってしまって、朗読する自分の声も、嫌いになりました。写真も動画も、撮られるのはすごく苦手です。見るたび「ああ、醜い」と思って、顔をしかめてしまうのです。きっかけは思春期ならではの自意識の強さだったのかもしれませんが、その感情を引きずったまま大人になってしまい、さらに一時期、付き合っていた人から冗談で「お前はブスだな」と言われ続けていたら、「ああ、わたしはブスなんだ」と、思うようになりました。
自分の女性性に対するいくばくかの自信がごっそりと喪失され、そこから女性らしい服やハイヒールを履くのが、憂鬱になってしまいました。おしゃれをしたり、自分の好きな服を着ても、好きな人にバカにされたり笑われるのが悲しくて、なるべく考えないように、そこから遠ざかろうとしていました。

そうして自分の外見や、現実世界に置かれている自分の造形を嫌うようになって、インターネットの世界で生きようと思いました。テキストデータとして抽出される自分なら、少しは好きでいられたからです。そうして書いた文章が、たくさんの人に読んでもらえるようになりました。少なくない数の人に褒めてもらえて、好いてもらって、そのことは、わたしのもとへ自信を取り戻してくれたのでした。

 

 朗読の話に戻ります。

酔っていたせいもあり、思ったより長めの量を朗読してしまって、ハッと我に返りました。恥ずかしい、と思いました。それでも、朗読する楽しさ、嬉しさ、心を許した友人が耳を傾けてくれている幸福感が、恥の感情を上回ってしまった瞬間があり、そのことにも驚きました。友人たちは(全員酔っていたし、お世辞だったかもしれませんが)褒めてくれて、いいじゃん、朗読してもらうの、いいね、と笑ってくれました。

あ、いいんだ、と素直に思えました。彼らは他人をよく褒める人たちで、褒めたいから褒めてんだよ、お前を喜ばせようとか思って言ってねえよ、と言いながら、たくさん褒めてくれるのです。何か言われたら身構える方だったのに、彼らが褒め続けてくれたことは、わたしの心の壁を、壊してしまったようでした。

また、ある人に、あなたがたくさん褒めてくれるから、わたしは自分の嫌いなところがどんどん減っていってる、これってなんだか、すごいことだね、と伝えたら、「それ、魔法じゃん」と笑いながら言ってくれました。自分の何かを褒められたり、認めてもらえたり、気に入ってもらえると、身体じゅうにずっとくっついていたゲル状の汚れが、化学反応を起こして浄化されていくみたいに感じます。

 

ふと出た「魔法」という表現でしたが、これ以上の良いたとえは、他にちょっとないような気がします。誰かに好きだと言われるだけで、本当に魔法みたいに、いろんなところが治っていくのです。ちょっと話しが逸れるのですが、「火の鳥」という漫画の「異形編」に、八百比丘尼という人が出てくるんですね。 

火の鳥 9・異形編、生命編

火の鳥 9・異形編、生命編

 

彼女は火の鳥の羽根を用いて、様々な人の怪我や病気を治すのですが、「火の鳥の羽根でそっと撫でられただけで、たちどころに怪我が治った」という描写が出てきます。まさにそんなような感じで、ただ褒められるだけで、悪いところがすうっと治っていくのです。

以前、こんなことを書いたのを思い出しました。

ひたすら相手のいいところを見つけて言葉で肯定し続ける、
その積み重ねは自信になって、その自信はわたしがいなくなっても
わたしの大切なひとをつらいことから守る盾になってくれると思っています。

自分で書いたときには気付かなかったのですが、いま改めて読むと、ああ、これが魔法だったんだ、と思いました。

今までは誰かにしてあげよう、してあげようと思っていたことを、今度はわたしがたくさんしてもらっていて、ヒリヒリと痛かった部分が魔法みたいに消えて、さらに自分を守れる立派な盾までもらいました。これは本当に素敵なことで、ただ誰かに肯定をもらえるだけで、こんなふうになれるんだ、と驚いています。

恋愛とか友情とか、同性とか異性とか、先輩とか後輩とか、オンラインとかオフラインとか、いろんな関係性があるけれど、わたしもいろんな人たちに、魔法をかけ続けてあげたい。そんな風に思った夏の始まりでした。

 

今日はそんな感じです。

チャオ!